第15話 学芸員の秘密の役得
ご好評を博しました秋の特別展『斎王の読んだ物語』も無事に終了いたしました。お越し下さいました皆様、ありがとうございました。来られなかった皆様、大変残念でした。
さて、展示室の片付けも無事に終わり、担当の岸田学芸員は、今週、来週と館にはほとんど現れません。借用資料の返却に出ているのです。
博物館ではどのようにして資料が並び、片付けられるのか、社会では意外に知られていません。かくいう私も学芸員になるまで知りませんでした。基本的には、所蔵者と交渉して、日程を調整し、美術取扱部局のある運送業者から美術品専用車(美専車)と呼ばれる、クッションなどを改造した特別のトラックを運転手ごとチャーターして、借りたり返したりするのです。
この手続きが結構大変で、実際に物を借りる現場も、かなりの緊張感が伴うものなのですが、それはさておき・・・。
このトラックに学芸員が乗るかどうかは、各博物館によって違います。トラックと現地集合して、積み込みを確認すると別行動、という所も少なくないようです。しかし斎宮歴史博物館では、開館以来学芸員は、トラックに借用品が乗っている時は同乗すること、というやりかたを通しています。万一の輸送中のトラブルで、担当者がいた方が解決しやすい、ということもありうるからです。
と、いうわけで、展覧会の担当学芸員は、借用・返却時に1〜2週間はトラックに乗り詰めの長期出張をすることになります。今回で言えば、東は千葉県から西は福岡県まで、2トン半の美専車で旅をすることになります。この長期出張をいかに健康で過ごすか、も学芸員の大事な仕事になるわけです、何しろ担当が倒れると、展覧会がストップするわけですから。
そこで問題になるのは、このトラックに乗っている時間をいかに過ごすか、ということです。確かに1週間以上乗り詰めというのは大変で、いわば膨大な空き時間ができることになります。しかし、基本的に使用するのは高速道路、道は良くて、エアーサスペンションと言って、美術品にやさしいということは、乗り心地は普通の車よりずっといい、しかも、どこのトラックでも学芸員は後部座席に座り、一人で行く時は、そこを独占できる・・・、となると、人によって色々な使い方が出てくるのです。
何しろ学芸員というのは、日頃は細々とした雑用の多い仕事で、勤務も変則なので、こうしたまとまった時間はなかなか取れません、そこでこれを機会と、各人が密かな楽しみを持って乗るわけです。
私の場合、もともと車に強くなかったので、一日乗り詰めは最初は苦痛でした。ラジオ付小型カセットデッキで、音楽や演芸のテープを聞く、その地域のラジオ放送を探して聞く位で、あとは寝る、程度しか方法がなかったのです。しかし馴れとは恐ろしいもので、今では普通車で一般道路を走っていても文庫本が読めるようになりました。こうなったらしめたもの、日頃は読む時間のない厚い本や、専門書の一気読みをするには格好の時間です。何しろ高速道路、休憩施設はあちこちにあるから、食べ物と飲み物には不自由はない、まさに書斎としてはこの上もない環境です。その他にも論文の構想を練ったり、いろいろと考え事をするのにも最適の環境。携帯電話のなかったころはまさに陸の孤島状態だったので、全く趣味の世界に浸ることができました。最高だったのは、島崎藤村の『夜明け前』を秋田から斎宮までのほぼ二日の行程で全部読んだ時。借用を終えてもう博物館に帰るばかりの車内で、読んで、寝て、食って、また読んで、の繰り返しは、うーん、極楽極楽、という時間だったのです。一日に何箇所か廻る時は、短編小説か章の短いものがいいようです。柴田錬三郎の『眠狂四郎シリーズ』とかが肩がこらず面白かったですね。
その他、いわば長距離旅行で、夜は6時頃にはフリータイムになりますから、各地でおいしい店を探したり、逆に早く寝て朝に早朝ウォークをしたり、人それぞれに楽しみがあるようですが、その話はまたの機会に。
(榎村寛之)