第68話 祓川展の魚のいろいろ ①タナゴは「たなご」か?(1)
今回祓川展第2弾として、生物分類学に問題提起する?企画です。題して「タナゴはたなごか?」中身は読んでのお楽しみ。
タナゴ(カタカナ「タナゴ」は生物学的な魚の種類としましょう)はコイ科。大きくても15㎝位の魚で、日本には14種と外来種1種がいます。オスは初夏から夏の婚姻期になると、メスを誘うため婚姻色といわれる色がつきます。漢字では、「魚」偏に「與」、または「節」などと書きます。しかし、この漢字は全く知られていませんし、使われることもほとんどなく、本家中国では別の魚の意味で使われているようで、いつからタナゴを指す漢字だったかは明らかではありません。もっとも「たなご(ひらかな「たなご」は歴史史料に出てくる魚の名前としましょう)」という言葉は、16世紀末期に作られた、日本語・ポルトガル語通用辞書の『日葡辞書』に出ていますので、室町時代にはあったようです。
しかし、おそらく「たなご」はもっと古い言葉です。たなごは「田魚子」または「平魚子」と書くのが本来だと思われます。「な」は「食べ物としての魚や植物」を指す古語(つまり「サカナ」は、「酒とともに食べるもの」で「ナッパ」は「食用になる植物」の意味と考えられるわけですね。)と考えられています、そして「こ」は「小」「子」、つまり「小さいもの」なので、たなごとは、「田に住む、または平べったい、小型の食用魚」という意味だと考えられるわけですね。で、この「な」という言葉は、『万葉集』『日本書紀』などにすでに見られる大変古い言葉なので「たなご」という語は、例えば田圃の取水口などに群れている平べったい小魚を指す言葉として、もっと古くからあったと考えられるのです。
さて、江戸時代に作られた本邦最古の方言辞書に、越谷吾山という人が安永4年(1775)年に編纂した『物類稱呼』という本があります。この本によると、「たなご」は関西で「たなご」、関東で「にがぶな」、筑紫で「しぶな」と言うとしています。また、博物学者貝原益軒の『大和本草』も、「たなご」は京都の方言としています。「しぶな」が「渋フナ」の意味だとすると、「田にいる平べったい食用魚」系の「京都周辺=首都圏語」と「ふなに似て苦い魚」という「地方語」があったことになります。どちらにしても、まずいけど食べていた、ということもわかります。
江戸時代、18世紀初頭に編まれた寺島良安著『和漢三才図会』には、たなごとはフナに似て背が黒く腹が白く、形は薄く、大きさは2・3寸(6~9㎝)、あたかも木の葉のようで、櫛にも似る、その小さいものは腹近き尾のところが微妙に赤い、味はよくない、とあります。つまり江戸時代の人は、フナに似た小魚で、葉っぱのようにひらべったいものを「たなご」と言っていたようです。そこで面白いのは、現在の方言でも、タナゴの一名を「タビラコ」ということです。タビラコは「平ら子」、つまり平べったいちっちゃいの、という意味でしょう「タビラコ」とは植物の「ホトケノザ」の別名でもあるのです。ホトケノザの葉も「仏像の台座」の「蓮弁」のように薄くてひらひらしているからでしょうか。
さて、今回展示しているタナゴには「ヤリタナゴ」「アブラボテ」「シロヒレタビラ」「カコネヒラ」の四種があります。なんとこの中に単なる「タナゴ」はいないのです。
じつは、現在「マタナゴ」つまり「真性のタナゴ」とされるのは、関東から東北地方にしか分布しないタナゴの一種を指すことばなのです。『日本国語大辞典』にも、タナゴは関東から東北地方に分布する、としています。でも、考えてみればこれは少しおかしな話です。つまりここまでまとめてきたことから考えると、江戸時代に「にがぶな」と呼ばれていた関東地方の魚が、今は「タナゴ」の代名詞になっている、ということになるわけです。つまり、首都が東京に移ったことで、淡水魚分類の基準地域が関西から関東に移り、江戸時代の「たなご」と生物学用語の「タナゴ」の指す魚が微妙に変わってしまったと考えられます。今の「タナゴ=マタナゴ」は、江戸時代の「にがぶな」で、「たなご」の言葉の発祥の地である京都周辺にはマタナゴはいない、というおかしなことになっているのです。
では、寺島良安のいう「たなご」、つまり本来京都周辺で、たなごと呼ばれていた魚は今のどの魚なのでしょうか。京都の魚は琵琶湖・淀川水系の魚です。このへんに住むタナゴはヤリタナゴ、シロヒレタビラ、アブラボテ、カネヒラ、イチモンジタナゴなどが代表的なもので、ほかに淀川水系には、天然記念物のイタセンパラなどがいます。まず京都の人が日常的に見ていたのは、この五種類の代表的なタナゴと見てよいでしょう。
このうち、イチモンジタナゴは腹部に黒い筋が一文字に延びているというはっきりした特徴がありますので、タナゴの代名詞にはなりにくいでしょう。
またアブラボテとは「油色をしたボテジャコ」の意味と見られます。このタナゴは赤黒みを帯びた色をしており、ボテジャコとはタナゴの仲間の琵琶湖地域での呼称ですから、やはり特殊なタナゴと見られていたようで、これもタナゴの代名詞とは考えにくい所です。
ではシロヒレタビラは、といえば、この名は「白鰭平」だと見られます。「シロヒレ」はオスの婚姻色で、しりびれが白と黒の二色に染まること、「タビラ」は先に述べたタナゴの別名「タビラコ」から来ているのでしょう。で、「シロヒレタナゴ」ではなく、「シロヒレタビラ」とわざわざ古語的な呼び方をしているのは、近代に分類名が決められる以前からそう呼ばれていた証拠、または、タナゴをタビラと呼ぶ地域で命名された証拠と見られますから、これもタナゴの代名詞にはなりにくいと考えられます。
つぎはカネヒラです。カネヒラは大型のタナゴで、オスの婚姻色が虹のような色になることで知られています(ただしこれは野生のものだけで、しばらく水槽で飼うと色が抜けてしまうそうです、自然の不思議)。その意味ではよく目立つタナゴなのですが、じつはこれが困ったタナゴなのです。というのも、お魚ファンの間では有名なカネヒラという名前なのに『日本国語大辞典』にさえ載っておらず、しかも困ったことに、『日本国語大辞典』で「かねひら」といえば、「グソクダイ」「アカマツカサ」「イットウダイ」といった海魚の異名として出てくるのです。和歌山市立博物館のホームページには、「畔田翠山(くろだすいざん)筆 鎧魚(よろいぎょ)図」が紹介されています。その解説によると、
「鯛の一種である鎧鯛(イットウダイに同定)を紀州の本草学者・畔田翠山(1792~1859)が描いた写生図です。(中略)鎧魚は紀州ではカネヒラと呼ばれ、紀州日高郡網代浦では具足魚、同郡薗浦では、銀ダヒと呼ばれていました。翠山が文政10年(1827)に書いた日本で最初の総合水産動物誌『水族志』のなかでカネヒラの項目で考証し、記載しています。」
と、京都に比較的近い和歌山県でも、江戸時代には、カネヒラといえばイットウダイだったことがわかります。そして面白いことに、グソクダイ,アカマツカサ、イットウダイはいずれも近い仲間の魚で、キンメダイなども近い仲間なのだそうです。これらの特徴は、赤っぽい体色と平べったい体形です。
(学芸普及グループ リーダー 榎村寛之)