第78話 いんふぉ【か】めーしょん~亀ざかり~
斎王が就任する時は、亀卜(きぼく)で占います。という言い尽くされた説明について、この『斎宮百話』では何度かこだわってきました。そして、ここでいう亀がウミガメらしいこと、占いに使う骨板は、これまで漠然と考えられてきた、腹甲ではなく、背甲から切り出すらしいことなどをご紹介してきたわけですが、昨年から今年にかけて、亀卜に関わる本があいついで公刊されました。
まず矢野健一著『ものと人間の文化史 亀』(法政大学出版局)は、人間と亀の関わりを亀の文様、昔話、鼈甲(べっこう)など文化史的な角度から多様に紹介しています。生物学としての亀ではなく、文字通り「もの」、すなわち道具や伝承の素材としての亀にこだわった本です。内容はきわめて豊富で、亀のうんちくを極めたい人向きで、もちろん亀卜についても触れられています。しかし流石に卜の判断については「秘伝・口伝・神秘とあって、わからぬことばかり」となっています。
その卜の判断についての文献を紹介したのが工藤浩著『新撰亀相記の基礎的研究 古事記に依拠した最古の亀卜書』(日本エディタースクール出版部)です。この『新撰亀相記』とは、卜部家の秘伝書で、卜部家の伝承や、亀卜の判断の方法などを書いたものなのです。しかしその内容があまりに専門的な上に、この本の主題である、亀甲に入ったひびの形をどのように判断するかという「ひびの読み方」が、平安時代にしては詳細すぎるなどの理由で、天長七年(830)年に成立したとしているが、実は室町時代頃の偽書ではないかとも言われる、きわめて評価の難しい本なのです。そのためほとんど活字化もされておらず、見ることさえかなり難しかったのですが、この度はじめて基礎的な研究書が世に問われた、ということになります。
そして亀卜全体について、多くの専門家が総合的な学際研究を行った成果として公刊されたのが、東アジア恠異学会編『亀卜 歴史の地層に秘められたうらないの技をほりおこす』(臨川書店)です。
この本では、色々な分野の14人の専門家が、亀卜や亀について、歴史、考古、民俗、動物学などの専門分野から論及し、最終章では、亀卜の実験を行ったというもので、亀についての総合的な研究書にもなっています。
こうした本を見ていくと、いろいろと面白いことがわかります。例えば、動物学の分野では、こういうことが語られています。日本近海の海亀には、アオウミガメ、アカウミガメ、ヒメウミガメ、タイマイ、オサガメなどの種類がいるのですが、産卵のため上陸するのはアカウミガメだけです。ところがアカウミガメは上陸して卵を産むだけで、日本列島の近海に常に生息しているわけではなく、孵化すると太平洋を一路東の方に泳いでいくのです。つまり、アカウミガメは、日本近海では夏場の産卵の時期にのみ、成体か生まれたばかりの個体が泳いでいるだけだそうです。それに対してアオウミガメは、産卵こそ伊豆諸島や南西諸島までで、本州や九州、四国では行いませんが、日本近海では常に回遊しているそうで、中には中日本海で泳いでいて、冬の寒さで凍えて死体が打ち上げられることもあるのだそうです。つまりアオウミガメは色々な大きさの個体がいつでも獲れる可能性があるのです。
ということは、亀卜用のカメは、上陸するカメを捕獲するならアカウミガメに限られるのですが、漁のついでに網にかかるとか、泳いでいるウミガメを直接捕獲するのであれば、アオウミガメの可能性もある、となります。そしてアカウミガメよりアオウミガメの方が甲羅はきれいだそうで、しかもアカウミガメは雑食性で気も荒いのに対し、アオウミガメは海草をもっぱら食べるベジタリアンでおとなしいというのです。ならばかならずしも亀卜に使うのはアカウミガメとは限らないのでは、という推論も成り立ちうるのです。
また、歴史学の分野からは、亀卜は壱岐・対馬・伊豆に住んでいた卜部氏という氏族の秘技とされていましたが、ウミガメの捕獲が義務づけられていたのは、紀伊半島から四国東南部にかけての地域で、ウミガメで占う文化と、ウミガメを捕る文化はどうも異なるらしい、ということが指摘され、あるいは民俗学の分野でも、同じ地域でもウミガメを食べる所と食べない所があることや、アオウミガメを美味しいとするところと、アカウミガメを美味しいとする所に分かれるなど、様々な謎が提起されました。
ことほど左様に亀卜についての研究は始まったばかり、新しい研究書が出されると色々な問題点が出てくるのです。斎宮とも関連の深い亀の文化、まだまだ奥行きは深いようです。斎宮に亀甲を貢納していた志摩地域からは、今年も亀の産卵に関わるニュースが聞こえてくる時期になりました。いつまでもアカウミガメが上がってくる浜、そしてアオウミガメが回遊する海を保っていきたいものです。
(学芸普及課 課長 榎村寛之)