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7−
曾我蕭白
《旧永島家襖絵》

 曾我蕭白(1730−81)は、伊勢地方を訪れた際に、明和町斎宮の旧家永島家に襖絵を描いている(1)。遺された襖絵は44面。欠損もあると考えられるが、蕭白画のうちで最大規模の遺例である。この旧永島家襖絵44面すべてを展示するのは、1987年に当館と練馬区立美術館で開催した『曾我蕭白展』以来のことである。しかし、ひとつの展示室で一度に44面を展観するのははじめての試みであり、今回より以前に旧永島家襖絵が一堂に会したのは、明治時代のおわりごろであったと思われる。というのも、44面のうち一部の襖は軸装に仕立てられ、永島家の親戚のもとで他の襖とは別に保管されていたからである。このことについて、永島家に遺る口伝は次のように述べている(2)

 「襖ノ内十二枚ハ假表裝シ往方未夕文展、院展等ノ催シナク東京上野ニ於テ年々美術協曾ノ展覧曾ヲ開催セラレシ頃一度参考品トシテ出品陳列セラレタルコトアリ、此分ハ今尚假表裝ノ儘大阪ニ保存他ハ襖ノ儘伊勢ニ在り」

 この口伝によると、旧永島家襖絵は、44面の襖絵のうち12面を仮表装にして展覧会に出品し、そののち伊勢(永島家)と大阪で別々に保管されていたことになる(3)。事実、辻惟雄氏によってはじめて永島家襖絵が紹介された時には、永島家に保管されていた《竹林七賢図》《禽獣図》《波に水鳥図》《波濤群鶴図》《松鷹図》が中心に述べられており、別保管分については、永島家に保存されていたアルバムによった記述にとどまっている。文展第1回が1907年(明治40)、院展の第1回を1898年(明治31)の第5回日本絵画協会・第1回日本美術院連合絵画共進会と考えると、「未だ文展、院展等の催しなく」という口伝を考慮し、明治の後半ごろに44面は二分され、別保管という状態になったと考えることができる(4)。そして、先述の『曾我蕭白展』で44面全面を初展観したのち、襖の状態のまま永島家で保管されていた29面とめくりの状態の15面を、三重県立美術館でそれぞれ1988、89年と1997年に購入して現在にいたる。

 旧永島家襖絵については、本図録末の出品目録に参考文献として掲げるとおり、すでに詳細な論考がなされている。ここでは、先行研究、とくに、辻惟雄「伊勢の蕭白畫」(『國華』952 1971年)、毛利伊知郎「永島家襖絵について」(『曾我蕭白展』図録 1987年)そして『月刊文化財6』(文化庁文化財保護部監修 1998年)にもとづいて、旧永島家襖絵についての解説を試みる(以下それぞれ「伊勢の蕭白畫」、「永島家襖絵について」、『月刊文化財』と省略)。

 まずはじめに44面の内訳を記し、つづいて各画題の内容について述べてゆく(5)

(1)蕭白は少なくとも2度伊勢地方を遊歴しているが、旧永島家襖絵制作は、2度目の伊勢来訪にあたる1764年(明和元年)ころと考えられている。また、永島家のある明和町斎宮は、松阪市と伊勢市の中間に位置する。伊勢参宮街道沿いにある。

(2)以下に全文を記す。
   祖先より口傳
   曾我蕭白伊勢詣デノ途次同國多氣郡齊宮ヲ過キ不圖トシタル縁故(泥酔シ居リタル蕭白ヲ介抱シ連レ帰リタルガ機會トナレルナリト傳フ)ニテ稍久敷滞留セシニ丁度新築座敷落成ノ折柄ナリシヲリ蕭白自ラ進テ其新襖四十四枚全部二染筆シタルモノナリ襖ノ外袋戸、棚ノ戸、柱掛、雛屏風等ニモ揮毫セシモノアリタルカ是レ等ハ既に持合ハセス
   襖ノ内十二枚ハ假表裝シ往方未夕文展、院展等ノ催シナク東京上野ニ於テ年々美術協會ノ展覧會ヲ開催セラ レシ頃一度参考品トシテ出品陳列セラレタルコトアリ、此分ハ今尚假表裝ノ儘大阪ニ保存他ハ襖ノ儘伊勢ニ在リ
   三重縣多氣郡齊宮村齊宮
    先代  故 永島雪江
   右ノ内瀟湘八景ヲ描キタル八枚ノ襖ヲ用ヒタル座敷ハ往年明治大帝カ第一次及第二次ノ大廟御來拝行幸當時ニ囘共御小休ニ被相成タリ

