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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 広重「東海道五十三次之内 石薬師」

広重「東海道五十三次之内 石薬師」(ひろしげ とうかいどうごじゅさんつぎのうち いしやくし)

資料名 広重「東海道五十三次之内 石薬師
(ひろしげ とうかいどうごじゅさんつぎのうち いしやくし)
時 代 江戸時代
資料番号

 197

寸 法 たて:25.1cm
よこ:37.5cm
解 説

田園では稲の刈り取りが終わり、草むらでは夜長に鳴く虫の声が次第に高まる秋となりました。四季の変化が明確な日本では、秋は野山にある多くの植物がたわわに実を結び、動物たちもその恵を得て肥え太る稔りの季節とされていますが、他方では、つるべ落としの夕日に象徴されるような哀愁感のある季節でもあります。

街道絵・名所絵の名手、初代歌川広重は保永堂版「東海道五十三次之内」シリーズで東海道各宿の風景を、それぞれ沿道の風俗や四季・気象の変化を見事にまとわせた旅情豊かな作品として描き出していますが、今回ご紹介する「石薬師」は東海道44番目の石薬師宿(鈴鹿市石薬師町)の秋の情景を描いたものです。

「石薬師」の副題は、宿場の南端にあり宿場名の由来ともなった「石薬師寺」です。石薬師宿は、慶長6年(1601)の東海道宿駅制によって当初置かれた四日市宿と亀山宿の間の距離が長く離れすぎて人馬の往来に困難が生じていたことから、その解消のために元和2年(1616)に新たに設置された宿場です。また、現在も旧街道沿いに残る石薬師寺は、石造薬師如来を本尊とする古刹(こさつ)で、江戸時代には東海道を往来した旅人はもとより、参勤交代の西国大名も参詣して道中の安全を祈願したと言われています。

「石薬師」の図はこの石薬師寺を左に配して、石薬師宿の南半を東方から遠望した構図で描かれています。右手の家並みの間を通り石薬師寺の門前を通過する道が東海道、また、遠景の山々は鈴鹿山系の入道ガ岳か野登山付近の山々であると思われます。

空に引かれたやや赤みを帯びた褐色の一文字ぼかし、背景の山々のやや沈んだ色合い、石薬師寺周囲の木立の暗色が、画面全体に夕暮れ時の静かな、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。本堂や庫裡(くり)の高い屋根のシルエットの前に描かれた山門は夕刻のため既に閉じられ、両側に続く土塀が薄暗さの中で際だっています。その前の街道を馬に乗ってゆっくりと過ぎゆく旅人たちは、これから25丁(約3㎞)先の庄野宿まで行って泊まるのでしょうか。また、手前に広がる収穫を終えた田んぼには積み上げられた稲わらが点在し、次第に深まる暮色の中で野良仕事を続けるただ二人の農夫が小さく描かれ、夕暮れ時の静寂さを一層強調しています。一方、右下から斜めに石薬師寺の山門に続く細い農道は、平板的になりがちな夕景の遠近を深める効果があり、その路上には石薬師寺に向かって担い棒で荷物を運ぶ二人連れが、静寂の中で唯一動きのある姿で描かれています。

この作品は、ほかの宿場の図のような目立つ画題がみられない地味な構図ですが、街道沿いの哀愁に満ちた晩秋の夕景が写実的に描かれ、ひなびた静かな詩情がただよう味わい深い作品であるとともに、当時の街道の実相をうかがうことができる貴重な資料と言えましょう。(SG)
 

 


広重「東海道五十三次之内 石薬師」
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