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豊饒御蔭参之図(ほうねんおかげまいりのず)

資料名 豊饒御蔭参之図 (ほうねんおかげまいりのず)
時 代 江戸時代(幕末)
資料番号

 798

寸 法 たて:36.9cm
よこ:74.8cm
解 説

激動の時代、幕末。中でも慶応3(1867)年は大政奉還、王政復古の大号令が発せられ、翌年には鳥羽伏見の戦いを皮切りとする倒幕戦争によって徳川幕府が瓦解し、年号も明治と改められた大きな歴史上の転換期でした。政情が大きく動いたこの時、民衆の間では「ええじゃないか、ええじゃないか」の囃子(はやし)にあわせて熱狂的に乱舞する現象が各地で大流行しました。この社会現象は、囃子ことばをとって「ええじゃないか」と呼ばれています。今回ご紹介する資料は、この「ええじゃないか」の様子を描いた浮世絵「豊饒御蔭参之図(ほうねんおかげまいりのず:資料の題のふりがなのまま)」です。

「ええじゃないか」の起源については諸説ありますが、慶応3(1867)年7月に三河国渥美郡牟呂村(現在の豊橋市)に伊勢神宮外宮・内宮と伊雑宮(いざわのみや)のお札が降ったことから始まったという説が有力です。村では降下したお札を「おかげまいり」やこの地域の伝統的な「御鍬祭り(おくわまつり)」の先例に従って神社に納め神事を行いましたが、2夜3日の祭礼が終わらない間に各所で新たなお札降りが起こり、祭礼が拡大して騒動が大きくなっていったとされています。このお札降りと祭礼騒動は、すぐさま近郷の村々や吉田城下町(豊橋市)でも起こり、投餅・投銭や異性の装束で着飾った男女のにぎわしい練り歩き、お札が降下した屋敷への巡拝などが行われ、藩庁から騒動停止の通達が出るほどの騒乱に発展していきました。この「ええじゃないか」の騒乱は、吉田城下を通過する東海道などを通じて、この年の秋から冬にかけて、関東、甲信、東海、近畿、中国、四国の各地に伝播し、京大阪を含む日本の主要地域が民衆の乱舞する騒乱の熱気に包まれました。

伊勢地方へは、三河から海路を経て伊勢神宮周辺へ伝わったものと、尾張から陸路で桑名へ波及した2系統があったようです。慶応3(1867)年9月中旬には桑名・四日市・石薬師・亀山など東海道沿いで「ええじゃないか」の騒ぎが見聞され、10月中旬以降は津から伊勢神宮周辺にかけて、さらに伊勢平野の奥や志摩・東紀州へも波及していきました。

江戸時代、約60年の周期で発生した「おかげまいり」では伊勢神宮のお札降りを発端に全国から多数の人々が伊勢神宮へ群参しましたが、「ええじゃないか」では伊勢神宮に限らず様々な神社仏閣のお札や仏画、仏像、小判などが降り、地域によっては生首が降るという物騒な噂が広まったりもしました。お札は富商・豪農など経済的に豊かな家に降ることが多く、降札のあった家々ではお札を祭るとともに降札の噂で熱狂的になって踊り込む大勢の人々に酒食を提供し、騒ぎはさらに輪を広げていきました。この期間に人々は地域の比較的大きな神社などへ参詣したようです。また、人々が口にする囃子ことばも地域によって様々でした。

このような「ええじゃなか」は、時事を扱う浮世絵や瓦版の格好の題材であったため、さかんに出版されて、実際の騒乱の伝播より早く全国各地に情報が伝えられ、広まっていきました。

「豊饒御蔭参之図」は、歌川派の浮世絵師 歌川芳幾(明治時代には東京日々新聞の挿図などで活躍)によって描かれた「ええじゃないか」の浮世絵で、「ええじゃないか」が大流行し始めた慶応3(1867)年秋に出版されたものです。3枚つづきの画面いっぱいに、天から降り下るお札とその下で乱舞する民衆の躍動的な姿が描かれています。「御蔭参」の題のとおり、画面手前から右にかけては「天照皇太神宮」の幟をかかげて伊勢神宮に参宮する旅姿の人々が配され、中には手踊りをする女性、おかげまいりのシンボルであった柄杓を手に持つ少年もみられます。乱舞する民衆の中には女性や子ども、女装した男性も混じり、参宮する旅人も次第にその熱狂の輪に加わっていきます。なお、この絵では、降下するお札は太神宮(伊勢神宮)のものばかりですが、同年冬に改版されたものでは、各地の情報をもとに伊勢神宮以外のお札や仏画、仏像、小判などに描き直されています。

恐らく、実際に繰り広げられた「ええじゃないか」は、この絵に描かれた以上に熱狂的で、喧噪なものであったと思われますが、そこには一定の宗教性を媒体として封建的な秩序からの解放を願う極めて多数の民衆のエネルギーの爆発をみることができます。この民衆による騒乱が続く中で、時代は幕末から明治へと大きく転換していったのです。(SG)
 


豊饒御蔭参之図
空から降る伊勢神宮のお札と乱舞する民衆 手踊りする女性・柄杓をもつ少年
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