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東京名所 三ツ井ハウスノ圖 する賀町

資料名 東京名所 三ツ井ハウスノ圖 する賀町
(とうきょうめいしょ みついはうすのず するがちょう)
資料番号 137
寸 法 【3枚組の内、右部と左部】
たて:366ミリ よこ:249ミリ
【3枚組の内、中央部】
たて:362ミリ よこ:249ミリ
時  代 明治時代
解 説


 この資料は、三代歌川広重(1845から1894)の作品です。15代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)の大政奉還、明治天皇の王政復古の大号令があったのは、慶応3(1867)年のことで、「明治維新」と呼ばれる時代の幕開けでした。「鳥羽・伏見の戦い」で始まる戊辰(ぼしん)戦争が旧幕府軍の敗北で終結した明治2年以降、「富国強兵」「殖産興業(しょくさんこうぎょう)」をスローガンに、日本は急速に西洋化を進めていきます。この大きな変革の時代に、のちに財閥まで発展する礎を築いた豪商「三井家」がありました。
 この資料に描かれている建物は、明治9(1871)年、東京府駿河町(するがちょう・現在の東京都中央区室町)に開業した「三井銀行」(現在の三井住友銀行の前身のひとつ)の本店です。
 江戸時代、伊勢出身の商人たちは全国的な流通ネットワークをつくっていました。その商人たちの中でも伊勢松阪出身の伊勢商人・三井高利(みついたかとし)が興した越後(えちご)屋呉服店(寛文11/延宝元(1673)年開業・のちの三越百貨店の前身)は、それまで主流であった訪問販売方式を現在のスーパーと同じ薄利多売方式を導入して大成功を収めました。そして、天和(てんな)3(1683)年には両替店(だな)を江戸駿河町で始めています。
 明治維新では、新政府の財政・金融部門を一手に引き受けました。三井為替(かわせ)座の開業を機に、呉服業を「三越」へ分離して銀行業への進出を始めたのが明治の初めです。そのために東京府兜町(かぶとちょう)に「三井組ハウス」を建設(明治5(1872)年完成)しました。和洋折衷(せっちゅう)の洋風建築の建物で、のちに東京名所の一つなった建物ですが、この建物は第一国立銀行(のちの第一勧業銀行、現在のみずほ銀行)として使われてしまいます。そこで、三井は駿河町に「為替バンク三井組」を建設(明治7(1874)年完成)し、明治9(1876)年に日本最初の民間銀行「三井銀行」を開業します。この建物が資料に描かれているものです。3階建ての洋風建築で、屋根の上にはなぜか鯱(しゃち)がのっています。この鯱は青銅製で高さがおよそ1.4メートルもあるものでした。ちなみに、「三井組ハウス」、「為替バンク三井組」の建設は、ともに清水組(現在の清水建設)が担当しています。
 和風建築の中に突如として登場したような洋風建築の「為替バンク三井組」を画面の中心に据えて、背景の左奥にはお城のような建築物が複数見え、さらに奥には富士山が描かれています。「三井ハウス」の前の通りには和装の男女、人力車や馬車、行商人、弁髪(べんぱつ)姿の外国人、警察官や郵便屋さんのような姿をした人たちなど大勢の通行人が描かれています。この資料には、日本文化と西洋文化が混交し、「文明開化」が始まった明治の初めころの日本の姿を描き出しています。(FK)

東京名所 三ツ井ハウスノ圖 する賀町
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