伊勢のヨーヨーは、旧伊勢市内で戦後、木地師(きじし)と呼ばれる人たちによって盛んにつくられてきた刳り物玩具(くりものがんぐ)を代表するもののひとつです。材料は、神宮林などに自生しているサルスベリの木で、芯は肉厚の孟宗竹(もうそうちく)を割り削って利用しています。現在も数軒の業者で生産されていますが、近年の子どもたちの遊びが大きく変化したことから、生産高は最盛期の半数以下になっています。現在では、大きさや形に工夫を凝らしたものがつくられています。
伊勢のヨーヨーの歴史は、『参宮の今昔』(大西源一著)の「神都の関門宮川」の項に
「なお、宮川には(中略)また小俣には小俣比丘尼と呼ばれる(中略)玩具の土車を回しつつ旅客に銭を乞うていた」
と江戸時代も後半の記録が載っています。ここに出てくる「土車」は、地元、大仏山の土を焼いて形にしていたという古老の伝承もあります。
また、土車については、日本の玩具の基本著書ともいわれる『うないの友』第五編に「おちようの車」としての記録が見られ、
「伊勢国山田辺の玩具おてふの手車 昔時お手布という女此玩具を作り町中を売り歩行し、並びに児童皆喜びて玩弄せしに、今に至り同所名物の一ツといふ」
とあり、参宮客や地元の土産として知られていたことがわかります。この土車は、下地に胡粉(ごふん)を塗り、周囲を縁取りして、その内側は「みかん」を横に切った時に見られる模様を描いています。淡いベージュが施されていたようですが、現物はこの地域には残っていないようです。また、大きさについての記録はありませんが、おおむね現在のヨーヨーと同様のものと考えられます。(FW)
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