けん玉は伊勢の繰り物の玩具の一つとして、戦後、本格的に内宮前の宇治地区を中心に約10軒程の木地屋業者で製作して、伊勢神宮参拝の土産物として販売していました。
今日では子供たちの遊びの志向も変化したことなどから、業者も数軒のとなり生産高も減少しています。けん玉の材料は、神宮林などに自生している「サルスベリ」の木を主材料として、芯には伊勢周辺の孟宗竹を串状に割って使用し、また紐は市販の凧糸を使っています。玉の大きさや重さ、紐の長さや皿になる部分の刳(く)る形などが、けん玉を造る上での苦心するところです。
彩色は、染料で江戸時代からいわれてきた子供たちを病気から守るとされてきた「朱色」(赤色)を中心に、デザインを考慮して青色とか黒色をバランスよく施し、伊勢形のけん玉がつくられてきました。彩色には、子供たちが口にすることも考慮して、製造上では食品関係の法令の規制も配慮が必要であった。
けん玉の歴史は、江戸時代の安永6(1777)年に「拳玉」とゆう記事もみられるようですが、起源や形態については明らかになっていません。ただ、今日の形態になったのは、大正時代以降であるとの説もみられます。また、いろいろと工夫された形のけん玉が見られ、子供たちが簡単に造ることができる遊具にもなっています。(FW)
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