第80話 夏が来れば祓川
夏です。水の恋しい時期です。というわけで、今年も斎宮跡の史跡西端に位置し、斎王が禊をした「祓川」の展覧会「祓川―その歴史と自然―」を開催いたします(7月22日~8月27日 エントランスホールにて、入場無料)。
祓川といえば、環境省の指定した「日本の重要湿地500」にも選ばれている川で、古きよき時代の姿をよく残している川として知られています。
というわけで、今回は祓川のPRから。
祓川にはそこらの川にない大きな特徴がいくつかあります。
その一つは、河畔林が発達していることです。つまり川沿いにジャングルのように木や竹が密生しているのです。たしかに博物館でお配りしています『斎宮今昔』の史跡航空写真を見ると、祓川はまるで緑の帯です。このために川辺になかなか下りることができないのですが、この河畔林が環境にはなかなかよく、虫や鳥など多くの生物が暮らしていて、中には貴重な鳥もいるのだそうです。また、虫が川面に落ちて魚のエサになる、という食物連鎖も見られるそうです。
二つ目は川の中に虫が多いことです。今年川に入って気づいたのですが、祓川には実に色々な水生昆虫や、昆虫の幼虫がいるようです。このごろあまりお目にかからない、タイコウチ(カメムシを引き伸ばしてカマキリの前足つけて、しっぽのばしたようなやつ)とかはよく採れますし、とりあえず石を動かすだけで、トンボ幼虫のヤゴ、それも丸いのやら長いのやら黒いのやら茶色いのや色々、とか、カゲロウやホタルやカワゲラなんかの幼虫なんだろうなぁ、という色々な大きさや形の、装甲まとったイモムシめいたモサモサしたやつとかがとにかくいっぱいいるのですね。水生昆虫の専門家のお話では、平地の川ではこのごろ虫の種類が少なくなり、例えばヒルの大発生みたいに、少ない種類で数が多い、というのが普通になりつつあるそうで、それとは全く逆の川、なのだそうです。
そして三つ目は蛇行していることです。祓川はじつによく曲がりくねっています。本来平地の川は地形にあまり制約されないので、すぐにあふれて洪水を起こす「暴れ川」になります。現代ではそうした川は直線的に付け替えて、コンクリートで護岸工事して整備し、安全だけど味気ない川にしていますが、祓川の場合、何箇所かの堰(井堤=「いで」といいます)が作られて水量調整をしているくらいで、こうした河川改修はほとんど受けていないのです。そのため、古来の暴れ川の形で実によく残っています。こうした川は、水量や流れの速度が所によってかなり異なります。そのため、祓川は、一キロも歩くと、生物層をはじめ、水質・水量・川幅・水底の岩石などかなり異なる様相となるのです。
さらに四つ目、斎宮と深く関わっていることです。特定の遺跡とここまで関わっている川は他に例がありません。今回、祓川沿いで斎宮跡の史跡指定範囲に隣接し、明和町教育委員会が発掘した「馬渡遺跡」という遺跡の紹介を行っていますが、そこでは、平安時代から鎌倉時代にかけての、斎宮でもかなり高級な部類に属する土器である灰釉陶器のほぼ完全な形のものや、何かの呪術の犠牲となったらしい馬の歯、墨痕のある土器など、どうも斎宮と関わりがあるのではないか、という遺物が数多く出土しています。斎王は5月と11月の晦日に近隣の川で禊をすることになっていましたが、この川が古代でいう竹川、つまり今の祓川らしいことを裏付けるような資料だと言えるでしょう。ところが面白いことに、この遺跡では奈良時代、八世紀頃の遺物がほとんど確認されていません。遺物としては縄文時代から室町時代にわたって出土しているのに、奈良時代だけがないのです。このことについては、あるいは奈良時代には川の底か中州になっていて、利用されていなかったのではないか、という可能性があります。つまりこの遺跡は祓川の暴れ川としての証拠でもあるようなのです。くわしくは別に紹介しますが、やはり祓川と西を流れる大河の櫛田川との関係は、時代によって色々な場合があったようです。
こうした川を代表する魚が5種類のタナゴです。そしてタナゴのいる川にはタナゴが卵を産み付ける、カラスガイやマツバガイなどの貝も多いのですね。さらに貝がすめる水ですから、カワニナのような巻き貝も多い、これはホタルの幼虫の餌になります。
しかし今年は少し魚影が少ないようです。川は年によって変わる。前の年の気候や環境のちょっとした変化が、川にはっきりと変化をもたらしている。そんなことを考えさせてくれる祓川でもあります。
ところで最後にひとくち知識。タナゴにはいろいろな地方名がありますが、江戸時代の『重修本草綱目啓蒙』という本によると、伊勢では「センピラ」と呼ばれていたそうです。尾張では「センパラ」だとしていますので、江戸時代にしては珍しく、尾張系の言葉が入っていたのかな、とも思われます。ところでこの言葉、意味はわからないのですが今でもじつは生きています。国内で最も希少なタナゴとして、その道ではかなり有名な種類に、天然記念物「イタセンパラ」という種類があります。ここに「センパラ」が生き残っているのです。現在イタセンパラは、淀川水系、濃尾平野、富山県などにわずかに生き残っている程度ということで、ちゃんと生息域に尾張が入っていますから、もともとはこのへんで、「板のようなタナゴ」の意味で使われていたことばかとも考えられます。
おまけにもう一つ。やはり江戸時代の『食物和歌本草』という本に
たなごこそ懐妊の薬朝夕に食してその子難産もなし
という歌があるそうです。
おや、タナゴは「STOP!少子化」のシンボルになるかな、というような記述なのですが、どうやらこの「タナゴ」は海に住む、「ウミタナゴ」のことのようです。タナゴはコイ目コイ科タナゴ亜科、ウミタナゴはスズキ目ウミタナゴ科の魚で、分類では全く違うらしいのですが、写真で見るとたしかに外見はよく似ていて、地域によっては、ウミタナゴをタナゴと呼ぶ所もあるようです。そしてウミタナゴには不思議な習性があります。卵ではなく、直接稚魚を産む胎生の魚なのです。この習性から懐妊や安産と結びつけられたのではないかと思われますので・・・
川のタナゴを食べても懐妊はしませんから、採って食べないで下さいね(^^;)。
(学芸普及課 課長 榎村寛之)