第44話 「教科書が知らない斎宮」講座 開催中 その2
斎宮を知ることにどういう意味があるのか、ということの「その2」として、少し面白いエピソードを一つ。
水星に世界の文化人が沢山いることをご存じですか。水星はマーキュリーといい、ローマ神話の芸術の神様(ギリシャ神話のヘルメス)なのですね。だからその表面にあるクレーターには世界の芸術家の名をつけるというルールがあるらしいのです。その中に日本人も何人かいます。そのメンバー、つまり世界に通用する日本文化人のリストは、インターネットで調べた所、
松尾芭蕉(江戸時代 俳人) 奥の細道
二葉亭四迷(明治時代 小説家) 浮雲
安藤広重(江戸時代 画家) 東海道五十三次
柿本人麻呂(飛鳥~奈良時代 歌人) 万葉集
吉田兼好(南北朝~室町時代 随筆家) 徒然草
紫式部(平安時代 小説家) 源氏物語
円山応挙(江戸時代 画家) 円山派写実画
井原西鶴(江戸時代 俳人・小説家・随筆家) 好色一代男
清少納言(平安時代 随筆家) 枕草子
夏目漱石(明治時代 小説家) 我輩は猫である ほか
俵屋宗達(安土桃山時代 画家) 風神雷神図
藤原隆信(鎌倉時代 画家) 伝源頼朝像?
藤原隆能(平安時代 画家) 源氏物語絵巻?
紀貫之(平安時代 歌人) 古今和歌集
運慶(鎌倉時代 仏師) 東大寺仁王像ほか
世阿弥(南北朝~室町時代 能楽師) 風姿花伝
康勝(鎌倉時代 仏師) 空也上人像
となりました。
うちわけは、飛鳥~奈良時代1、平安時代4、鎌倉時代3、南北朝~室町時代2、安土桃山時代1、江戸時代4、明治時代2です。
藤原隆信や二葉亭四迷がなぜ選ばれているのか、と言う問題はありますが、平安時代は江戸時代と並んで選ばれている人が多いのですね。しかも全17人のうち女性はただ二人、それが紫式部と清少納言なのですから、平安時代の宮廷の女性文化人が、いかに世界的に認知されているか、ということになるでしょうね。
そうした宮廷女性の文化を支えたのが、高貴な女性のサロンだったのです。例えば紫式部が所属した中宮藤原彰子や、清少納言が所属した皇后藤原定子のそれです。しかし、これらは言わば後宮、つまりは男性に寄食して繁栄している組織です。その意味では一種の閨房文学であり、世界的に見ても似た例がないわけではありません。ところが、この時代には、もう一つ性格の違うサロンがありました。その典型が大斎院選子の斎院です。
斎院は斎宮と同様の、いわば公的な施設です。それは宗教関係という意味では、修道院や仏教寺院の文学に近いと言えないこともありませんが、神への奉仕はあくまで「仕事」として行なわれる、という点で、いわばキャリアのある女性たちのサロンということもできるものでした。つまり、男性をスポンサーとすることのない、自立した組織と言う事ができるのです。最近よく使われるようになった「ジェンダー」(社会的な意味での性差)との観点からいえば、こうした自立した文化組織の存在は、女性の文化人を自立させるための大きな自信と物理的な後ろ盾となり、また、そうした組織と切磋琢磨することで、後宮文学の作品もまた単なる閨房文学や手すさび・趣味の域を越えて、人間や社会についての洞察を深めていくのです。
つまり平安時代の高貴な女性とその周辺に仕えた貴族女性たちは、男に媚びることなく、お互いに競争しながら和歌や工芸の質を高めることができ、いわば文化を進歩させていたのであり、その成果として残されたのが、『源氏物語』や『枕草子』だったのです。
このような女性貴族のサロンの重要な一つに、斎宮がありました。斎宮自体からは紫式部も清少納言も生まれませんでしたが、斎宮女御徽子女王をはじめとした、斎王・女官など数多くの女人たちの文芸活動はまぎれもなく平安女性文化の一翼を担うものでありました。文化の発信源として、あるいはいろいろな文化を受容し、育む苗床として、斎宮は日本文化史に位置付けられるのです。
(主査兼学芸員 榎村寛之)