2008年7月29日
斎宮跡第160次発掘調査ニュース
区画道路の側溝は・・・
史跡東部の東加座(ひがしかざ)地区で、第160次調査をすすめてきました。7月23日のページでもご紹介したように、現在は、奈良時代の終わりから平安時代にかけての方格地割(ほうかくちわり)の、南北方向の区画道路の一本に関連する遺構が見えてきており、現在これらの遺構の発掘に着手しています。
区画道路の遺構といっても、道路面を舗装や整地をしたようすは見受けられないのですが、南北道路の東側の側溝があったと推定している箇所で、大きな溝が見つかっています。今日は、この溝を横断するスリット状に試掘して、溝がどうやって埋まっていったのか、また、複数の溝が重なり合っていないかなどを確かめました。試掘の結果、この南北の溝は、遺構を見つけた地層の面から一番深いところで約60cmの深さがあり、遺構を埋める土の堆積の具合を断面観察すると上下二つの地層に分かれそうだということが分かりました。上の地層からは平安時代末期の土器が出土しています。溝の底を探索すると、溝の断面の形は、頭のつぶれたうすいカマボコを天地逆にしたようなもので、複数の溝が重なり合って埋まっている様子は見えません。第160次調査区の南で過去におこなった調査では、平安時代前期の溝と末期の溝が複数重なり合った状態で見つかっていますが、今回見つかった部分は、平安時代末期の溝を掘るときに、それより古い溝の遺構をすべて壊してしまっているのだろうと考えられます。
この南北溝は、調査区の北端で、方格地割を形づくる東西方向の道路側溝に合流すると考えられています。また、これから調査する西側では、この南北溝に対応する区画道路の西側溝が現れるはずです。第160次調査がおもしろくなってくるのはこれからだといえるでしょう。今後は、柳原地区の第157次調査などをすすめながら、断続的に調査していく予定です。
新しい時代の遺構から掘っていきます。
南北区画道路の東側溝の位置にある溝を一部試掘してみました。
夏の発掘現場はすぐ乾燥してしまいます。
夏の盛り!時々、雷雲もたちこめてきます。
(O)