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常設展示1999年度【第2期展示】1999年6月30日-1999年9月26日

第1室:大正・昭和の洋画

 前田寛治の《裸婦》でもっとも印象的なのは、大胆な色面で描かれた肉体、赤や白の布類に見られるはげしい筆遣い、そして識別不可能な、というより色そのものを主張する背景である。つまり、色を主とした造形性にまず目がいくわけで、抽象の域にまで達した絵画とさえ思う。

 ところが、この作品を制作した年、寛治はこんなことを言っている。「私たちは燃えるような生命の写実が必要である、如何なる絵画にも此の生命の感動と優れた写実がなければだめである」。寛治はあくまで写実にこだわっているらしい。ただ、伝統的な写実技法に生命感、実在感の欠如を感じているのである。とすれば、《裸婦》では生命感なり実在感なりが、造形的にいっきに解決されていることになるのだろうか。いずれにせよ彼はむづかしいことを言う。「燃えるような生命」という主観的な問題と写実という客観の問題を同時解決だなんて。

 戦前の洋画史をひもとくと、写実と主観の問題は、二つの方向舵として画家たちを苦悩のうちに導いてきた。とくにこの主観とは苦しみ、愛情、感動、陶酔など生命感情的なものであり、『白樺』が「内的生命」としてセンセーショナルに方向づけして以来その功罪は大きい。

 1909(明治42)年、フランス留学から戻ったばかりの高村光太郎がマチスの画論を翻訳し、『スバル』9、10月号に紹介した。光太郎は、マチスの肝心要の言葉を「何を措いても私の得ようとしてゐるのはエキスプレッションである」と訳し、エキスプレッションを日本語にあえてなおさず、そのままカタカナにした。このことは今となっては興味ぶかい話で、なぜならその後の解釈によって、マチスの真意から大きく離れてしまうのである。ここに、洋画の運命のターニング・ポイントのひとつがある。

 1912(明治45)年、『白樺』1月号に掲載された柳宗悦の「革命の画家」は、ルイス・ハインドの本にもとづきながらゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、マチスらを「後印象派」の画家として紹介し、彼らを「表現派の画家」として位置づけた。ここに登場する「表現」こそ、マチスの意図とは異なるエキスプレッションの解釈であり、ゴッホはともかくマチスの絵画までが表現の絵画、つまり「内的生命の表出」の絵画として解釈されたのだった。

 絵画とは…という命題を何百年と構築してきた西洋に対し、洋画が「内的生命の表出」という主観の絵画にながれていったのは、自然なことだった。ただ、その危険性を、岸田劉生はいち早く見抜いていた。「特に日本のやうな写実の伝統の乏しい国にあっては、いつも自然と密着な関係を有つことが絵画の健康状態を保つ上に必要である」。

 もちろん、劉生は主観の絵画をあきらめたわけではなく、「作に美術上の最も深い域を出すためには、或る処で写実を欠如させ、その欠を写実以上の深い美によってうづめればいいのである」という言葉は、前田と同じように主観と造形の統合へと向かっている。

 補足しておかなければならないのは、劉生も前田も、写実を実在感の再創造と再解釈していた。質感や触感を画面にとりこもうとしたところに、すでに主観と造形が滑り込んでいる。

 西洋における絵画のモダニズムと同じように、洋画の場合も抽象へと行き着いた。ただ、その機動力を、主観のあり方というロマンチックな考え方に見るのはまちがいだろうか。山口長男の《池》や吉原治良の《作品》(ともにこの秋の「日本美術再見V―1930年代」展に出品予定)にみられる“塗りたくった”、あるいは“つくり込んだ”重厚なマチエールは、純粋抽象であることを躊躇しているかのようである。まるでモダニズムの逆を行くような“土くさい”存在感は、煎じ詰められた主観の名残のようにも見えてくる。 

(桑名麻理)

