第76話 獅子と狛犬 その2
さて、獅子と狛犬については、なお面白い問題があります。先回にもふれたように、私たちは神社にいる石の獣を何の不思議も無く「こまいぬ」と呼んでいるのですが、一方で、それによく似たものを知っています。それは、お正月などに人が一人ないし二人まわってきて、動物の顔を付けて、子どもの頭をぱくりとする、というあれです。あれとは何か、そう「獅子舞」なのですね。これは獅子なわけです。
さて、先の回にも出てきた友人のDさんは、中国留学の経験があるのですが、彼女の言うことには「中国でも宮殿などの遺跡にこの一対の獣はいるが、ともに獅子とされていて、獅子・狛犬とはしない」のだそうです。あたりまえかもしれませんが、中国には狛犬(狛は高麗の意味、高麗とは古代の朝鮮半島の地域・国名)、つまり朝鮮半島の犬という言葉はないのです。つまり、日本では獅子・狛犬という組み合わせから「こまいぬ」への統一が行われたのに対し、中国では一貫して「獅子」なのですね。で、あの神社にある獣形の石像の造形を見ると、普通はなんと思うか・・・眼光鋭く、鼻が大きく、鼻先は短く、たてがみめいたものもある、これは犬、ではありませんよねぇ。やっぱり獅子舞の獅子と狛犬は同じものだと言わざるをえない。
そう考えると面白いのは、前回にも書いた、獅子と狛犬という組み合わせが、ライオンと犬だということです。ライオンと犬では大きさが段違いですよね。しかし大型肉食獣を遠くインドやアフリカからつれてくるなんて、とてもできるものじゃありませんから、獅子の実物なんてまず見ることはなかったはずです。しかし、舞楽「蘇芳菲(そほうひ)」では狛犬は子どもが演じていたそうですから、『枕草子』の頃までは、獅子は犬より大きいという情報はちゃんと残っていたようですね。では、獅子と狛犬が一対になった時、平安時代の人は、獅子が犬くらいの大きさと考えていたのでしょうか、犬が獅子くらいだと考えていたのでしょうか。獅子は文殊菩薩の乗物とされていて、菩薩が乗っている像や絵が作られています。つまり人が乗れる位の大きさだということは、知る人は知っていたはずです。だから狛犬が「異様に大きい犬だ」ということになります。ところが平安時代には、犬といえばせいぜい中型犬くらい、秋田犬や土佐闘犬級の大型犬はまだいなかったのです。そんな頃に、人々は巨大犬がいると信じていたのでしょうか。
鳥取県東部から兵庫県の日本海側西部にかけて「麒麟獅子」というものが出る祭があります。一方、愛媛県の南、宇和島では「牛鬼」という巨大な作り物が出る祭があります。岩手県遠野には「鹿踊り」という不思議な獣のお面をかぶって踊る芸能があり、これの流れが、伊達の一族が移った愛媛県にもあります。これらの共通点は何でしょうか。
じつは「角がある」ということです。これらの作り物や芸能が古代にまでさかのぼるとは思えません。おそらくいくら古くても室町時代まででしょう。それでも興味深いのは、いずれにも角があることです。
もともと狛犬には角がありました。角があることで、こまいぬは普通の犬との違いを強調していた、つまり角があることで、霊獣たりえていたのです。霊獣ならば、異常に大きくても不思議ではありません。
そして、狛犬が大きいと考えられていたことがうかがえる資料があります。それは『年中行事絵巻』の祇園御霊会の場面です。ここには祭礼の行列の先頭部分に二頭の獅子舞がいるのですが、その一頭、前の方の頭には「角」があるのです。つまりこれは獅子頭(ししがしら)ではなく、狛犬頭(こまいぬがしら?)なのです。ということは、大きな獅子と小さな狛犬が舞う「蘇芳菲」が廃れた後、同じ大きさの獅子と狛犬が舞う獅子舞もあったらしいのです。『年中行事絵巻』が描かれた平安時代末期には、狛犬とは「角があり、獅子と同じくらいに大きな霊獣」という意識があったものと考えられます。『年中行事絵巻』は平安時代末期の十二世紀中頃に作られた絵巻の複製と考えられています。それは現存する最古の木彫獅子・狛犬セットが作られたころでもありました。
しかし、『年中行事絵巻』には他にも数カ所に獅子舞がでてきますが、角のあるのはどうやらこの一頭だけのようです。平安時代末期には、獅子頭からは角は取れつつあったようです。
ところで角がある獣、というと、獅子のルーツ中国では、もう一つの面白いものがあります。それは鎮墓獣です。
鎮墓獣とは、貴人の墓を守る動物形の作り物で、ちょうど獅子・狛犬のように、墓の参道の左右を守っている空想上の動物です。後漢代には始まり、唐代には定式化していたようです。で、その片割れは獅子、もう片割れは、獅子のような獣で人面、そして一本角を生やしていることが多いのです。獅子の身体に人面、といえば思い出されるのはスフィンクスです。そしてこの人面鎮墓獣には、シルクロードを経てのスフィンクスの影響がよく説かれます。
ところがスフィンクスには角はありません。一方、後漢代の王充(二七~九七?)という学者が書いた『論衡』の「是応」編にカイチという獣の記述があります。カイは「「獣へんに解」チは「豸」で、「一角の羊で、生まれながらに有罪者を見分ける」とあります。で、このカイチは辟邪ともいい、墓に入れて悪いものから死者を守るものだというのです。
つまり人面獣のデザインはカイチとスフィンクスが合体したものなのでしょう。そしてどういう理由が、顔が獣に戻って、「角がある」という属性だけが辟邪の印と認識され、狛犬として日本に流入したのではないでしょうか。
で、さらに面白いことがあります。何かというと、中国で墓守りだったものが、日本の平安時代に、生きた者を悪いものから守るようになるという実例が他にも見られるのです。それは追儺の祭でおなじみの方相氏なのです。一角金眼四つ目のこの魔神は、もともと奈良時代には葬式の行列について棺を守る役も務めていたのです。そして本来中国では、方相氏は両方の仕事、つまり、年の瀬の村や町と、葬式の行列から悪魔を追い払う仕事をしていたのが、日本では平安時代に宮中のみに職務が限定されていったのです。そして方相氏にも角があります。
角があるものは、人間でも動物でも超自然的、だから角のある高麗の犬は獅子とタッグがくめるほど大きくて強い、というイメージがおそらく平安時代にはあったのでしょう。
と、ここまで書いてもわからないのは、なぜ日本ではあれが『狛犬』と犬の名に統一されるようになったのかです。
そして先日、京都の骨董屋街で情報収集していたら、あるお店に石彫りの狛犬の二回りくらい大きい、実に丁寧な仕上げの、第一印象室町後期頃の、しかし日本風とは思えない巨大な木彫狛犬が置かれているのを見たのです。店のご主人に聞くと、加藤清正が朝鮮半島から持ち帰ったという伝承があり、あるお寺に伝わっていたもの、といいます。この狛犬の片割れに、角が取れた痕跡があるのです。本当なら角のある狛犬の原型は朝鮮半島にやはりあるのか?
先述のカイチは日本には入りませんでしたが、朝鮮半島には流入し、今でも飾る風習があるのだそうです。狛犬・獅子・スフィンクス・カイチ・沖縄のシーサーなども含めて、獅子のような犬をめぐる文化は、なかなか一筋縄ではいかないようです。
(学芸普及課 課長 榎村寛之)