大正少年双六
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大正少年双六 |
資料名 大正少年双六 資料番号 85 寸法 たて 55.0㎝ よこ 80.0㎝ 時代 大正5年1月1日発行
資料名 小学少年双六 資料番号 761 寸法 たて 39.0㎝ よこ 55.0㎝ 時代 大正9年1月1日発行 |
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解説 |
大正少年双六は、東京の日本橋にあった「博文堂」が出版していた『少年世界』第22巻第1号の付録として制作されたものです。印刷・納本は大正4年12月12日となっていますが、「毎月一回一日発行」と表記されていますので、恐らく大正5年1月号と思われます。原案の作成は、大正時代を代表する児童文学者で、『少年世界』の編集を行っていた巌谷小波、絵は小林永二郎と佐々木林風の共作によるものです。 一方、小学少年双六は、東京麹町にあった「研究」という出版社が刊行していた『小学少年』という子どもむけの雑誌の付録で、同雑誌の編集部が原案を作り、清水勘一が絵筆を揮ったものです。発行は、大正9年1月1日となっていますので、いわゆるお正月号の付録だったようです。また、印刷されて納本されたのは、大正8年12月3日と記されています。 さて、大正4(1915)年に印刷された「大正少年双六」には、“四海同胞”や“義勇少年”などといった言葉が見受けられます。日本はこの前年の大正3(1914)年に第一次世界大戦に参戦しましたので、戦意の高揚を意識した内容となったのかもしれません。一方、「小学少年双六」には、ほのぼのとした子どもたちの正月行事が描かれ、駒を動かしていく各コーナーでは罰ゲームも科せられています。“さるまわし”では「おさるのかおをしてみせる」、“はねつき”では「かおにおしろいかすみをぬられる」ことになっています。絵や文字を見ているだけでも、子どもたちの賑やかな笑い声が聞こえてくるようなこの双六。刊行されたのは、第一次世界大戦が終息した翌年のことです。 |