第9話 二見藻苅神事見学記
5月21日、伊勢市二見の二見興玉神社の藻苅神事を見学してきました。
藻苅神事といってもご存じない方が多いかと思いますので、少し詳しく解説を。
もともと、二見浦の夫婦岩は、それ自身が祭祀の対象ではありませんでした。その沖合700メートルほどの所にあった「興玉神石(おきたましんせき)」と呼ばれる岩礁(周囲1キロメートルほどもあったといいます)を拝むための鳥居のような役割を果たすものだったそうです。だから夫婦岩は、江戸時代までの記録には「立石」として出てきます。
ところが、この岩礁は地震によって陥没してしまったのだそうで、現在は見ることができません(二見浦は、平成18年〔2006〕に国の名勝に指定されましたが、その時には航空写真をもとに、この岩礁も指定範囲に入れたのだそうです。当館調査研究課 大川勝宏氏のご教示によります。)。その旧地に行って、そこに生える「無垢塩草(むくしおくさ)」を神職さんが刈り取る儀式、それが藻刈神事で、明治以来行われているということです。
この無垢塩草とは、アマモのことです。アマモは海藻ではなく、種子で増える海草(つまり「草」)で、イネ科に近い植物です。深さ数メートルまでの浅い海に生え、2メートル位にまで伸びるのだそうです。これが海面に出ている所に行って、神職さんが刈り取り、天日で干して祓に使ったり、お守りにしたりするとのことです。
さて、二見興玉神社は『延喜式』などの古い文献には見えず、歴史についてはわからないことが多い所です。江戸時代には近隣にある太江寺と密接に関係していたのが、神仏分離を経て、現在の形になったのが明治43年(1910)とのことです。そのため、興玉神石があったころの祭についてはよく分からないのが実情のようです。
しかし、江戸時代には、浜参宮(つまり潮水を頭から被る潮凝り)をできない人には無垢塩草を配っていたともいい、二見浦とアマモはなかなか深い関係があるのは間違いないと思われます。そして、興玉神石の場所を体感できる機会というのも、現在はこの祭しかないのです。
今回、地元の方のご厚意で、藻を刈りに行く船についていく船へのお誘いをいただきました。これを見逃す手はありません。というわけで、早朝の二見浦に降り立ちました。
神社での本殿祭にも参加して、出発地の江の港に向かいます。神職さんたちの乗る船がこれ。
ち、ちっちゃい・・・。そりゃ海の上にただよう藻を刈り取るんだから、海面近くで神事を行うんでしょうが、それにしても小さい。我々の乗る船も同様のもので、船縁の高さは30センチメートル程度の五人乗り程度の小舟です。
さて、マスコミも含めて四隻ほどの船が港を離れます。河口の港から外海に出ると、それなりに波もあります。沖合700メートルまで一気に進むと、たちまち夫婦岩が遠ざかっていきます。おお、たしかに中央構造線の先端が夫婦岩だと、わかる場面でもあります。
やがて神職さんの船は一定の所を時計の針と反対方向に回り始めます。
一周、二周、三周、このあたりの海面下に興玉神石が眠っているのですね。氏子総代さんのお話では、三つの石柱があった、という伝説もあるとか。それにしてもよく場所がわかるもんだな、と思っていると、気が付けばこのあたりはアマモだらけ、船のエンジンにも絡んで、我が船は少し出遅れてしまいました。
「それに、山の形を目印にだいたいの位置はわかるでな」とは、氏子総代さんのお言葉。なるほど、色々な知恵があるものです。それにしても、この位置からだと夫婦岩もほんの点のようにしか見えません。周囲1キロメートルもあった岩礁だというのもかなりリアリティーのある伝説のようです。とすれば、それが姿を消したことで二見の環境が大きく変わったのだなぁ、ということが体感できたのはなによりの収穫です。
さて、回り終えた神職さんの船の上では、お祓いが終わると、神職さんが袖を後ろにまとめ、別の神職さんが支えて、長い袖がらみ(昔の捕り物の道具、長い棒の先にトゲトゲがついている)のような長さ4メートルほどの棒を海に突っ込んでかき回し始めます。しばらくかき回して引き上げると、アマモがたっぷりとからみついていました。
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こうした作業を三回もくりかえしたでしょうか。十分に取れたので神事はおしまい。一気に港へと帰ります。急に船の舵をきったので、潮を被る被る。
そして江の港に一直線。藻刈神事は終わりを告げました。刈ったアマモは天日で乾燥させて、お祓いに使ったり配り物にしたりするのだそうです。
いや、夫婦岩を海から見られるなんて、得難い体験ではありました。
(学芸普及課 課長 榎村寛之)