第14話  斎王の名前について考える

 斎宮歴史博物館では、斎王の名前を「訓読み」にしています。「恬子」は「やすこ」、「雅子」は「まさこ」という具合です。これについて時々問い合わせがあるのです「テンシ」「ガシ」ではないのですか、と。
 実は平安時代の女性の名前は、一部を除いてよくわかっていません。本名を音読する機会がほとんどなかったからなのです。しかもわかっているのが、藤原良房の娘で、文徳天皇の妃、藤原明子の「あきらけいこ」、その子の清和天皇の妃になった藤原高子の「たかいこ」など、なかなか普通ではない読み方なのです。だから、例えば「彰子」が「あきこ」なのか、「定子」が「さだこ」なのか、全く確証がないのです。そこで、明治以来、国文学界を中心に、便宜的に音読みするというルールができ、「ショウシ」「テイシ」と読まれることが一般的になった、ということです。
 たしかに「あきらけいこ」はすごい変則読みなのですが、少なくとも「ショウシ」よりは「あきこ」に近い。そこで最近は、その漢字の意味から、「およそこのへん」という読みをする場合が増えてきています。じつは斎宮歴史博物館では、開館当時どういう読みにするか、誰も決断できなかったのです。結局年表製作のタイムリミットが迫ったことで、それぞれの漢字の名前として使うのに最も適当な読みを選んだにすぎません。
 ところが、ここに平安時代の女性名をうかがわせる資料があるのです。
 9世紀前半頃を中心に、三文字からなる女性の名前が好まれる時期、というのがあります。もともと女性の名前に「子」をつける事例は奈良時代には極めて少なく、藤原不比等の娘の藤原宮子(聖武天皇の母)と藤原光明子(聖武天皇の妻)がよく知られている位です。しかも光明子は、安宿媛というのがもともとの名ですから、まだ「子」のつく女子名は一般的ではなかったといえます。ところが、平安時代初期、『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』などになると、「子」のつく名前が増えてくる。それも、9世紀前半には、「○子」と「○○子」というのが混在していたのに対し、九世紀中ごろから、「○子」が優勢になっていく、という経過が見られるのです。
 この「○○子」名には、なかなか興味深いものがあります。例えば「石川伊勢子」「田口美濃子」という名、これは明らかに国の名前を意識していますから、読み方は「いせ」「みの」と考えられます。ならば地名も同様、「藤原奈良子」は「なら」、「藤原丹生子」は「にゅう」と読まれていたことになります。つまり三文字名前は基本的に「万葉仮名」的な一字一音表記にしているわけです。
 ところがこれらの名前は、後世にはあまり見られるものではありません。この他にも、例えば「坂上御井子」「藤原乙名子」などというのも同様です。どうもこうした名前は、奈良時代の、「○○女(・・・め)」とか「○○刀自(・・・とじ))」とか「○○娘」「○○郎女」「○○嬢(いずれも・・・のいらつめ)」「○○媛(ひめ)という代わりに「子」にしていただけかもしれないように思います。つまり、奈良時代なら「伊勢媛」とか「乙名女」だったのが、「伊勢子」「乙名子」になったというわけ。
 ところが、三文字名には、美称的な名も見られるのです。例えば「藤原佐禰子」「藤原度茂子」「藤原多美子」「藤原佳珠子」などの名前です。これらは「実子」「智子」「民子」「和子」にも変換可能です。つまり、これを逆にいうと、「実子」「智子」「民子」「和子」
などの表記は、少なくとも訓読されていた可能性があった、しかもそれは、小難しい読み方ではなく、現代に通じる発音が多かった、ということになりましょう。とすれば、他の「美称系」の二文字名前(「良子」とか「芳子」とか「美子」とか)もまた、同様に考えることができるわけです。

 もちろん、「あきらけいこ」や「たかいこ」など独特の読み方もあったのでしょうが、ここで面白いのは「藤原多賀幾子(文徳天皇の女御、藤原良相の娘)」という名です。これは「たかきこ」という珍しい読み方なのですが、これを普通に書くと「高き子」となり、もしも漢字だけで表記するなら「高子」「貴子」「隆子」などと書いて「たかきこ」と読ませるところでしょう。ところがこの場合、形容詞的な語尾まで音表記している。つまり「万葉仮名」的な表記では、音の通りに書いていた可能性が高いのです。
 このように考えると、逆に「藤原明子」がもしも「多賀幾子」的に表記されれば、「安貴良気意子」みたいに書かれていたということになります(うーん、字の選択が下手、暴走族みたいになった)。
 ただし、別の可能性もあるのです。「藤原可多子」という人がいました。この人は春日斎女(藤原氏の中から選ばれ、春日神社と京の近郊の大原野神社の祭に奉仕する女性、九世紀の一時期だけに見られ、斎王に準じた扱いを受けた)となり、その任命書が『類聚三代格』に載っているのですが、その書きこみに「カタノコ」とあるのです。これは写本の一つである「前田家本」にのみ見られる書きこみで、もともとそう読まれていたという確証は全くありません。ただ、この書きこみに一定の根拠があるのなら、助詞「の」だけは表記の慣習がなく、例えば「度茂子」は「とものこ」「佳珠子」は「かずのこ(笑)」と「の」を入れて読んでいた可能性もあるわけです。
 また、今のところ気のついた三文字名には、「よしこ」(良し+子)、「やすこ」(やすし+子)などの「形容詞型+子」という表記と断定できるものが「多賀幾子」以外にないのです。つまり、例えば「民子」のような名詞+子(雪子とか、規子とか、花子とか)は「○○子」だけれど
、形容詞+子は「多賀幾子」にならって「○○き子」(「よきこ」とか「やすきこ」)だったかもしれないのです。
 というわけで、確証はないものの、「○子」は訓読みだったという方が可能性としては高いように思われるのです。
 さて、そう考えると、斎王の名前で、読み方をほぼ断定していい人はどのくらいいるでしょうか。9、10世紀の斎王でいうと、名詞+子のグループとしては、氏子(淳和朝 823〜827斎王 うじ+子)、元子(宇多朝 889〜897 もと+子)、輔子(冷泉朝 968〜969 すけ+子)規子(円融朝 975〜984斎王 のり+子 斎宮女御の娘)などはほぼそれでいいか、「子」の前に「の」を入れる程度の訂正ですむのかなぁ、という感じがします。一方わからないのが、「よしこ」「やすこ」などと訓読できる人です。たとえば「恬子」(清和朝 859−876 『伊勢物語』の斎王)などは、「やすこ」と読むのが普通ですが、形容詞+子なので「やすきこ」とか「やすらけきこ」などと読む可能性があるわけです。
 このように、平安時代の女性名については、なかなかわからない点が多いのです。

(榎村寛之)

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