第92話 三重県にもいる義経さん、こんな所に静さん
斎宮歴史博物館では、秋の特別展示として「ヒーロー伝説 描き継がれる義経」を10月14日まで開催しています。この展覧会のメインテーマは、九郎判官源義経という実在の人物が、史実の枠を飛び越えて『平家物語』『源平盛衰記』『義経記』などの軍記物語の世界の英雄となり、さらにひよどり越え、八艘飛び、安宅の関などの「常識」が定着し、そして、平泉で死んだのではなく、各地で生き延び、蝦夷へ渡ってオキクルミ神と祀られたなど、スケールの大きな「伝説の英雄」へと「巨大化」していったことにあります。
また、今回の展覧会でもうひとつご好評をいただいているのは、三重県下各地に点在する、義経関係の伝説地の紹介です。『平家物語』では、義経が目立つのは木曽義仲との戦いからですが、そのデビュー戦ともいえる宇治川の戦いには、伊賀を経て向かったとしているため、伊賀地域にはあちこちに義経・弁慶の伝説の地があるのです。また、義経の有力部下の一人、伊勢三郎義盛はその名の通り、伊勢市二見に出生伝説があるのをはじめ、県内に出生地・砦・墓などいろいろな伝説を残しています。
というような展覧会をオープンして数日後、おどろいた事実が発覚しました。義経(よしつね)という苗字があり、しかも三重県職員にその苗字の人がいるというのです。
調べてみるとこの苗字は福岡県豊前地域に多ということなのですが、それでも200人程度、全国的に見ると多い方から数えて20000位代、という珍しいものだそうです。そりゃ珍しいですよねえ。面白いのでなお調べてみると、「頼朝」姓、なし。「清盛」姓、なし、「義仲」姓なし、「重盛」姓、わりとあり-これは重森さんとか茂森さんとか、同音の苗字も多いので何となく納得できます-という状況です。ところが「弁慶」という苗字は「稀少」とされながらも、実際にあるのです。弁慶さんは京都に弁慶町という地名があり、その関係かともいわれますが、義経・弁慶という伝説コンビが苗字として残っていることは、このコンビがいかに広く親しまれていたかを象徴しているようでもありますね。
さて、もう一つ源平関係の苗字として「静」姓も当たってみました。これが、あるんですねぇ。約2000人位、ということで、その解説には、「石見の名族静氏は諏訪神家族。現在、群馬県と大阪府に多い。」とあります。そして石見、つまり後世には石見銀山として世界的に知られるようになる島根県西部地域と静は、実は関係があるのです。
静は礒禅師という名の白拍子の娘と『平家物語』や『吾妻鏡』には出てきます。礒禅師という女性は『徒然草』にもその名が見え、かなりの有名人だったようです。その礒禅師が、石見の出身だという伝説があるのです。つまり静御前と石見国はまんざら無関係ではないのです。とすればここにも義経伝説の影を見ることができるのです。
苗字ひとつ見ても義経・弁慶伝説の広がりがわかるのは大変面白いことですね。
ところで「斎宮」という姓も実際にはあるのですね。こちらは約350人だそうで、義経・弁慶より多く、静より少ないそうです。
(学芸普及課 課長 榎村寛之)