このページではjavascriptを使用しています。JavaScriptが無効なため一部の機能が動作しません。
動作させるためにはJavaScriptを有効にしてください。またはブラウザの機能をご利用ください。

サイト内検索

三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 東海道五十三駅道中記細見雙六(とうかいどうごじゅうさんえきどうちゅうきさいけんすごろく)

東海道五十三駅道中記細見雙六(とうかいどうごじゅうさんえきどうちゅうきさいけんすごろく)

資料名 東海道五十三駅道中記細見雙六 資料番号 895
作者 梅川東挙(うめかわとうきょ)
画号:好美斎(こうびさい)
時代 江戸時代後期
版元 葉山堂・近江屋真助 合版 寸法 双六本紙
たて:40.0cm×よこ:54.5cm

たて:24.5cm×よこ:18.5cm
解説

双六(すごろく)といえば、むかしからお正月遊びの定番ですが、上がりを目指してサイコロを振り、出た目の数に一喜一憂した経験はどなたもお持ちではないでしょうか。
最近では、双六遊びをする機会も少なくなりましたが、双六の歴史を紐解いていくと、私たちにお馴染みの紙の双六は絵双六(えすごろく)と呼ばれるもので、このほかに盤双六(ばんすごろく)と称されるものがあり、かつてはむしろこの盤双六の方が盛んであったことがわかります。
盤双六とは、盤上に並べた白と黒の駒をサイコロの目にしたがって進めてゴールの早さを競う遊戯です。もっぱら賭博(とばく)の手段として盛行し、飛鳥時代から江戸時代に至るまで、何度も禁止令が発せらるほどでしたが、江戸末期に衰退したため、現在ではあまり知られなくなってしまいました。
一方、絵双六は、盤双六の影響を受けて生じたものと考えられていますが、盤双六とは異なる歴史を刻みながら、今日まで伝えられてきました。このような紙の双六の早い例としては、室町時代に、仏教的な世界観を背景にしてつくられた「浄土双六(じょうどすごろく)」があります。これは極楽を上がりとするものですが、木版(もくはん)の出版技術の発展にともなって普及した江戸時代の絵双六の先駆けとなるものでした。
そうした江戸時代の絵双六の主要な題材となったのが、「道中双六(どうちゅう)」で、庶民層への旅の広まりを背景として、江戸後期に盛んに出版されるようになりました。このような道中双六の中でも特に多く出版されたのが、東海道の道中双六で、江戸を振り出しにして京都を上がりとするもののほか、逆に京都から江戸に向かうものもあります。これらには、道中の宿などが配された各マス目に、次の宿への距離や名所・名物が記されるなど、旅の雰囲気を味わいながら道中の情報を得ることができるしくみとなっていました。また、著名な浮世絵画家が描いた道中双六も出版されなど、当時の道中双六は、単なる遊びだけでなく、観賞用としても人気を集めたようです。
本資料も、そのような東海道ものの道中双六の一つで、京都の浮世絵師・梅川東挙の画により、京都の版元により出版されたものです。江戸日本橋を振り出しに渦巻き状に東海道をたどり、中央部に描かれた京の三条大橋と御所を目指す構成となっています。
内容をみてみると、ほかの道中双六と同様に、各宿(しゅく)の間の距離が記され、川の舟渡しなどお金が必要となるところには一文銭(いちもんせん)の形をした小さな丸印が付すなどが工夫がなされていることがわかります。またマス目の形状をみると、隅(すみ)が丸いのものと隅が欠けたものがありますが、これは、前者が宿場町(しゅくばまち)を、後者が城下町をあらわすものですし、府中(ふちゅう・静岡)の安倍川(あべかわ)餅、鳴海(なるみ)の有松絞り(ありまつしぼり)や草津の姥が餅(うばがもち)など各地の名物も記されています。
そのほか、三角印があるマス目に止まると川止めにより一日休みなどとあるので1回休まねばならず、また箱根では手形を忘れて小田原まで一つもどったり、四日市では関まで4つ進むことができるなど、ゲームとして楽しむための趣向も盛り込まれています。
なお、歌川広重(うたがわひろしげ)の描いた東海道の道中双六の中に、同じタイトルでデザインも極めて類似したものがあることから、本資料は、梅川東挙のオリジナルではなく、広重の双六に若干のアレンジを加えて製作されたものであると考えられます。本資料のような双六が出版されたことからも、道中双六が人気を博し、数多く出版された当時の様子をうかがうことができそうです。(A)

東海道五十三駅道中記細見雙六(本紙)
東海道五十三駅道中記細見雙六(本紙)
東海道五十三駅道中記細見雙六(袋)
東海道五十三駅道中記細見雙六(袋)
関連ページ 大坂より伊勢宮巡り道中双六 大坂より伊勢宮巡り道中双六
ページID:000061448