第39話 斎王と祭主
この「斎宮百話」をお読みいただいている皆様には、いささか不思議に思われるかもしれませんが、博物館開館以来十五年近く経っても、斎王の知名度は決して高くないのです。団体で来られて、660年ほど前まで斎王という制度があった、と知って、ヘェーと言うお客様は珍しいわけではありません。
ところが一方で、展示室でリサーチしていると、しばしば「今の斎王はね…」という会話を聞くことがあります。
こういう方々のために、この一言をパネルにでもして、展示室に出したいっ!
「あなたがたのおっしゃっているのは祭主で、斎王ではないのですよ。」
今、たしかに神宮には祭主と呼ばれる女性が奉仕しています。神宮の大きな祭の度に参宮している、白い十二単らしきお衣装を着た女性です。たしかに一見斎王に似ていて、まちがえても無理はないとは思います。ちなみにただいまの祭主は、昭和天皇の娘、池田厚子氏です。
だけどこの「祭主」は、伊勢神宮の祭に参加するという外は、斎王とは直接関係ないので、かえってややこしくなるため、展示には入れていないのです。
そんなことで、ここでは祭主と斎王の違いを、まず試作的にまとめてみます。
「祭主」とは、古代以来、伊勢神宮祭祀の最高責任者でした。伊勢神宮の史料では、垂仁天皇の時代からあった、とされていますが、史料上の確実な初見は『続日本後紀』という史書の嘉祥三年(850)三月辛巳条の、元神祇官の長官だった大中臣淵魚という人の卒伝(死去に伴う略歴)にある、弘仁六年(815)から二十八年間祭主を勤めたという記事です。ところが伊勢神宮の最古の文献史料である、延暦二十三年(804)に作られた『皇太神宮儀式帳』には「祭主」が出てこないので、800年代、つまり九世紀の初頭頃に成立したものと考えられています。そして、『延喜式』では、祭主は神祭りを司る神祇官で働く、五位以上、つまり貴族に准ずる身分を持つ中臣氏の者から選ばれることになっていました。
さて、ここまでで、ちょっと変なことに気づきませんか?
斎王は皇親だけど、祭主は中臣氏なの?それに古代の行政官人は原則として男性だから、祭主も男じゃないの?
その通り、古代の、いや、その後明治までは、祭主は中臣氏が務めていましたし、その後もずーっと、何と第2次世界大戦の後まで、男性だったのです。
そう、祭主はずっと男性が務める職務だったのです。
実際に、平安時代に祭主を務めていたのは、中臣氏系の代表的な氏族、大中臣氏で、神祇大副(神祇官の次官、平安時代中期には神祇官の長官の神祇伯は王族が就任する名誉職になっていたので、実質的にはトップ)の地位にある者が兼任し、都に住みながら年に四度伊勢に赴き、神宮の祭に参加することになっていました。
つまり、斎王のいた時代には、斎王とは別に祭主がいたのです。
そして斎王と祭主は、本来は全く別の職務だったのです。
それではどうして、今のように紛らわしいことになったのでしょう、ことの起こりは、明治維新なのです。が、その前に、
祭主は平安時代末期までは、都におり、必要があれば伊勢に下っていました。そのため、伊勢には、祭主館という大きな邸宅を構えており、いわば二重生活を送っていたのです。
ところが、中世になると、祭主は伊勢に土着するようになりました。これは京の朝廷の勢力低下に伴い、京にいるより伊勢に土着した方がメリットが大きかったためと見られます。ところが、室町末期以降の動乱の時代の中、祭主職を独占していた、大中臣氏の中の藤波家は、結局十六世紀後半に京に帰ってしまいます。そして幕末まで、祭主は「神祇道」を家の職とする京の貴族の一つとして続くことになったのでした。
ところが明治維新で、祭主をめぐる環境は激変します。まず、全国の神社で、特定の家が特定の神社の祭を独占する「社家」制度が廃止され、伊勢神宮でも、祭に関わる藤波家以下すべての神主・禰宜・御師などが神宮の祭りと切り離されてしまったのです。こうして、1000年以上に及ぶ大中臣氏と伊勢神宮祭主の関係は消滅しました。
しかし、祭主はその後も存続したのです。
明治以降の祭主は、近衛忠房・三条西季知という神祇大副の二人の貴族を経て、明治八年(1875)に久邇宮朝彦親王が就任します。ここで皇族の祭主体制が成立しましす。ただしこの時代の祭主は、天皇の名代という意識からか、男性皇族または公爵以上の華族が務めるとされていました。
しかし、第2次大戦以後現在まで、祭主は、北白河房子氏、鷹司和子氏、池田温子氏と女性が続いています。それぞれ明治天皇の娘、昭和天皇の娘、昭和天皇の娘です。つまり戦後になって、元・皇族の女性が一貫して祭主になるように改革され、現在に至る、ということのようです。
というわけで、幾多の変転を経て、女性祭主が成立し、それから50年あまりが過ぎたことになります。女性祭主は一見斎王に似た制度になっていますが、言うまでもなく大きな違いがあります。
① 祭主は占いで選ばれるわけではない。
② 祭主は皇族ではなく、結婚によって皇族籍を外れた、元・内親王が勤めることになっている、らしい。
③ 任期についての規定はない、らしい。
④祭主には斎王のような宮殿はなく、東京から通ってくる。
という所でしょうか。
斎王のイメージをある意味で現在に伝えているかのような祭主、しかしその背景には、斎王とは別の意味で、時代の大きなうねりに翻弄されてきた歴史があるのです。
(主査兼学芸員 榎村寛之)