ピサロ、カミーユ ぴさろ
生没年
1830-1903
出身国
フランス
記事
ピサロ展図録 1998.6
略歴
1830年 7月10日、バージン諸島、セント・トマス島のシャーロット・アマリーに生まれる。
1855年 セント・トマス島を離れてパリに赴く。
10月15日頃パリに到着し、パリ万博博覧会を見学。
その直後コローに会い、深い感銘を受ける。
1859年 初めてサロンに出品。
アカデミー・シュイスに通い始める。
そこでモネと会い、1860年にはギョーマンとセザンヌに会う。
1863年 落選展に出品し、銅版画家協会の会員となる。
1866年 ポントワーズに移住。1869年まで住む。
マネ、モネ、ルノワール、シスレー、ギュメとの親交を深める。
1870-71年 普仏戦争。ルヴシェンヌを離れ、12月にロンドンに到着する。
画家のドービニーと画商のポール・ヂュラン=リュエルに会う。
6月14日、ブドウ栽培家の娘であったジェリー・ッヴェレーと結婚。
1873年 ピサロとセザンヌの間に制作上の親密な関係が強まり1870年代を通じ、1880年代の初めまで続く。
1874年 4-5月、第1回印象派展に5点を出品。
1876年 4-5月、第2回印象派展に12点を出品。
1877年 4月、第3回印象派展に22点を出品。
1879年 ゴーギャンとの友情がはじまる。
4-5月、第4回印象派展に38点を出品。
(1880年、第5回印象派展にも出品)。
1881年 4月、第6回印象派展に28点を出品。
1882年 3月、第7回印象派展に36点を出品。
1883年 5月、デュラン=リュエルにより個展が開催される。
1885年 シニャックとスーラと親交を結び、新印象主義の理論に関心を持つ。
1886年 5-6月、最後となった第8回印象派展に20点を出品
1889年 2月、ブリュッセルの20人展に出品。
1891年 2月、ブリュッセルの20人展に出品。
1893年 3月、デュラン=リュエル画廊で大規模なピサロ展。トゥールーズ=ロートレックに会う。
1894年 2-3月、ブリュッセルの「自由美学」展に出品。
1895年 2-4月、ブリュッセルの「自由美学」展に出品。
1897年 アンリ・マティスと会う。
1899年 3-4月、ベルネーム=ジュヌ画廊で大規模なピサロ展。
1903年 11月13日、パリ、モルラン大通り一番地で死去。ペール・ラシェーズ墓地に埋葬される。
館蔵作品
作品名 | 制作年 | 材料 | 寸法 |
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農夫ムロン親爺 | 1879年 | エッチング・紙 | 10.5×16.3 |
鋤で耕す農婦 | 1890年 | エッチング・紙 | 11.5×11.9 |