作家名/作品名/制作年/材質/備考

岸田劉生(1891-1929)/自画像/1917/クレヨン、コンテ・紙
岸田劉生(1891-1929)/照子素画/1919/ 水彩、木炭・紙
岸田劉生(1891-1929)/麦二三寸/1920/油彩・キャンバス
岸田劉生(1891-1929)/冬瓜茄子之図/1926/絹本著色
萬鉄五郎(1885-1927)//1915 /油彩・キャンバス
萬鉄五郎(1885-1927)/庭の花/不詳/油彩・キャンバス/寄託作品
萬鉄五郎(1885-1927)/枯木の風景/1924/油彩・キャンバス
萬鉄五郎(1885-1927)/茅ヶ崎風景/c.1924/コンテ・紙
萬鉄五郎(1885-1927)/ほほづゑの人/c.1926/コンテ・紙
小出楢重(1887-1931)/パリ・ソンムラールの宿/1922/油彩・板
小出楢重(1887-1931)/裸婦立像/1925/油彩・キャンバス
清水登之(1887-1945)/風景/1921/油彩・キャンバス
前田寛治(1896-1930)/風景/c.1924/油彩・キャンバス
前田寛治(1896-1930)/裸婦/1928/油彩・キャンバス
佐伯祐三(1898-1928)/サンタンヌ教会/1928/油彩・キャンバス
福沢一郎(1898-1992)/劇の一幕(コメディフランセーズ)/1924/油彩・キャンバス
古賀春江(1895-1933)/煙火/1927/油彩・キャンバス
三岸好太郎(1903-1934)/二人の道化/c.1931/油彩・紙
向井潤吉(1901- )/衣を脱ぐ女/c.1933/油彩・キャンバス
須田国太郎(1891-1961)/信楽/1935/油彩・キャンバス/(財)岡田文化財団寄贈 **
鳥海青児(1902-1972)/紀南風景/1936/油彩・キャンバス/**
山口長男(1902-1983)/池/1936/油彩・キャンバス/**
吉原治良(1905-1972)/作品/1937/油彩・キャンバス/**
松本竣介(1912-1948)/婦人像/1941/水彩・紙 
松本竣介(1912-1948)/婦人像/不詳/墨・紙
松本竣介(1912-1948)/建物/c.1945/油彩・板
松本竣介(1912-1948)//1947/ペン、インク・紙
松本竣介(1912-1948)/風景(三角屋根の家)/c.1948/墨・紙
鶴岡政男(1907-1979)/黒い行列/1952/油彩・キャンバス
鳥海青児(1902-1972)/彫刻(黒)をつくる/1953/油彩・キャンバス
麻生三郎(1913- )/母子のいる風景/1954/油彩・キャンバス
桂ゆき(1913-1991)/作品/1958/油彩・キャンバス

恩地孝四郎(1891-1955)/初期木版画/1914-1915(1989再摺)/木版・紙
恩地孝四郎(1891-1955)/円波/1939(1987再摺)/木版・紙
恩地孝四郎(1891-1955)/白い花/1941(1987再摺)/木版・紙
恩地孝四郎(1891-1955)/『とんぼの眼玉』の著者 北原白秋像/1943/木版・紙
恩地孝四郎(1891-1955)/アレゴリーNo.2 廃墟/1948(1987再摺)/木版・紙

**は、「20世紀日本美術再見V―1930年代」展(9月4日〜11月7日)に出品される予定。


第2室:三重の近世絵画と東海道五十三次

 日本人が描いた風景画は、日本ではなく中国の風景を描いたものが多い、としばしばいわれる。たとえば、室町時代に流行した山水画の多くは中国からもたらされた山水画を模したものであるし、現実には存在しない理想的な風景を描いた作品も多くある。その一方で、日本の実際の風景を描いた作品もあった。文字どおり、名のある所を描く「名所絵」は、しかし、その風景をみたままに再現することを必ずしも目的としていたのではない。「名所絵」の多くは、和歌によまれた特定の場所を絵画化したものであるが、その場所を「写実的」に再現することを目的とはしておらず、むしろ象徴的にとらえることに主眼がおかれていた。

