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名松線松阪・権現前間鐵道開通記念繪葉書

資料名 名松線松阪・権現前間鐵道開通記念繪葉書 資料番号 376
寸法  たて:①140mm ②③ 90mm
 よこ:① 90mm ②③142mm
時代 昭和時代
解説 松阪駅(松阪市)と伊勢奥津(いせおきつ)駅(津市美杉町/旧一志郡美杉村)を結ぶ名松線(めいしょうせん)は、1日下り8本、上り9本の列車が走るだけのローカル線です。かつての鉄道は、地域の発展には欠かすことのできない重要な公共機関でした。「改正鉄道敷設法」別表の中に「奈良県桜井ヨリ榛原、三重県名張ヲ経テ松阪ニ至ル鉄道」というのがあります。これが、現在の名松線です。長い間、地元から要望されていたこの路線は、大正11(1922)年の帝国議会(現在の国会)で松阪と名張を結ぶ路線として建設が決まり、その翌年には松阪から測量が始まりました。昭和2(1927)年3月から建設工事が始まり、昭和4(1929)年8月25日に松阪と権現前(ごんげんまえ)間が開通しました。写真の資料は、松阪・権現前間の開通を記念してつくられた絵はがきです。「名松線松阪・権現前間平面圖」「権現前停車場/米之庄避溢橋」「松阪公園内史蹟本居宣長舊宅」の3枚で1セットとなっています。「名松線松阪・権現前間平面圖」では、権現前駅から先は赤色の波線で示されて、「至名張」と描かれています。また、灰色の実線で描かれているものがあり、「伊勢電(いせでん・伊勢電気鉄道)」「安濃鐵道(あのうてつどう)」「中勢鐵道(ちゅうせいてつどう)」「松阪電鐵(まつさかでんてつ)」という注記がされています。官設鉄道から離れた地域では、官設鉄道との連絡をはかるために、三重県内にも多くの中小の私鉄が存在したことがわかります。名松線は、建設を始めてから8年後の昭和10(1935)年12月5日、伊勢奥津までの43.5kmが全線開通しましが、その先、名張まで線路は延びることはありませんでした。災害や利用者の減少などで幾度となく廃線の話が持ち上がりましたが、地元の存続運動などで廃線の危機を乗り越えて、今日も小さな気動車が松阪と伊勢奥津の間を結んでいます。(FK) 

※ 伊勢電
伊勢電気鉄道(いせでんきてつどう)のこと。大正4(1915)年に一身田町・白子間開業をした伊勢鉄道(現在の伊勢鉄道とは別会社)が前身。大正15(1926)年に社名を変更。昭和5(1930)年までに桑名・大神宮前間、伊勢若松・伊勢神戸(現 鈴鹿市)間を開業、桑名・揖斐間の養老電気鉄道線を合併。その後、参宮急行電鉄との合併を経て、現在は、近鉄名古屋線・養老線・鈴鹿線となっている。

※ 安濃鐵道
大正3(1914)年に新町(津市)・椋本(むくもと・津市芸濃町/旧安芸郡芸濃町)間を開業した鉄道。大正6(1917)年までに新町・林間、安東・片田間の全線が開通。昭和47(1972)年までに全線廃止。(実質は、昭和19(1944)年に不要不急路線として休止)

※ 中勢鐵道
明治41(1908)年に久居・聖天前間を開業した大日本軌道伊勢支社を前身とする。大正9(1920)年、中勢鉄道となり、大正14(1925)年までに岩田橋・久居間、久居・伊勢川口間の全線が開通。昭和18(1943)年までに全線廃止。

※ 松阪電鐵
大正元(1912)年に松阪・大石(おいし)間を開業した松坂軽便鉄道が前身。翌年、平生町(ひらおちょう)・大口間を開業。昭和3(1928)年、松阪電気鉄道と改称。その後戦時中の統合政策などで三重交通となり、三重電気鉄道を経て、昭和39(1964)年、全線廃止。 
名松線松阪・権現前間鐵道開通記念繪葉書
絵はがきセットが入っている封筒
絵はがきセットが入っている封筒
   絵はがきの表面
①名松線松阪・権現前間平面圖                    絵はがきの表面    
米之庄避溢橋    権現前停車場
② 米之庄避溢橋           権現前停車場
松阪公園内史蹟本居宣長舊宅
③松阪公園内史蹟本居宣長舊宅
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