第74話 斎宮の研究さまざま
博物館の図書ホールには、背表紙に「斎宮関係論文集1~6」と金文字で書かれた冊子が立っています。じつはこれ、博物館で収集した斎宮関係論文を製本したものなのです。
斎宮についての研究はなかなか多岐に渡りますが、これを見ていくと、大まかなはやりすたりなどがわかって、かなり面白いものです。例えば、ここ二十年の傾向を見てみましょう。
まず、2000年から2004までの5年間に書かれた斎宮関係の著書・論文・書評、紹介文などは55本あります。多いかどうかは別の問題として、そのうちわけを見ると、おおまかに歴史系23本、国文系17本、考古系12本、美術系1本、建築系1本、その他1本となります(境界的なものもありますので、厳密ではありませんが)。
また、1995年から1999年では91本、うちわけは歴史系43本、国文系27本、考古系13本、美術系2本、建築系1本となります。
そして、1990年から1994年までは72本(歴史系29本、国文系30本、考古系9本、その他4本)、1985年から1989年までは60本(歴史系19本、国文系29本、考古系7本、歴史地理2本、社会人類学1本、その他2本)です。その以前、1980年から1984年までは70本で(歴史系17 本、国文系37本、考古系5本、保存関係3本、神道系2本、文化人類学系1本、建築系1本、民俗系1本、その他2本)です。
このような形で飛躍的に増えたのは70年代に入ってからのことです。ちなみに1961年から70年までの斎宮関係の研究は26本に過ぎなかったのに、 1971年から80年までは119本と、ほとんど5倍に急増しているのです。そして1981年から90年の間にも、偶然同じ119本を数え、「高値安定」傾向に入りました。
この顕著な変化は、高度成長期とその反省から来る歴史ブームや古典ブームの影響もあるでしょうが、何と言っても1970年から斎宮跡の発掘調査が始まったことと無縁ではないと思います。斎宮の発見は、それだけ大きな社会的話題だったのです。
ところで興味深いのは、1994年を境に、国文系と歴史系の成果の数が逆転することです。ここ十年ほどは歴史系が多いのに対し、それまでは国文系が圧倒的に多く、だいたい1990年代から拮抗してくる、という傾向が見られるのです。となり、やはり国文系が優勢なので、国文から歴史へ、というおおまかなシフトは間違いないようです。
この背景には、やはり斎宮歴史博物館の開館があるようです。斎宮歴史博物館では、長く歴史・考古系の学芸員ばかりだったため、博物館の紀要などで、館からの情報発信が定期的に行われると、歴史・考古学系の論文が必然的に増えることになるのです。
また、歴史系に関しては、義江明子氏に代表される、女性天皇など女性史の観点からの研究が、この20年ほどで飛躍的に進んだのも見逃せないところです。
一方国文学系は、伊勢物語・源氏物語・三十六歌仙などをテーマに、いわば高値安定を続けていますが、新しい研究の起爆剤に欠けており、やや停滞気味という感は否めないようです。国文系からは一時期、久富木原玲氏に代表される、伊勢神宮や斎宮のコスモロジー、すなわちその時代の思想的位置づけのような視点での研究もわずかに流行しましたが、近年は顕著な動きは見られません。
このように、斎宮は学際的な研究テーマとして、特に斎宮跡の調査が開始されてからは、総体に「右肩上がり」の形で研究成果が積み重ねられてきたといえるでしょう。
そして博物館としては、こうした、歴史学・国文学の新しい研究潮流を触発できるような、新たな斎宮研究の視点を構築していくことが今後の大きな課題になるようです。
(学芸普及グループ リーダー 榎村寛之)