第31話 お正月によせて
すやすやすや…ぐー、すやすや…
うーん…、え、はい、ええ、起きます。もう、さっき寝たばかりじゃないの。ただでさえ、今年は大祓(おおはらえ)のあと、鬼やらいで遅くまで騒いでたんだから、ちょっとぐらいかんべんしてほしいわよね。
ええ、入っていいですよ。お召し替え、いいわよ、一人でできますから。あ、そうか、今日は白の装束で、裳も唐衣も付けなくちゃいけないんだっけ。はい、わかりました。
それじゃ行きましょうか。え、殿部(とのもりべ)が寝過ごして、寝殿前の席がまだ準備中?
もう、寒いんだから待たさないでよね、手あぶりはないの?あ、そうか、忌火(いみび)の祭が終わらないと、火は分けてもらえないのよね。
え、みなさんもっと早くから起きてるんですから、わがまま言うんじゃありませんって、え、えぇ、わかってますよ、もう、母様より厳しいんだから。え、温石(おんじゃく)があるの?わぁうれしい、埋め火に石を入れて温めてたのね。ああ、ただの石ころなのに、ふところが暖かいわぁ。偉いっ、前言撤回しまーす。
準備できた?そう、あ、蔀(しとみ)が上がった、まだ松明(たいまつ)の炎がないと真っ暗よね。そうか、元日だから新月なんだ。はい、そろそろ行きます。
※ ※ ※
ふうっ、終わったおわった、今年の初仕事。ちゃんと私の気持ち、通じたかしら、何しろここからでも、ほんとの初詣だもんね。これをまじめにつとめないと、天変地異がおこっちゃうかも。かなり責任重大よね。もう三回目だけど、やっぱり緊張するわ。
さて、と…少し仮眠しようかしら…え、お薬の用意ができました…あ、そう。
もうっ、これ嫌いなのよね。なんだか知らないけど、苦いお薬を飲む儀式、身体にいいから、育ち盛りの人は必ずしなくちゃなりません、なんて、薬部長(くすりのかみ)のお爺さんがうるさいったらありゃしない。それにしても変な色、いったい何種類の薬を煎じてるのかしら、ええ、わかってます、私のためなんだから…うっ、やっぱり苦いっ。
…お食事の用意ができてます、って、はいはい、膳部(かしわで)の人たちにご苦労さまって、ね。
年に一度の特別食だから、作るのも大変よね。あ、鳥のささみがついてる。私、これが好きなんだ、滅多に出ないからうれしいな。…ねぇ知ってる?昔はこれって、猪と鹿のお肉だったんですって、私それでもいいな、食べたことないもの、え、獣の肉はだめ?いいじゃない、神さまはお許しなんだから…おしゃべりばかりしないで、お魚もお野菜も食べて下さい?わかってますよぅ。こんなにあるんだから、全部食べられるわけないし。だいたいほとんど生ま物か干物で、今日は暖かい汁物はないし。お酒までついてる。義務だから飲まなくちゃいけないのぉ…もうっ、私まだ成人前よっ。
さ、一通り箸を付けました、あとは皆さんでどうぞ、じゃ、私は少し休憩…、え、男の人たち、もう集まってらっしゃるの、このままご挨拶なの?、ちょっとぉ、お白粉と口紅だけなおしてちょうだい。
はい、御簾(みす)を上げていいです。あ、上がった上がった。みんな集まって礼をしてるわ。男の人たちはそういつも見るわけじゃないけど、三年もいるとだいたいどの顔も見慣れてきたわね。みんな寝てないのかなぁ、何だか目がしょぼしょぼしてる、あ、あの締まり屋の寮頭が先頭だわ。今年はちゃんと女の人たちにもお給料を支払ってあげて下さいよ。自分のふところばかり暖めないでね…。え、何かお言葉を?はい、いつもご苦労さまです。皆さんあっての私です。今年もよろしくお願いしますってお伝え下さい、それからかずけ物を皆さんに、都から取り寄せたお衣装がいいわ。
※ ※
さあこれで元日の勤めはおしまい。もうお昼もまわってるのね。男の人たちはこれから宴会?、そう、いいわね。え、私、いえ、子供ですから宴会はだめよ。お酒飲んで少しふらふらするし、みなさん行きたければどうぞ。お正月ですもの少しは羽目をはずしてもいいわよ。でもね、斎宮の女官なんですから、礼儀と節度は忘れないでね。
あ、そうそう皆さんを集めて下さいな。えぇ…えへん。内侍(ないじ)、乳母をはじめ女官、女孺(にょじゅ)、そのほか女性職員の皆さん、今年もよろしくお願いします。男の人たちは二言目にはお金がありませんの繰り返しですけど、私たちが神様にお仕えしていることで、社会の平安が保たれているんだ、っていう自覚を持って、あの人たちに負けないように、しっかりお勤めいたしましょう。私はまだ子供で、至らない斎王ですが、今年も神様にしっかりお仕えするつもりですので、皆さんも助けて下さいね。
じゃ、私、休みますから、あ、手紙を書きますので、明かりを下さいな。都の藤原資房殿に。
…手紙を書き終えた彼女は御帳台に入って、まもなく安らかな寝息を立てはじめました。こうして斎王良子(ながこ)内親王の元旦は暮れていきます。時に長久二年(1041)、良子斎王は13才(数え)、斎宮に着任して三年目の正月のことでした。
斎王の正月元日の儀礼
元日 神宮遙拝
供薬・歯固の儀
寮官以下の斎王拝賀
忌火・庭火祭
儀礼の順は『江家次第』に記された宮中での儀礼を参考にしました。
(主査兼学芸員 榎村寛之)