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学芸室だより リニューアル版

お題:学芸員の仕事紹介B 原稿執筆と校正作業

2006年4月27日(第3回) 担当:田中善明

人間だれにでも、得手不得手がかならずあります。不得手な部分を、どういうかたちで補っていくか ― 得意な分野をぐっと伸ばしてトータルで帳消しする方策なら苦になりませんが、不得手な部分を克服しようと考えてみますと、かなりのストレスが伴います。何十年も不得手としている分野は、「不得手」だという強烈な意識があるかぎり克服はむずかしいといえます。

 いったい何を弁解しているのかといいますと、単純に僕は原稿書きを苦手としていることを言いたかったわけです。それだけです。ところが、美術館活動にはさまざまな原稿書きの仕事があります。僕にとってストレスを感じないで済ませる原稿は、各種仕様書や修復、調査の報告書類だけです。なぜなら、それらはアイデアや独自性を介在させることよりも、忠実(単純)に抜かりなく記述することに重点が置かれているからです。一方、研究論文となりますと、こちらは膨大な調査を踏まえたうえでの、あらたな見解が要求されます。しかし、もっと難しいと僕が思えるのは展覧会カタログの原稿です。展覧会カタログの原稿は、研究者向けではなく、読みやすさ、わかりやすさが最優先される性格のもの。やさしい言葉で表現するということは、専門用語で済ませて(ごまかして)きたところを、ひとつひとつ専門用語の定義を確認しながら砕いていく作業です。これは脳を酷使します(僕だけかもしれませんが)。展覧会に足を運んでくださった方なら誰にでも理解ができるよう、原稿を書ければ、それで目的は達成されるわけですが、それだけでは物足りないと思うのが学芸員。かなりの無理をして、研究論文並みのあらたな見解を織り込もうとします。しかも、展覧会カタログの原稿を執筆するのは、おおよそ展覧会がはじまるひと月前あたりにピークがまいります。印刷技術の向上で、製本までの工程がかなり短くなり、そのため展覧会作品の集荷(他の所蔵者から作品を拝借する作業)の調整、展示計画、広報活動などと時期がぶつかるようになりました。ここで100%以上の力を発揮して、倒れた人もいます。

 

 さて、ここで自分のブザマな体験を披露させていただきますと、もっともつらかった原稿が1995年に開催した「20世紀日本美術再見T 1910年代 〜光輝く命の流れ」展です。この展覧会は、1910年代という、近代美術の一大転換期の様子を、絵画、彫刻、工芸、建築などのさまざまな分野から紹介し、再考するという企画で、複数の学芸員がそれぞれの分野でかかわりました。出品予定点数は膨大になり、出品交渉を含めた全体の調整は、かなりの時間を要し、開催2ヶ月前までその作業がつづきました。そしてお次はカタログ原稿の執筆。テーマ性のある展覧会でしたので、章ごとの解説が重要でした。いくつかの章立てのうち僕は「西洋の新たな発見と模索」、「個性主義の諸相 様々な実験」を担当。この時点でさえ全体のイメージを十分に描ききれなかったのは、とても反省すべきところですが、章解説は難航し、書き終えた時点で、「あしたのジョー」最終ページの状態になってしまいました。そして、各論。章解説の締め切りを守れなかったため、各論に費やすことのできるのは3日程度。頭の中はかぎりなく真っ白。何も文字が浮かびません。少し書いては消し、そしてまた書いては消しの連続で、結局締め切りに間に合わず、使えそうな資料をたくさん携え、そのまま作品集荷の旅に出ました。移動中の美術品専用車の後部座席で資料を広げ、原稿を書き、一日の集荷が終わってホテルに戻ると朝日がのぼるまで悶々と原稿用紙に向かう。書きたいことが無い状態とは恐ろしく、いつまでたってもすすまない。カタログ印刷会社からは何度も原稿催促の電話。もう、これ以上入稿しなかったら展覧会初日のカタログ発売に間に合わないところまでもつれこみ、集荷の最終日、印刷会社近くのファストフード店に駆け込んで清書。文字校正は、会社のご好意で一度だけさせていただきました。

 

 とにかくこのときほど、失踪しよう、学芸員をやめて楽になろうと考えたことはありません。原稿を書くには、やはり実物作品を前にしないと無理です。展覧会は事前の作品調査が命です。ということで、出張のときにも原稿が書けるよう、迷わずパームコンピュータを購入したのでした。

 

「20世紀日本美術再見T 1910年代 〜光輝く命の流れ」展

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