第4話 風と斎宮
テレビで言っていた話なのですが、春一番、というのはあてにならないものだそうですな。まぁ日本列島の北半分に雪が残っている頃に吹く風なわけですから、これで春が来たよ、というのは北国の人には片腹痛いことでしょうな。実際、今年は伊勢でも三月になって風花が舞う日が続き、なかなか春が遠いなぁ、という感じでした。ところが一方で、石垣島あたりに行きますともう海開きがどうの、というニュースがあるくらいで、この列島も広いものですな。まあこのエッセイがアップされているころには世間は春になっておりましょうが。
さて、風といえば、『万葉集』や『古事記』『日本書紀』などでは、伊勢の枕詞を「神風の」と申します。三重県、特に斎宮にいると、この言葉が身にしみることがあるんですな。なにしろ「冬の季節風が強い」所なのです。
筆者は近年、健康のため自動車を止めて電車通勤しています(妻は社会への迷惑防止のためとも言うのですが、その理由はわかりません。何しろ彼女は助手席に一度しか乗ったことがなく、その後絶対に乗ろうとはしない人なのですから・・・)。そのため近鉄斎宮駅から博物館まで毎日歩いているのですが、これが大体北西に向かうことになります。この道に時々大変つらい風が吹くのです。
どのくらいつらいかというと、ひたすら頭を下げて背中丸めてやりすごさないと前に進めないくらい。もし自転車に乗っていようものなら、降りて押さないと前に進めない、というくらい。博物館にたどり着く頃には手足の感覚はなくなり、顔は笑いが貼りついて、というくらい、つらいわけです。
雪国の人に比べれば大したことはない、とはいえましょうが、この時期の通勤は少し厳しいものがあるんですな。
この風は海の方から吹いてきます。海風というと割合暖かいイメージがありますが、この風に限ってはかなり冷たいのです。なぜか?といいますと、もともとが日本海から吹いてくるかららしいのです。。
突然話は変わりますが、東海道新幹線は雪に弱いようです。それも大抵関が原あたりで雪にやられています。これは、関が原から福井県の方まで谷筋が続き、日本海を渡ってくる冬の季節風が山に当たらないまま、つまり雪雲のままで南下してくるからなんだそうです。つまり、関が原あたりだけは日本海側の気候の難所になっているというわけですな。
昔の街道もそのへんをよく考えているようで、東海道は関が原を通っていないのですね。この道は難所の少ないルートを選んで設定されているので、草津から南西に折れ、伊勢に向かっていきます。関が原は難所の多い東山道(中仙道)に入っています。
そしてここに吹きこんだ風は、南東にいくつも伸びる谷筋に抜けていくのですが、この谷筋の先が三重県になるのです。だからもし日本海を超えて雪風が来たら、三重県でもその風の通る先に雪が降ることになります。こうして桑名や鈴鹿や津や松阪に雪が降ることがあり、そしてこの風は海に出ていくのです。
ところがこの風はそのまま南方海上に去る、というわけではないのです。お手元に地図があったら見て下さい、伊勢湾の南には、まるで壁のように志摩半島が突き出しているのです。例えば関が原と四日市を結んで、その線を延長すると、海を越えて伊勢市と松阪市の間くらいに達します。だから海上に出た風も、ふたたび上陸するわけです。そして上陸地点のあたりには、櫛田川・宮川などの河川の氾濫原である低湿地帯と、舌状に張り出した台地が交互に並んでいます。その台地のひとつ、明野原台地の上に斎宮跡は位置しているのです。なにしろさえぎるもののない台地の上ですから、実に風が吹き抜けやすい環境になっているわけなのです。実際松阪市や伊勢市は「風の町」ではありません。
シベリアから日本海を越え、本州を突っ切り、伊勢湾を横切り台地の上を吹きすぎていく季節風、これが「神風」の正体ではないのかなぁ、と寒風にあおられつつ、何の根拠もなく思う筆者なのでした。
(榎村寛之)