津綟子(つもじ)は、津地域で麻を原材料として生産された織物のことで、その技法によって搦(から)み織りとも呼ばれ、夏季に用いる衣料や蚊帳(かや)等に使用されていました。
今回、紹介する肩衣(かたぎぬ)は、津藩の家臣の中で、無足人(むそくにん)として藩に仕えていた家に伝わったものです。この家は、江戸時代後期、藩に無足人として取り立てられ、登城に際して津綟子づくりの肩衣を着用しました。肩衣は、経糸(たていと)が太さのそろった苧麻の強撚糸を使い、緯糸(よこいと)には練りの浅い絹糸を太く引き揃えています。また、藍の後染をして、家紋の丸に立面高(たちおもだか)をきれいに染め抜いて、カンチ墨による紋のでき栄えは微妙で、織りや染め、さらに仕上げの仕立てなどにいたっても職人の技が随所にみられます。
津綟子の生産は、津藩領の清水村(現在の津市安濃町)で、安濃川流域の村々、美濃川沿いの地域で生産され、津町八町等の店でも販売されていました。上級品は、津藩から幕府や大名への献上品・進物品として使われていました。また正徳2年(1712)の『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』には、「綟の肩衣 経緯 麻の線を以って之を織る 目あらく蚊帳の如し暑月之を着る 勢州於て津より出る 名を津毛知と 最も麁者を鬼綟と名く」とあって、その名前が広く全国的に知られていたことがわかります。また、津綟子は津藩の年貢としても取り扱われていました。
しかし、今日では現存するものもほとんど無く、時に「幻の織物」として地元でも津綟子が取り扱われるほど、一般に目にする機会はほとんどありませんでした。ところが最近になって、写真の資料以外に安濃町郷土資料館(単(ひとえ)の男性用の上着)と楠町郷土資料館(肩衣)の現存することが分かりました。この二つの資料は、ともに糸の撚(よ)りも不ぞろいで、整形仕上げもあまりよくなく、型もくずれていて、写真の資料より見劣りするものでした。
津綟子の生産は、明治時代中期以降まで行われていたようですが、資料などが伝わっていないことから、その後の実態はほとんど不明に近く、技術についてもまったく不明です。最近、かって全国的ブランドであった津綟子について津市内の一部の人たちの中で研究が始っています。(FK)
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