第2話 あなたはだあれ?
日頃見慣れていて、そこにいることに何の不思議も感じない人、そんな人に意外な過去があったことを知って、そういえばあの人がそこにいる理由なんて考えたこともなかったな・・・と思った経験、ありませんか。今回はそんなお話です。
『伊勢物語図色紙貼交屏風』より 第六十九段 狩の使
『伊勢物語』第六十九段「狩の使」といえば、斎宮に「狩の使」、つまり天皇の代理として鷹狩に来た在原業平らしき男と、斎王の不思議な一夜のお話として知られています。そしてこの章段には、江戸時代以来、ほぼ定型的な絵のパターンがあります。それは、斎王が業平のもとに忍んでくる場面で、「男はた、寝られざりければ、外の方を見出して臥せるに、月のおぼろなるに、小さき童を先に立てて、人立てり。」という場面で、寝具の中に業平がいて、月と斎王と童女が描かれる、というものです。
確かに文章どおりで、特にどうということもないのですが、一つだけ気になっていたことがあります。それは童女の位置なのです。画像をよく見ると、童女と斎王と業平はお互いに向かい合っているように描かれています。これがこうした構図の原型といえる嵯峨本になるともっと明確に三角になるのです。なぜ童は斎王の前に立っていないのでしょう。
ということを考えつつ、伊勢物語の注釈書を見ていると、面白い発見がありました。鎌倉~室町時代頃に作られたと見られる伊勢物語の注釈書に『伊勢物語知顕抄』という、平安中期の貴族歌人源経信(1016~1097)に仮託された本がありますが、その中に「おさなきわらは人はうへわらはなり。これはいせのかみふぢはら継蔭がむすめ也。なをばよひとのまへといふ。ことし九才になりける。これはいせがなかりしときのことなり。」という説明があるのです。というわけでなにやらわかりにくいので現代語訳「幼い童というのは上等女孺のことである。これは伊勢守藤原継蔭の娘である。名はよひとの前という。今年九才になる。これは伊勢がまだいなかった時のことである。」
さてこれでもまだわかりませんね。実はこの一文の背景には、三十六歌仙の一人であり、宇多天皇から愛されたことでも知られる女流歌人「伊勢」が、在原業平と結婚していて、その死後に伊勢物語を書いた、という伝説が鎌倉~室町時代に信じられていた、という事情があるのです。
伊勢は藤原継蔭の娘です。そして藤原継蔭が伊勢守だったことがあるので、伊勢と呼ばれました。しかし、それは業平が伊勢を訪れたかもしれない時期とは微妙にずれています。継蔭の伊勢守就任は仁和二年(886)で、その年には業平は没しています。この時点ですでにかなり無理のある設定なのですが、それに加えて『知顕抄』の著者は、さらなる小細工をしています。
まず、小さき童に「よひと」という名を与えています。これは、業平が斎王に送った歌
かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは今宵定めよ
の『古今和歌集』における原型歌
かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人定めよ
の「世人」を踏まえています。つまり、世間の人が定めればいい、という本来の意味を、「よひと」という人物が判断しなさい、という意味に読み替え、「よひと」を斎王付きの女童の名としたのです。更に、業平と伊勢の年齢差(知顕抄の中では、業平五十二歳、伊勢二十五歳で結婚したとしています)を考えてか、どうやら「よひと」は「伊勢の姉にあたる人物」と説明しているようなのです。このような指摘は、すでに国文学者島内景二氏が「『小さき童を先に立てて』小考-伊勢物語の人間関係」(『成蹊国文』第26号 1993年)という論文でされていますが(ただし島内氏は「よひと」は後の伊勢本人だとされています)、つまり、この女童は室町時代頃には、『伊勢物語』の成立に密接に関わった一族の者だと理解されていたようなのです。
『伊勢物語図色紙』より 第六十九段 狩の使
こうした牽強付会ともいえる強引な説明は、因果応報論や、業平を観世音の化身として伊勢物語を説明する中世的、仏教的な物語解釈の中で現れたもので、今から考えると「珍説」と言えるでしょう。事実、江戸時代になり、物語が仏教的な言説から解放され、伊勢物語の研究が進むと、たちまち忘れ去られていくのです。
しかし、嵯峨本で定着した伊勢物語の認識は、室町時代のそれを踏まえたものでした。この第六十九段の絵の構図では、小童は、まるで相撲の行司のように、業平と斎王の間に、両者を見比べて立っているように見えます。それは彼女が伊勢物語の成立に深く関わり、このスキャンダルの判定役を業平から任された「よひと」その人として描かれたからではないか、とも思われるのです。
ところが次の絵をご覧下さい。これは同じ嵯峨本系統の伊勢物語絵ですが、画像は左右反転しており、しかも女童は斎王の方のみを向いています。こうした左右反転の画像は江戸時代半ば近く、1700年前後に描かれる例が増加しています。このころになると、彼女の「よひと」として属性は、もはやどうでもよくなるのかもしれません。
この絵は、伊勢物語の理解にも、近世が訪れていることを告げているようです。
(学芸普及課 課長 榎村寛之)