第91話  ウエルカム・クラウン・プリンス

 そろそろ忘れてしまいそうなので、書かないんですか、といわれている話題をこのあたりでご紹介いたしましょう。
 ご承知の方も多いと思いますが、7月20日、皇太子徳仁親王殿下が斎宮歴史博物館に行啓されました。
 その裏話を、といきたいところですが、じつは博物館が任されていたのはご視察の時間のみ。行啓全般は知事室の行啓担当が企画・調整し、警護は中部管区・三重県警・松阪警察・伊勢警察の精鋭が、遠隔監視まで対応されていて、あまり詳しいことは知らないのですよ。実務としてはご視察対応とお茶などの接待、あとは施設の利用についての調整を行っていたにすぎません。それでも準備は十分に大変だったのですが。
 それはともかく、殿下が日本史研究者だということが、行啓担当の関係者にあまり知られていないのには少し驚きました。学習院大学で日本史学を学び、卒業論文は中世の水運の研究、オックスフォード大学ではテムズ川の水運史をご研究、学習院大学史料館の客員研究員という本格的な研究者なのですよ。
 皇室の関係者が日本史を研究することには色々な制約がある、といわれています。その中で、いずれ皇太子に、という立場で史学科に進学したことは、当時は大変珍しいとされ、その背景がいろいろと取り沙汰されたものでした。
 しかし、この方は、じつは単に歴史がとても好きなんじゃないかな、と思うのです。
 7月20日午後1時30分に少し前、整然と並べられた美しい花々のプランターごしに手を振る近隣の人々や、小旗を振る幼稚園児のお出迎えの中、県知事・県会議長・県警本部長などがつきしたがい、九台の車列が博物館に到着。県教育長、明和町長、町議会議長らがお出迎えする中、博物館長の先導で自動ドアが開きます。にこやかな雰囲気の中にも、先日、モンゴルから帰国したばかりの強行日程で、いささか表情が硬いようにお見受けしましたが、館内でお待ちしていた館と埋蔵文化財センター職員にも軽く会釈ののち、まずは園芸講座が準備した山野草などが置かれた特別応接室へ。つづいて館内の一室で、知事からの県政報告などいくつかの公務を終え、三重県特産のお茶や、地元から提供されたお菓子での休憩時間も経て、いよいよご視察です。
 映像展示室に現れた殿下からは、入館時とは違う、生き生きとした雰囲気が感じられました。たしかに「歴史好きの気」が立ちのぼっていたのです。
 人間は大好きなものに出会うと、感性がその方向にすべて集中します。その感覚はなんとなく周囲にも伝わるものです。例えば美術の好きな人が名画を見ている時、考古学の専門家がすぐれた遺物を見ている時など、その側で「気」を感じることがあり、この時もそれに近いものがあったのです。たしかにこの方は歴史が大好きなのです。
 映像展示「今よみがえる幻の宮」をご覧になった後、館内の視察が始まりました。克明に設定された時間の流れの中で、各コーナーの説明が進められました。その間も、実は以下のようなさまざまなやりとりがあったのです。

 例えば展示室Ⅰの斎王の年表の前で、
 Q:「平安中期の斎王と天皇の関係にはどういう特徴がありますか」
 A:「従姉妹や姪など血縁の離れる例が少なくありません。」
 斎宮寮の説明で、
 Q:「斎宮の女官はどのような氏族から選ばれますか」
 A:「史料上、源氏や藤原氏がやはり多いようです。」
 展示室Ⅱでは、航空写真と400分の1模型の所で、
 Q:「遺構として検出された建物を再現する時の高さはどのようにして想定するのですか」
 A:「現存する建物などから判断します。」
 羊字型硯を展示している所で、
 Q:「奈良時代の人々はどの程度羊を知っていたのでしょう」
 A:「現在のパンダのようなイメージでしょう。」
 と回答。これは受けたようで、表情を崩されました。
 ひらかな墨書土器を展示している所で、
 Q:「墨書土器からどのような事実が判明するのですか」
 A:「官衙の名や関係氏族の名など、祭祀や社会構成などもわかることがあります。」
 緑釉陶器を展示している所では、
 Q:「海上交通による搬入の可能性はありますか」
 A:「緑釉陶器の見つかる海岸線の遺跡もあり、その可能性が高いです。」
 これはまさに殿下自家薬籠中の分野で、なかなか鋭い指摘でした。
 このほかにもコーナーごとに相当に専門的なご質問があり、解説者は大変楽しかったのでありました。だって、プロの研究者でも展示解説に対して本格的な質問はなかなかしてくれないのですよ。この短い時間で、殿下が歴史への深い関心と確かな見識をお持ちで、なにより公務多忙の現在でも、大学時代の「歴史好き」の気持ちを失ってはいないことがはっきりとわかったのですから。これは歴史好きには楽しい経験でした。
 最後に「幻の宮 発掘」をご覧いただき、無事ご視察は終了。「ありがとうございました」「ぜひまたお越し下さい」の挨拶ののち、侍従長より「この度の見学大変楽しみにしておられました」の言葉をいただきました。
  うん、やっぱり。
 ガラス越しに、幼稚園児に何か語りかけている後姿を見つつ。
 今度はご家族で、できればゆっくり時間を取って来てくださいね。歴史が大好きな方々に満足していただける所は、斎宮にはまだまだあるのですから。

(学芸普及課 課長 榎村寛之)

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