第33話 「斎王群行」のおもな登場人物
今回は、この映像ソフトの登場人物の横顔をご紹介しましょう。じつはこの資料は、参加された役者さんたちに配布したものを下敷きにしています。映像展示をご覧になる際の参考にしていただくと、何倍か楽しみが増えるかも。
まずは、斎王、良子内親王(ながこないしんのう)
良子内親王は、10才と17才の二通りの姿で登場します。
10才の良子内親王は、父・母と別れて一人で伊勢に旅立ちます。いつ帰れるかわからない旅に、不安でいっぱいです。でも、たくさんの人たちが自分のために一生けんめいになっているようすを見て、私はみんなのために、父の天皇に代わって、つとめを果たそう、と思うようになります。この映像の中ではセリフは一言だけですが、この一言には、自分に関わったすべての人々への感謝と、斎王として精いっぱいつとめようという決意がこめられています。この物語りは、一人の少女の、少し早い大人への旅立ちの物語でもあるのです。
17才の良子内親王は、神に仕える緊張感と、雅びた雰囲気の中で斎王としての暮しを送っていました。ところがある日、父、後朱雀天皇が病気により退位したという使が来て、斎王の座を下ります。さらにまもなく、天皇が亡くなったという知らせが入りました。彼女は、伊勢に来る途中、天皇から、使を介して銀の餌袋をいただいていましたが、結局それが形見になってしまったのです。二度と父に会えないという悲しみと、大任を果たしたという満足感、そして都での新しい人生に向けての期待、彼女は、いよいよ旅立とうとしています。その感慨の表情が、17才の斎王の見せ場となります。
つぎに、もう一人の主役、藤原資房(ふじわらのすけふさ)
29才、秀才として知られる若い貴族ですが、いわば官僚としての最初の大役にかなり緊張気味です。
彼の祖父は藤原実資(さねすけ)といい、藤原道長に批判的な貴族でした。普通、そういう人は窓際族になるのですが、この人は学識豊かで、政治の知識も豊富だったので道長も無視できず、ついには右大臣にまでなっており、道長とその子の頼通の相談役として活躍し『小右記(しょうゆうき)』という膨大な日記を残しています。
この知識人としての家の雰囲気は、孫の資房にも受け継がれ、彼も若くから天皇のそば近くで働き、天皇と貴族という関係を超えた、同志的な心のつながりがありました。彼もまた『春記(しゅんき)』と呼ばれる日記を残しており、この斎王群行の記録は、その日記に書かれたものなのです。良子内親王には、野宮別当として一年間世話をしており、親友の娘以上の親近感を持つようになっています。
彼は名家の長男で、その期待通りに若くして天皇の秘書になった人物です。今なら東大から総理府に入った挫折を知らないエリート、という所でしょうか。でも、繊細で、細やかに気がまわり、あまりお高くとまってはいません。親友の娘を送り届ける、という意味でも責任を強く感じていますが、じつはこの旅の時には、奥さんが臨月で、心を少し都に残してもいます。
そして、群行の重鎮、藤原資平(ふじわらのすけひら)
53才、資房の父で、権中納言、右衛門督という高級貴族です。この旅には、群行の責任者、長奉送使として参加しています。高級貴族といっても、上の中、という所。学識豊かな常識人です。藤原実資の養子で、硬骨漢の養父に比べ、学識は豊かですが、温厚篤実で、あまり押しは強くありません。
彼はまた、ベテランの官僚でもありますから、こうした儀式には、余裕をもって当たっています。突発的な事態にも大騒ぎはしない人で、どちらかというと、「今の世の中、しょせんこういうものさ」という少し醒めた感覚のようです。そんなノンシャランとした生き方が、名家の跡つぎなんだけど、父は超えられそうにない、そうしたコンプレックスを持った彼の処世術なのです。
源実基(みなもとのさねもと)
30才位、醍醐天皇の曾孫で、祖父は政治家としても、知識人としても一流だったのに、藤原氏によって謀反の疑いで失脚させられた源高明(たかあきら)という人です。だから名家だけど、政治家として大出世することは考えにくい。そこで和歌などにこっていて、歌人としても知られています。資房とはほぼ同世代で、親友らしく、この旅でもほとんど同室に宿泊しています。
というわけで、貴族だけど、政治や権力争いには大して興味がありません。この旅でも、いささか気楽な立場です。緊張の走る旅の中でも、ムードメーカー的な役割となります。いわば私立文系、それも慶応・関学などのハイカラな学校出の文化人という所です。
勅使 源資綱(みなもとのすけつな)
18才、右近衛少将。後朱雀天皇の側近の青年貴族です。資房とも実基とも顔見知りです。かなり有能らしく、後にかなりの出世をしています。
青年貴族らしくキビキビしています。右近衛少将というのは天皇の親衛隊長ですから、見た目もかっこいいわけで、出番は多くありませんが、爽やかな印象です。
伊勢国司 橘兼懐(たちばなのかねちか)
当時の伊勢国は、東寺の荘園(私有地)や、伊勢神宮の領地、武士の持つ土地などが入り組み、とても支配の難しい所だったと言われています。そこで国司を務めるには、処世術にたけて、世慣れていなければなりません。そうした人物なので、なかなか一筋縄ではいかないのです。
この映像展示の中では、やや異色の人物で、真面目なんだろうけど、ともかく要領のいい男です。めんどくさい旅の接待など適当に手を抜いて、あとは口八丁で乗り切ってやるさ、と割り切っています。当たりのいい人物ですが、なかなか食えない、しかしにくめない所もあります。
命婦
内侍とも言います。斎王の女秘書官長で、最も位の高い女官です。公の行事の場で斎王をサポートしたり、斎王の言葉を伝える立場でもあります。何しろ伊勢国司と同等の地位なのです。
公的な場で斎王を補助をする人なので、愛情の中にも、家庭教師的な厳しさがあります。男性貴族と同等にわたりあえる能力と秘めた気の強さがうかがえます。
乳母
内親王は生まれた時に、3人の乳母を付けられます。乳母は母親に代わって子供を育てるので、乳母と内親王の関係は、親子より強いと言えるでしょう。だから母親的な愛情で時には優しく、時には厳しく斎王に接しています。
斎王の母代わりですから、当たりは柔らかく、しかし甘やかしてばかりではない、という雰囲気のある人です。斎王の髪を結い上げるというのが重要な見せ場で、静かな動きの中に優しさがうかがえます。今回の旅には、息子もつれてきています。
平安時代の貴族の日記の再現は、全国に例のないものです。こうした人たちがおりなす王朝絵巻「斎王群行」にどうぞご期待下さい。
(主査兼学芸員 榎村寛之)