第77話 山中智恵子先生のこと
えー、筆者は三重県生涯学習センターに「斎宮女御」の話をしに行きました。おかげさまでたくさんのお客様に来ていただき、ご好評をいただいたのですが、つくづく思うことがあります。
「他にだれか有名人はおらんのんかい!」
斎宮に興味関心を持たれる方で、割合に多い興味関心が「斎王個人について」です。「どんな斎王がいたのか」「どんな人生を送ったのか」、ところが、斎王個人の話となると、たいていは「万葉集でおなじみの大来皇女」「伊勢物語で知られる恬子内親王」「三十六歌仙、斎宮女御」だいたいがこの三人。「他の斎王のことももっと聞きたい」という気持ちはよくわかります。
でもね、本当にお話するほどの情報がないのですよ。ほとんどの斎王は、伝記ができるほどの情報もなく、歴史の波の中に消えてしまい、名前しか残っていないのです。
考えてみれば、今、歴史といえば、政治史とか経済史とか、あるいは文学などの文化史などが主流ですから、たとえ平安時代に斎王が重要な役割を果たしていても、それほど注目を集めるわけがありません。そして斎王という制度は、個々の人たちが目立つようにできている訳ではないのです。むしろ粛々と務めることに意義があったという位ですし、解任され、帰京してから、政治的な活躍をするということもありません。斎宮女御などは、比較的自由な身分の女王であり、しかも村上天皇の女御となったから、記録が残ったのです。ほとんどの斎王は、ほとんどの内親王がそうであるように、結婚もせず、特筆するほどの栄光も悲劇もなく、自らの人生を全うしていたようです。
その中で、無名の斎王一人一人について、資料を渉猟して、徹底的に調べ上げようとした人がいます。その人は国文学者でも歴史学者でもありません。最近惜しくも逝去された歌人の山中智恵子先生だったのです。
山中先生は歌人前川佐美雄の弟子です。前川は1930年代から二十世紀末まで、前衛歌人として、さらに歌壇の第一人者として活躍しました。同じく伊勢が生んだ大歌人、佐佐木信綱の弟子なので、先生は信綱の孫弟子ということになります。その独特の作風から、前衛短歌の第一人者とされ、日本の短歌界を長く牽引してきた歌人の一人でした。
先生は「妖星の歌人」「現代の巫女」(毎日新聞ホームページ追悼記事より)と言われたそうです。卓越した感性を直接に美麗な言葉で置き換えるその短歌は、中央歌壇では高く評価されており、馬場あき子氏と並ぶ女流歌人なのですが、前衛芸術は、絵画・彫刻・音楽などの分野でも、「知ってる人はものすごく知ってるけど・・・」の世界になりがちです。山中先生も「中央歌壇では知られているが、地元ではあまり知られていない(4月27日 中日新聞三重版より)」ところがありました。
と書くと詳しいように見えますが・・・すいません山中先生、何度もお会いしていながら、凡俗である私にも前衛短歌はさっぱりわかりません!!
ナチュール・モルトあるひは斎宮 いかばかり神々の死を速めたりけむ
斎宮趾に風字の硯出しこと序章となさむ秋立ちにけり
永暦の綾切の面愛嗜女郁芳門院の面輪を写す
(『山中智恵子歌集』 現代短歌文庫 砂子屋書房 1998年より斎宮関係短歌抜粋)
しかし山中先生には、歌人としての活躍の他に、「評論」として斎宮に関する多くの評論書がありました。こちらはじつに緻密で実証的な評論集です。それでも所々に、山中先生らしい感性が差し挟まれ、独自の雰囲気を醸し出しているものです。中でも、『斎宮志』(大和書房)『続斎宮志』(砂子屋書房)は、代々の斎王についての個別紹介書として、実に行き届いたものになっています。また、特に斎宮女御については『斎宮女御徽子女王―歌と生涯―』(大和書房)という単著を出されているほどの入れ込みです。さすがに歌人は歌人を知る、という所でしょうか。
かつて斎宮歴史博物館では、斎宮貝合の再現を試み、短歌の募集をしたことがあり、その時にはこちらも故人となった春日井健先生とお二人で、選者をお願いしたことや、『斎宮女御』展の時には巻頭の寄稿を頂戴したこともありました。雑談はしない、という定評があったらしく、独り住まいで世間との付き合いもごく限っておられ、なかなか肉声を聞けない方なのかなぁと思っていましたが、春日井先生とお話をされている姿は、割合に気さくな、それでも文人然とした雰囲気の方でした。
しかし、・・・山中先生の御著書を見ても、多くの斎王の人生のほとんどがわからないのです。特に『続斎宮志』では、取り上げた斎王36人のうち、10ページを超える人はわずか5人だけ。しかも鎌倉時代になると1人だけ、というありさまです。嗚呼、天才女流歌人をしても、斎王個々の魂を呼び起こすことはやはり難しいのでありました。
それでも、『斎宮志』『続斎宮志』が、斎王個人のことについて知るには最も適当な本ではあることには間違いありません。その独特の文章世界とともに、斎宮学習の入門編を終えた方に、やや上級の学問書として、長く読み継がれていくことでありましょう。
(学芸普及課 課長 榎村寛之)