第32話 映像ソフト「斎王群行」の時代
さーて、ひさびさの「斎宮百話」の更新です。
前回出てきました斎王良子内親王、じつはこの人が、新しい映像展示「斎王群行」の主人公なのです。では、今回は、この映像の登場人物についてご紹介しましょう。
新しく映像ソフトは、今から約1000年近く前、1038年に、実際に京の都から伊勢に旅をしたある斎王の物語です。まず、この物語の背景について簡単に解説しておきましょう。
今回のドラマの時代は、「貴族の時代」平安時代後期にあたります。ちょうど、あの『源氏物語』を書いた紫式部や、最も代表的な貴族といわれる藤原道長が亡くなってほんのしばらくたった頃のことです。
ヒロイン良子(ながこ、と読みます)内親王の父は後朱雀天皇といい、後朱雀の母は、紫式部が仕えた、皇后藤原彰子で、彰子の父、つまり良子の母方のひいおじいさんは藤原道長です。
あまり知られていないことですが、紫式部が生きていた時代、天皇家は二つに分かれておりました。ところが、後朱雀天皇のお妃は、もう一つの天皇家の三条天皇の娘、禎子内親王(二人は、「親どうしが従兄弟」という関係になります)なのです。つまり、良子内親王には、二つの天皇家の、両方の血が流れているという、この当時としては最高級のお姫さまだったのです。
さて、『源氏物語』を読むと、紫式部は、斎王という任務について、あまりいい印象はもっていなかったようです。たしかに、親から離れ、花の都から伊勢に行くのはたしかに大変なことです。この時代、天皇家の女性ともなると、そんな旅をすることはおろか、京を離れることさえほとんどありませんでしたからよけいにそう感じられたのでしょう。しかも伊勢の神に仕える人は、仏を拝んではいけないというルールがあったのです。この時代、貴族は早くから仏を拝み、寺に財産を寄付して、極楽に行くことを願うのが普通でしたので、伊勢の神に仕えると、成仏できなくなるかもしれない、などとも書いています。これは紫式部一人ではなく、当時の貴族のいわば常識だったのでしょう。ではどうして、そんな役に、良子内親王というピカイチのお姫さまを選んだのでしょうか。
実は良子内親王の前、紫式部の生きていた頃、斎王といえば「女王」があたりまえだったのです。女王というのは、その時の天皇から言えば、「いとこ」とか、「めい」とかで、この時代、まず会うこともない「他人」でした。娘ならともかく、よく知らない親戚の子では、斎王の待遇が次第にいきとどかなくなるのは無理のないことです。ところが、斎王も黙ってはいませんでした。良子内親王の前任の斎王が、都から天皇の使も来ている祭の場で、伊勢の神のお告げと称して、天皇家は伊勢神宮を大事にしてないから、これから悪くなる一方だぞ、とか、斎王の世話をする斎宮寮の長官とその妻が不正をしているぞ、とかいった告発を行い、さんざんに酒を飲んで大暴れをしたのです。
この事件は、酔っぱらいのたわごととして片付けることはできませんでした。何しろ神のお告げなのです。しかも、不思議なことに、斎王は神に仕える女性、つまり巫女さんの一種なのに、これまでお告げをしたことはなかったのです。それが突然、言わば国が亡ぶぞ、というとんでもない予言をしたわけですから、京の貴族たちもパニックとなりました。当然斎宮の長官はクビになって、島流しにされました。
だから、後朱雀天皇は、即位すると、言わば伊勢神宮を大事にすることの象徴として、最愛の娘を斎王にせざるを得なかったのです。こうして、良子内親王は、1036年、わずか8才で斎王と定められました。
さて、斎王の旅は群行と呼ばれ、五泊六日をかけて数百人の人々が京から伊勢に向かうという壮麗なものでしたが、その記録は、意外と残っていないのです。ところが、この良子内親王の旅だけは詳細な記録が残っていました。その記録により、私たちは、平安時代の斎王や、貴族や、そこに動員された人たちが、どんなに苦労して、「斎王を伊勢に送り届ける」という事業を行っていたかがはじめてわかったのです。
その筆者は、藤原資房、当時32才の若い貴族です。彼の父、藤原資平は、斎王を送り届ける責任者の「長奉送使(ちょうぶそうし)」としてこの旅の責任者を仰せつかっておりました。彼もまた、時に30才だった後朱雀天皇とは年も近いことから信頼あつく、斎王が伊勢に行くまでに約1年間暮らす、京の外、嵯峨野に設けられた「野宮」の管理と人々の世話をする「別当」となり、この旅にも同行することになったのです。しかも資房はその直前まで、この行列が通る近江国(今の滋賀県)の介、つまり副知事を兼任しており、父の資平は、元国守、つまり知事だったので、現地に詳しい立場でもありました。まさに責任重大だったのです。
さて、この旅は、もともと伊勢神宮の遷宮に合わせて行われるはずでした。ところが直前になって天皇の宮殿である内裏で牛が死んだりして延期され、最初から波乱ぶくみの展開となっていたのです。果たして資房はこのお役目を無事に終えることができるのでしょうか。そして良子内親王は、どのような思いでこの旅を行くのでしょうか。いよいよ公開間近です。
(主査兼学芸員 榎村寛之)