第10話  斎王とゆかりのお土地柄?

 斎王は、天皇の娘や姉妹など一族から選ばれます。しかしその数は六十人以上いるのですから、母方を見ていくとその出自にもいろいろあることがわかります。中でも、鎌倉時代、順徳天皇の時代に斎王となった煕(正確には「にすい」が付きます)子(ひろこ)内親王は、一風変わった経歴の持ち主でした。藤原定家が『明月記』元久2年(1205)2月11日条に記す所によると、その母は丹波局という後鳥羽院に仕えた女房で、本名を石といい(江戸時代風にいえば「お石さん」ですか)、もともとは白拍子だったようです。定家は簾を編む男の娘としていますから、庶民出身で芸能者となり、後鳥羽院の目に留まったということなのでしょう。
 この丹波局は「今、綺羅を備え、寵愛抜群」とありますから、当代風の美人で、後鳥羽院の寵姫だったということでしょう。後鳥羽院も肖像画から見る限りなかなかの男前なので、その二人の娘である煕子内親王もさぞかし美しかったことでしょう。
 それはともかく、彼女は、どこで育ったかがわかっている珍しい斎王なのです。
 『明月記』の記す彼女の誕生記事によると、後鳥羽院は生まれた子を藤原長房という貴族に養育させることにしました。この藤原長房、後鳥羽院の近臣で九条家の家司も務め、定家の仕事仲間でもありました。院の側近が摂関家のマネージャーを兼務、というだけですぐれた実務派貴族だったことがよくわかります。長房の家は、10世紀初頭にはその血統から何人も斎王を出したという勧修寺流の流れを汲んでいます。藤原氏としては傍系なのですが、院政という、ある意味で実力主義の時代になって、長房のように再び宮廷で重きを置かれる者も出るようになっていました。その伯父は吉田(藤原)経房といい、源平合戦から承久の乱の直前の、京と鎌倉の交渉を一手に捌いた切れ者で、『吉記』という重要な日記を遺した人として知られています。長房は承元4年(1210)に出家し、官界を去って慈心房覚真と名乗り、解脱上人貞慶の弟子として貞慶が再興した海住山寺の法燈を継承し、発展に尽くしています。覚真としての方が有名かもしれないくらいなので、どこでも何でも上手くできる人、ということなのでしょうね。
 さて、長房は養育に際して、先年焼亡していた院御所だった二条殿跡を下賜されています。ここは春日殿、または大炊御門殿といわれた御所の跡と推測できるので、他の資料から左京二条四坊六町だとわかります。つまりここが、煕子内親王の育った場所なのです。現在は、京都御所の丸太町通りを挟んだ南側、京都府の簡易裁判所のあるあたりと推測されます。
 さて、この地が面白いのは、焼亡以前に後白河院がここに前賀茂斎院の式子内親王を住まわせていた時期があるということです。式子は後白河院の娘で、百人一首の「玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする」の歌でも知られている人です。彼女は大炊御門斎院とも呼ばれますが、その使っていた邸宅が後に院御所となり、焼亡したらしいのですね。
 そしてもう一つ、この建物には煕子内親王にまつわる面白い話があります。彼女は、建保3年(1215)3月14日に斎王となった報告を受け、潔斎に入ったはずなのですが、この時に不思議な体験をします。『春日権現験記』によると、その夢に春日の神が立ち、興福寺の教英という僧が、春日八講というイベントの季行事という責任職に任じられ、経済的に困っているので援助してやれと告げたというのです。この斎王の夢告によって教英は無事に務めを果たすことができました。なぜ斎王の枕元に春日の神が?
 じつはこの時代、伊勢と春日が同体だという考え方がかなり広まっていたらしいのですね。そして、教英は長房の妻の兄弟であり、長房の師匠の貞慶自体も興福寺の僧ですから、なにやらいろいろと社会的・政治的背景もありそうな話ではあります。
 それにしても、斎院と斎王が同じ土地に住み、そこに春日神まで来臨していたとは、何だか面白いですね。
 煕子内親王は斎王として任を全うし、承久3年(1221)、承久の乱後の混乱の中を帰京し、二条東院の二条定高邸に戻ります。定高は長房の嫡男ですので、この一族は長房の出家後も煕子内親王の後見を務めていたようです。
 
 参考文献
*秋山喜代子「皇子女の養育と「めのと」―鎌倉前半期を中心に―」
            (『遙かなる中世』10 中世史研究会 1989年)
*山中智恵子『続斎宮志』(砂子屋書房 1992年)
*小池笑芭『源氏の部屋』(ホームページ)「左京二坊」
*黒田彰子「海住山寺二世慈心坊覚真の在俗時代 その一」
              (海住山寺ホームページ「解脱上人寄稿集」NO.6)
*榎村寛之「業兼本斎宮女御絵についての一考察」
    (『伊勢斎宮の歴史と文化』塙書房 2009年 初出2000年)

(学芸普及課 課長 榎村寛之)

ページのトップへ戻る