 しかし、時代が下がって江戸時代の後半になると、風景画に大きな変化がみられるようになる。ひとつは、中国の影響をうけた文人画のなかに、実際に存在する特定の風景を描く「真景図」とよばれるものが描かれるようになるということ。池大雅(1723-76)の弟子、桑山玉洲(1740-99)は、その著書『絵事鄙言』(木村兼葭堂の校正を経て寛政11(1799)年に刊行。南画の革新性を支持し、正当性を述べた絵画論)において、わが国の画家が、想像だけで生気のない景色を描いていることを非難し、日本の景色を描くべきであると「真景図」の重要性を説いている。そしてもうひとつの変化は、西洋絵画の影響をうけて、透視画法や陰影法をもちいて「写実」を志向する作品がみられるようになることである。

 先にのべた伝統的な「名所絵」を、西洋技法をとりいれて描く作品もあらわれる。ここで、歌川広重(1797-1858)の代表作として広く知られている《東海道五十三次》に目を転じよう。広重の代表作である《東海道五十三次》は、東海道の53の宿駅に、江戸日本橋と京都三条大橋をくわえた合計55図を描いたもの。《東海道五十三次》は、すでに触れたような、和歌に詠まれた場所を絵画化した「名所絵」とは異なる。しかし、十返舎一九(1765-1831)の『東海道中膝栗毛』(享和2(1802)年)の人気に象徴されているように、交通網の発達、経済的な余裕などが要因と考えられる当時の旅行熱の高まりを考えると、江戸と上方を結ぶ重要な街道であった東海道の宿駅を、名ある場所である「名所」とみなすことに問題はないだろう。この名所絵制作中に、広重自身も、幕府がおこなう八朔の御馬進献の一行に随行し、東海道を往来したといわれている。広重の同行については再考の余地があるものの、行列の時期が夏から秋と考えられることから、たとえ広重が実際に東海道を往来していたとしても、雪景色などが含まれる《東海道五十三次》が必ずしも実際の情景のみを写したものではないということは 指摘できる。

 以上、簡単ではあるが、江戸時代後半の風景画に、文人画でさかんに描かれる「真景図」や、それまでの「名所絵」に透視画法をとりいれた《東海道五十三次》をはじめとする風景版画などが描かれていたことを述べた。大雅や広重のみならず、日本各地の実景を描いた絵師は少なくない。西洋画法を用いて「写実」を志向する作品を描いた谷文晁(1763-1841)をはじめ、さまざまな流派の絵師がさまざまな技法で実景をあらわしている。「真景」を多くてがけた大雅も、透視遠近法をもちいて「名所」をあらわした広重も、共通しているのは、目の前にみえる風景をそのまま画面に再現しようとしたわけではないということである。大雅なら大雅の、広重なら広重の、時代の流れと各々の感性を反映した目を通して風景は捉えられている。大雅と広重は、肉筆と版画という差異以上に、描こうとしたものやその方法が異なっていることは明らかであるが、大雅や広重の生みだす江戸時代後半の風景画が、近代の風景画に着々と近づいていたことは間違いない。実際に絵師が目にした「現実」の景色の描写と画家の「創作」とのかかわりをも意識して風景画の前にたつならば、この時期の風景画は、現代のわれ われにとってもさらに興味深いものとなるに違いない。

(佐藤美貴)

作家名/作品名/制作年/材質/備考

池大雅(1723-1776) 山水図 紙本淡彩
韓天寿(1727-1775) 山水図 紙本墨画淡彩
曾我蕭白(1730-1781) 林和靖図 紙本墨画
曾我蕭白(1730-1781) 塞翁飼馬・蕭史吹蕭図 紙本墨画
曾我蕭白(1730-1781) 周茂叔愛蓮図 紙本墨画
月僊(1741-1809) 西王母図 1770 絹本著色 小津家寄贈
月僊(1741-1809) 東方朔図 絹本著色 小津家寄贈
月僊(1741-1809) 山水帰牧図 絹本墨画淡彩
月僊(1741-1809) 王羲之蘭亭之図 紙本著色
増山雪斎(1754-1819) 百合に猫図  絹本墨画著色
増山雪斎(1754-1819) 花鳥図 1794 絹本淡彩
青木夙夜( -1802) 琴棋書画図 1795 絹本墨画淡彩
青木夙夜(  -1802) 富嶽図 絹本著色
司馬江漢(1747-1818) 三囲之景図 1787 銅版・紙
歌川広重(1797-1885) 隷書東海道五十三次 1847-51 木版画 東海銀行寄贈


