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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 伊勢参宮名所図会(いせさんぐうめいしょずえ)

伊勢参宮名所図会(いせさんぐうめいしょずえ)

資料名 伊勢参宮名所図会
(いせさんぐうめいしょずえ)
資料番号 96
時 代 江戸時代 寸 法 たて: 26.2cm
よこ: 18.3cm
(閉じた場合)
解 説
 このお正月に、伊勢神宮へ初詣にお出かけになった方も多いのではないでしょうか。
 現代、誰もが自由に参拝することができる伊勢神宮ですが、古代には国家の祭神として私的な祈願が厳禁されていました。古代末~中世には、御師と呼ばれる権祢宜以下の神職が有力者の私的祈祷を仲介したり修験者等の代参を受け入れるようになり、やがて室町時代以降、伊勢講による民衆の参宮が広まり始めます。街道や宿場の整備が進んだ江戸時代には、経済的なゆとりを背景に多くの庶民が社寺参詣や名所旧跡へ出かけるようになりますが、とりわけ、全国に広まった伊勢講による伊勢参宮が盛んになり、「伊勢に七度熊野に三度 お多賀(愛宕)様には月参り」と詠われたように、毎年40万人前後もの人々(“おかげまいり”では数百万人)が、各地からお伊勢まいりに訪れました。
 今回ご紹介する『伊勢参宮名所図会』は、寛政9年1797に京都・大阪の版元から刊行された本編5巻6冊、附録1巻2冊、合計8冊からなる伊勢参宮の案内書で、数ある案内記や道中記の中で最も詳しい決定版ともいえるものです。作者は明確ではありませんが、秋里島・秦石田の著述、蔀関月・西村中和の作画と考えられています。
 巻一巻二では、京の三条大橋を起点に東海道・伊勢別街道を通って一身田の高田本山専修寺を過ぎた大部田(津市上浜町付近)つまり伊勢街道と伊勢(参宮)街道の合流点まで、巻三では桑名から東海道・伊勢街道を通って宮川の手前の小俣までが納められ、伊勢に向かう各々の街道沿いの宿場や村の地誌、社寺・名所旧跡が絵入りで紹介されています。巻四では、宮川を渡り山田と外宮から古市を通って五十鈴川まで、巻五では、内宮をはじめ朝熊山・二見・鳥羽志摩などの伊勢周辺部や、伊勢神宮の祭祀・神宝・装束・遷宮・神職などについての解説が絵を添えて詳細に記されています。また、附録には近江国内の名所旧跡が収録されています。
 伊勢に向かう街道風景を描いた挿図には、徒歩や駕籠、あるいは三宝荒神と呼ばれる独特の鞍をおいた馬に乗る参宮者の姿が生き生きと描かれ、宮川を渡ったあたりでは参宮客を迎える御師の手代の姿もみえます。また、間の山や古市のにぎわいの風景は「伊勢参宮 大神宮へも 一寸寄り」という当時の川柳のように、参宮が信仰面に加えて娯楽的な色彩をもっていたことを表しています。
 一方、内宮・外宮の正宮が描かれた図は現在の様子と異なっています。板垣や外玉垣がみられず、人々は玉串御門(現在の内玉垣南御門)の前まで進んで参拝し、また、正宮の傍らには末社巡りと称して多気・度会郡内にある神宮末社のこまごまとした遙拝所を集め短時間で巡拝できるようにした一画も描かれています。
 このように、本書は江戸時代の参宮の様子や街道沿いの詳しい地誌を記録した貴重な資料と言えます。当時、本書やその他の案内書によって伊勢の情報が全国に伝えられ、人々はこれらを読んだり話に聞き、豊富な予備知識を蓄えて伊勢参宮に旅立ったものと思われます。(SG)
 
内宮の正宮
内宮の正宮
外宮の正宮
外宮の正宮
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末社順拝
末社順拝
神楽の様子
神楽の様子
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日永の追分
日永の追分
明星(伊勢街道の風景)
明星(伊勢街道の風景)
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宮川東岸
宮川東岸
中川原(御師の手代の出迎え)
中川原(御師の手代の出迎え)
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間の山の雑踏
間の山の雑踏
古市のにぎわい
古市のにぎわい
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