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学芸室だより リニューアル版

「はじめて担当した展覧会」

2007年2月(第8回) 担当:道田美貴

いまからおよそ10年前の1996年11月、松尾芭蕉が書き記し、門人野坡が所持していたという『おくのほそ道』が発見されました。その後、その『おくのほそ道』が自筆か否かという論争がおき、一大「奥の細道」ブームが巻き起こったことはご記憶の方も多いのではないかとおもいます。雑誌では特集が組まれ、関連書籍も相次いで出版されました。もちろん、当時学生だった私もその騒動は知っていましたし、芭蕉が伊賀出身であるという程度の知識がないわけではありませんでした。が、まさか、美術館で仕事をはじめてわずか半年後に《松尾芭蕉とおくのほそ道》なる展覧会を担当することになろうとは知る由もありませんでした。

学芸員として仕事をはじめたのが4月1日。展覧会の初日は10月19日。展覧会の担当だと知らされたのはおそらく5月に突入していたように思います。約5ヶ月間は、作品のリストアップ出品交渉図録の制作等々が雪崩のように押し寄せてきて、はじめての仕事にとまどうばかりの毎日でした。それでも、岡本勝先生、櫻井武次先生に展示構成や文学資料の選定についてご教示をいただいたのをはじめ、多くの方々に支えていただきなんとか展覧会はオープンしたのです。毛利学芸員をはじめ、諸先輩にも数え切れないほどフォローしていただいたのですが、中でも、田中学芸員に、「ぼく、もういらんからこれあげるわ。」といただいた、出品をお願いする際の手書きの「虎の巻」は涙がでるほどうれしいものでした。この「虎の巻」のおかげで、気が重かった出品交渉から逃げずにすみました。それだけでなく、はじめての展覧会以降とぎれることなく続くことになる展覧会で、その内容を会得しぼろぼろになるまで活用したのでした。

さて、精神的にきつかったのが出品交渉なら、肉体的にも厳しかったのが集荷・返却作業でした。美術品専用車で西に東に文字通り飛び回りました。中でも、雪で覆われた真冬の出羽三山に美術品専用車で乗り込んだときの怖さは到底語り尽くすことはできません。出発前から、この季節に大丈夫なのか?という漠然とした不安はありましたが、大丈夫、これからますますひどくなるからいまのうちに、というアドバイスに後押しされ出発。生まれも育ちも関西の私にとって出羽三山の雪は想像を絶しており、吹雪の中のチェーンつけに苦戦するドライバーさんを横目に、「もうあかん、生きて帰れないかもしれない。でも、なんとか作品だけは守らねば。」と必死の思いで考えを廻らしました。今となっては笑い話ですが、仕事中に命の危険を感じたのは後にも先にもあのときだけです。その時、運転してくださっていたドライバーさんは今でもお会いする度に、「あの時は本当にもうだめかとおもいましたよ。」とおっしゃっています。経験豊富なドライバーさんの記憶にのこるほど過酷な出羽三山をはじめ、東北から九州まで心身共にハードな集荷・返却を経験したのが、私の「はじめての展覧会」でした。

涙なみだの「はじめての展覧会」から、もうずいぶん時間がたちました。多少なりとも経験を重ねた現在、時折、「学芸員には何が必要ですか?」という問いをうけることがあります。私が迷うことなく「気力と体力です」と答え続けているのは、はじめての展覧会でこのような経験をしたからに他なりません。

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