第3室:ゴヤとスペイン美術

 アルフォンソ・サンチェス・ルビオの『エンジョイ・ゴルゴタ』 − 同じ大きさの長方形が四枚横にならぶこと自体、全体を一目で把握せしめるというより、順々にたどることをうながすとすれば、書物の頁と見るかフリーズと見るか、いずれにせよアルファベットを左から右へ読むのにならって、見る者の注意を留めるのは、まずは、一番左のパネルということになるのだろう。ずいぶん目の粗い布に打ちつけられた、三本の古い大釘の存在がなおさら目を引くのにくわえて、大きく記された銀の文字は、いかにも表紙然としている。ただし文字の列はわずかに歪んでおり、布の目の粗さが、文字を刻印しようとする力に抵抗したかのごとくだ。

 二つ目の長方形は、これも古びた、文様のある布で包んである。離れて見れば、右下に石か何か浮いているようなのは、布が擦れたものらしい。三番目と四番目は一応一続きになっていて、左二つに比べれば絵らしいといえなくもない。しかしそれも、何かを描いたというよりは、色材が滲んだり垂れた跡と見える。三番目の長方形の中央には、油の染みこんだ薄い布か紙を切った、十字架がはりつけてある。他方、一枚目と三枚目が、文字なり十字架へ集中する構図をしめすのに対し、二枚目の文様と四枚目の芒漠とした空虚は拡散しようとし、もって交替するリズムをなしている。

 四枚を通じて基調をなすくすんだ褐色が、画面を重苦しい雰囲気で浸し、さらに十字架および、左端のパネルに刻まれた「ゴルゴタ」の語 − ナザレのイエスが磔刑に処せられた丘 − は、キリスト教への連想を誘わずにいない。ただこの雰囲気は、色としての褐色のみによってもたらされたという以上に、褐色もふくめて、物として画面を作りあげるさまざまな要素が経てきた、時間の堆積から生じたのではないだろうか。その際時間を堆積させた物質は、表紙状の体裁だの文様がしめすように、何かを削ったり加えたりする力が接触する、表面という形をとる。そして、順々に視線をたどらせる点とあわせて、左から三枚までが、さまざまな時間のさまざまな痕跡をしめすとすれば、右端の長方形に何のイメージも現われていないのは、いまだ何も定まっていない、あるいは、一切が終わってしまった状態 − ある意味で否定神学的な相 − を暗示するものと読みとくことができるかもしれない。

 この作品の暗鬱さに比べると、たとえば、チリーダの『エルツ』は一見、白のひろがりが喚起する晴れやかさという点で、対照的なものと映る。しかし三つの黒いかたまり同様、中央の部分を除いて白も、よく見れば、何か岩か壁にでも紙を押しつけて、擦りだしたかのような跡を残している。ここでの白もまた、実体感の乏しい色としてではなく、厚みのある物質との何らかの交渉の結果として呈示されているのだ。

 もとよりこうした様相をもって、スペインの二十世紀の美術を全て、ひとくくりにできるはずもない。ただ、上の二作品とは対照的に、あざやかな色が豊富に用いられたかに見えるピカソの『ジプシーの女』でも、パステルを紙にあてる圧力の変化がある種の緊張をたたえ、くわえて青と緑という寒色を主体にした色の組みあわせが、必ずしも明澄とはいいがたい不安感をかもすとすれば、具体的にいかなる手続きで画面が作られたかという点でのちがいをこえて、物としての材料とのとり組みに何やら切迫したものを感じさせずにおかず、それが、物質性を強調したというにおさまらない表情をたたえるところに、スペイン美術の、少なくとも一つの相を認めることはできるかもしれない。

(石崎勝基)


