第5話  博物館と桜

 えー、世をあげてお花見のシーズンなので、今回は桜の話題なのです。でもHP管理をしているA学芸員がかなり忙しそうなので、果たして花の咲いているうちにUPされるかどうかハナハダ不安です。A氏は本館学芸員の中で利用者人気ナンバーワンで、いつきのみや歴史体験館のスタッフ人気ナンバーワンなので、掲載を強制して敵に廻すのもなんだかなぁ・・・、まあ、とにかくまだ皆様の周りで咲いていたらラッキーということで桜の話。

 博物館の周りにはあまりいい桜はありません。館ができた頃に植えた北や南の芝生広場のソメイヨシノの並木は、最近ようやく少し絵になってきた、という所です。館の西側には、館ができる以前からあった野生の桜(おそらく里桜)のまあまあの木が三本ほどあるのですが、点々としています。博物館の前庭には、奈良から寄贈された三月上旬に咲く里桜があるのですが、これも残念ながら目立つほど大きくはありません。斎宮駅から博物館に向かう散策路には八重桜の並木が成長途中で、四月後半頃が見所です。

 ただ、博物館から南に500mほど行った近鉄線の向こう側には、樹齢何百年?って感じのいい里桜があるのです。これが咲くと、あー本格的な春だなぁ、と思うのですが、ここで花見をする人影はありません。なぜって、実はお墓の中なのです。

 さて、平安時代の斎宮では、どうやって季節感を味わっていたのでしょうか。斎宮の体系的法典である『延喜式』の「斎宮式」では、斎宮の周囲には堀を巡らせ、その周りには松と柳を植えるという規定がありました。この管理は斎宮寮の門部司がすることになっていましたので、立派な斎宮の「街路樹」だったわけです。とすれば、柳の芽吹きで斎宮の人々は春を感じていたと思われます。

 ところで、斎宮と花といえば、あまり知られていないのですが、『蔵玉和歌集』という本があります。これは草木の異名を読みこんだ歌を集めたという変わった歌集なのですが、その中に「斎宮花盡」という本からの引用がいくつか見られるのです。これが本当に斎宮で詠まれた歌なのか、仮託されたのか、もし本当に詠まれたのならいつごろのものか、など、詳しいことは全くわからないのですが、お座興にいくつか紹介しましょう。

  柳を風見草という
 梓弓はるの梢に風見くさのとけき色のうちなびくらん
  桜を他夢化草という
 雲はなお立田の山の手向草ゆめの昔のあとの夕くれ
  つつじを火取草という
 花さけは秋かとぞ思ふひとり草みるに紅葉の色にまかへは

 春の花についてはこういう所、柳が風見草というのはわかりやすいです。ツツジが火取草というのは火のような色からでしょうか。花を伏せると中で炎が燃えている火取籠の形に似ているようでもあります。しかし桜が手向草というのは少しわかりませんね。

 最後にもうひとつ桜の歌を。『斎宮女御集』に、「斎宮つくりかえたるころ、昔見けるはやくの宮を見やれば花さきたるを、ながめやりて」という詞書で、

 をる人もなき山里に花のみぞ昔の春をわすれざりける

 ふるさとに枯れず咲くらん花よりもあだなる世こそかなしかりけれ

 昔見しにほひ変わらず咲く花を霞へた゜ててながめやるかな

 ふるさとといかでなりけむ花見れば昔今とも春はわかれて

 このほかにも規子内親王の返歌などいくつかの桜の歌が見られます。斎宮女御が斎王として斎宮にいたころ、内院で咲いていた桜が、内院の場所が移ったのに昔の所に咲いていた」というわけでしょうか。斎宮内院の庭でも、春を告げる花はやはり桜であったようです。

(榎村寛之)

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