第3話  みんなでつくろう展覧会によせて

 みんなでつくろう展覧会「絵巻を創る」の研修過程で、『源氏物語』の「須磨」巻を参加者の皆様と通して読みました。今回はその時に気づいた話を少し。

 この「須磨」巻というのは、ちょうど光源氏の青春期から成年期へのターニングポイントにあたります。つまり「須磨」までが「源氏・青春編」ともいえる構成になっているわけです。
 以前アニメになった『源氏物語』も須磨に源氏が旅立つ所で終っていたし、田辺聖子さんの『源氏』のパロディー小説も、須磨に来た源氏が、地元の海女、明石と馴染む話で終っています。『源氏』を最初から読んできても、ここで脱落する人が多い、という所から出てきた「須磨帰り」という言葉がありますが、ここでいわば第一次の完結をするので、精神的に一つのキリとなってしまうのでしょう。

というわけで、「須磨帰り」だけはしないでいいですね、と冗談を飛ばしながら読んでいったのですが、これがなかなか奥行きの深い構成の巻なのだな、ということがよくわかりました。国文の分野では当たり前かもしれないので、ここで書くのもおこがましいのですが。
 まず、須磨は「いと、里ばなれ、心すごくて、海士の家だに稀」とされ、すごい田舎とされます。そして須磨に行った源氏は、在原行平や菅原道真になぞらえられ、一層哀れが増すわけです。ところが一方、須磨は明け方に都を出て、舟で午後四時頃には着くという距離と描かれています。江戸時代の京都−大阪を結んでいた三十石舟が、京の伏見を深夜に出て、大阪の八軒屋の浜に早朝に着くといいますから、さらに十時間位というのは、なかなかリアルな距離ですね。なのに「三千里の外」の心地という表現がされます。つまり平安時代の宮廷社会の人々、特に『源氏物語』の読み手である貴族女性にとって、片道十二時間というのはむちゃくちゃな精神的距離だったわけです。

 ところが作者の紫式部は、厳密に言うと貴族ではなく、準貴族級の家柄です。そしてお父さんの藤原宣孝が越前守になった時には、現地に付いて行って、田舎暮らしも体験しているのです。だから「ゐなか」に対してはもっとリアルな認識を持っていたはずで、貴族たちの意識とは微妙に違っていたはずです。つまり、ここで語られる須磨は、都を出ることもまれな宮廷女性への受けを狙った「作者の創作した須磨」であり、紫式部は光源氏の憂愁を書きつつ、「実際はそんなでもないのよ、坊や」と笑っていたのかもしれません。
 そこで、じゃ、斎宮はどうか、というわけなのですが、都から斎宮までは5泊6日、最速でも3日かかりますから、都の貴族女性、特に内親王などの「超・深窓の令嬢」にとって、まさに地の果て位遠い所、という感じだったのでしょうか。そういえば、宝塚歌劇の「花の業平」で斎王恬子内親王を演じた琴まりえさん(好演!)の台詞で「こんなところ(斎宮)にたった一人で・・・」というのが、すごく真に迫ってました。やっぱり現地を見ると違う???

 さて、須磨の巻のもう一つの特徴として、源氏に関わる過去の女性との交渉が盛んに語られていることがあげられます。源氏の須磨への退去を聞いて、紫の上はじめ、花散里、藤壺の女院、朧月夜、そして故・葵の上付き女房の中納言の君などがそれぞれに悲しむシーンがあり、また須磨へ移ってからは、紫の上、藤壺の女院、朧月夜、花散里、そして斎宮にいる六條御息所とも文をやり取りする描写がかなり長く続きます。中でも、葵の上の死を巡り、さらに伊勢下向を巡っていろいろといきさつのあった六條御息所との仲の修復はいささか唐突です。しかも須磨から伊勢へ書簡を送るというのは、政治的なものと誤解される可能性もあり、謹慎中の身ではいささか危険で軽率な気がします。このようにどうも不自然な部分なのですが、この巻には六條御息所に出てもらう必要があったと考えるのはいかがでしょうか。

 つまり『源氏物語』は、「須磨」の巻まで読むと、過去の主要登場人物を整理できるという構成になっているのです。男性や悪役まで見ると、左大臣、前・頭中将父子や、朱雀院、故・桐壷院の亡霊、もちろん「おそば去らず」の惟光や、弘徽殿の大后まで出てくるのです。つまりこの巻は「若菜」の巻と並んでオールスターが出揃う、「源氏・青春編」の終りにふさわしい豪華な構成になっているといえるでしょう。

 そしてこの巻の終りで、源氏は須磨を離れる決意をします。須磨から明石への移動はJRなら10分程度の距離ですが、『源氏物語』の世界では非常に大きな意味があります。まず、畿内から畿外に離れること、須磨は摂津国の西の端で、畿内(京に準ずる五カ国、山城・大和。摂津・河内・和泉)の西の境界線上で、つまり都の周りの一番田舎、という立地です。ところが、明石は播磨国で、都の貴族にとってはまさに境界のかなたの別世界なのです。ここで源氏は青春期に決別することになります。そしてこの移動が、故・桐壷院と海の神の諭しによるもので、いわば源氏への加護ポイントの増加となり、運気が変わることになります。さらに、明石の上という女性との出会いが待っています。明石の上は、故・葵の上に似た女性で、桐壺更衣−藤壺女院−紫の上−女三の宮と続く、源氏の「母恋い」路線の美女とは一線を画しており、きわめて現実的な女性として描かれています。そして明石の上と、彼女が産んだ明石の姫を介して、源氏の政治人としての冷徹な性格が次第に強調されていくようになるのです。その意味で、「明石」は、まさに「源氏・栄光編」のオープニングにふさわしい巻となるのです。

 さて、こうした「須磨」の巻の特徴は、『源氏物語』のストーリーの中で須磨の巻が果たしている役割で、巻自体の構成から言えば、サイドストーリーに過ぎません。現在進行形で語られているのは源氏の嘆きであり、須磨の不本意な生活なのです。
 では「須磨」巻とはどういうストーリーなのか?。「絵巻を創る」で展示する『源氏物語須磨巻絵巻』は、まさにそうしたメインストーリーの部分のみで構成されています。知りたい方は、是非とも博物館にお越しになり、ごらん下さいますように。

(榎村寛之)

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