作家名   作品名  制作年  材質  備考

バルトロメー・エステバン・ムリーリョ(1617ー1682)アレクサンドリアの聖カタリナ 1645-50 油彩・キャンヴァス
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)旅団長アルベルト・フォラステール c.1804 油彩・キャンヴァス   (財)岡田文化財団寄贈
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746-1828)戦争の惨禍 c.1810-20 銅版画・紙
パブロ・ピカソ(1881-1973) ジプシーの女 1900    パステル、油彩・紙   三重県企業庁寄託
パブロ・ピカソ(1881-1973) ふたつの裸体 1909    銅版画・紙
サルバドール・ダリ(1904-1989) パッラーディオのタリア柱廊   1937-38   油彩・キャンヴァス
ジョアン・ミロ(1893-1985) 女と鳥    1968 油彩・キャンヴァス     (財)岡田文化財団寄贈
アントニー・タピエス(1923- ) ひび割れた黒と白い十字 1976 ミクスドメディア・木
アンヘレス・マルコ(1947- ) 高速道路(連作『通行』)1987 鉄、脂
ミケル・バルセロ(1957- ) 像 1982 ミクスドメディア・カルトン
エドゥアルド・チリーダ(1924- ) ビカイナ]Y     1988 銅版画・紙 
エドゥアルド・チリーダ(1924- ) エルツ        1988 銅版画・紙
アルフォンソ・サンチェス・ルビオ(1959- )エンジョイ・ゴルゴタ 1989     ミクスドメディア・布 大山一行氏寄贈
アルフォンソ・サンチェス・ルビオ(1959- )無題  1991 ミクスドメディア・布  大山一行氏寄贈
アルフォンソ・アルバセテ(1950- ) 幻影 1 1990 油彩・キャンヴァス
ジョアン・カルディス(1948ー )  R-816 1991 グラファイト・紙
カルメン・カルボ(1950- ) 厨房 1994 ミクスドメディア、セメント、ガラス
ホセ・サンレオーン(1953- )   黒い十字 1996 シルクスクリーン、エナメルシート・板

ギャラリー、ロビー

作家名   作品名  制作年  材質  備考

佐藤忠良(1912- ) 円い椅子 1973 ブロンズ
佐藤忠良(1912- ) 群馬の人 1952 ブロンズ
木下富雄(1923- ) 仮面3 1957 木版画
木下富雄(1923- ) Face(友よ高らかに) 1982 木版画
木下富雄(1923- ) Face(丸と角) 1982 木版画
小野木学(1924-75) 版画集 風景 1974 シルクスクリーン
向井良吉(1918- ) 発掘した言葉 1958 ブロンズ
江口週(1932- ) 漂流と原形 1981 木
江口週(1932- ) あるはじまりのかたちII 1984 木
江口週(1932- ) ふたたび飛べるか?柱上の鳥 1988 木
飯田善國(1923- ) Xのコントラクション 1987 木、着色麻ロープ
多田美波(1924- ) 曙 1982 テラコッタ、ステンレススティール


屋外彫刻

作家名   作品名  制作年  材質  備考

ジャコモ・マンズー(1908-1991)ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車  1973  ブロンズ
番浦 有爾(1935- ) 風          1990   ブロンズ
多田 美波(1924- ) 作品91        1991   ステンレススティール
松本  薫(1952- ) Cycle-90° 1992   ステンレススティール
湯原 和夫(1930- ) 無題         1982  鉄・ステンレススティール
井上 武吉(1930- ) my sky hole 82  1982   鉄・ステンレススティール
井上 武吉(1930- ) my sky hole 85-6  1985   鉄
田畑  進(1944- ) NOKOSARETA-KATACHI 1982  ステンレススティール・黒御影石
八ツ木のぶ(1946- ) 象と人(異邦の夢)  1988   ステンレススティール・ウレタン塗装
梶   滋(1951- ) 円柱とその周辺    1986   アルミニウム
石原 秀雄(1951- ) 暗室の王       1994   白御影石

                              

(会期中、一部展示替えを行う場合があります)

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