(3)辻惟雄「伊勢の蕭白畫−松阪市の遺品を主として−」(『國華』952特輯・伊勢に残る曾我蕭白の作品 1972年)

(4)日本美術協会は、明治21年に上野において「美術展覧会」を開始しているが、いつの展覧会に永島家襖絵が出品されたかはまだ特定できていない。

(5)《瀟湘八景図》《狼狢図》など再検討を要する画題もあるが、とくにことわらないかぎり、ここでは従来の名称に従う。掛幅の3画題については「曽我蕭白畫十五幅 瀟湘八景 指頭牧牛 狼狢之図」との箱書きがある。

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7−1《波濤群禽図》12面




7−2《竹林七賢図》 8面


7−3《瀟湘八景図》 8幅(掛幅)


7−4《松鷹図》 5面


7−5《禽獣図》 4面


7−6《狼狢図》 3幅(掛幅)


7−7《牧牛図》 4幅(掛幅)


 《波濤群禽図》として扱った12面は、「永島家襖絵について」では、《波濤群鶴図》8面と《波に水鳥図》4面の2画題として扱われている(6)。しかし、第6面と第7面には同種の小禽が描かれており、なおかつ波が連続していることからも図様はつながると考えてよいだろう。(以下襖の位置を示すときは、すべて向かって右から数える。)さらに、第1面と第12面の図様も連続しており、12面すべてが連続していることになる(7)。ただし「永島家襖絵について」では、先代永島家御当主の記憶にもとづき「《波濤群鶴図》8面は同家南西の8畳間に描かれたと伝えられるもの」としている。しかし、引手に改変が加えられている箇所もあり、先代御当主が幼少のころの襖の配置がすでに瀟白制作当初の状態とは異なっている可能性は高い。したがって、正確な配置が確定できない現段階では1画題として扱うのが妥当であると考え、本稿では《波濤群禽図》12面とする(8)



 それでは上記の分類にそって各画題についてみてゆくことにしたい。まず、《波濤群禽図》は、第1面に1羽、第3面に2羽、第4面に3羽と計6羽の鶴が配される。勢いよく水しぶきをあげ、左方に向かう波も徐々に穏やかになり、画面の余白も多くなる。そしてこの穏やかな水の流れに外隈の手法で描かれた2羽の水鳥が浮かび、さらに岩上にも1羽の鳥が配される。鶴とともに描かれる勢いのある波濤は、しばしば指摘されているとおり、朝田寺所蔵《唐獅子図》や《獏図》など蕭白作品にしばしばみられるものである。

 次に《竹林七賢図》に目を転じよう。襖8面という大画面に、墨のみをもちいて雪中の竹林七賢を描くこの作品には、蕭白の墨使いの巧さや確かな画面構成力をみることができる。画面の右側には茅屋の中で談笑する5人の高士を、その左手には茅屋から出て左に進もうとする高士を配する。この背を向ける高士は観る者の視線を左へ誘導するが、雪の重みで頭を垂れる竹がさらに左方へと視線を誘う。その視線は竹の動きをうけるように竹の雪を落とす童子に注がれ、茅屋をめざす高士と童子へと至る。藁筆で勢いよく描かれた高士の衣、やわらかな雪の表現などに墨使いの巧さがみえ、雪をかぶった竹の動きにすべてのモティーフが呼応するように計算されつくされた構図にも蕭白の非凡さはあらわれている。本図は北西の8畳間(北側上段)を飾っていたと指摘されている(9)

 《瀟湘八景図》8面は、左右と中央に山の重なりや建物を配し、広がりのある画面を構成した作品であるが、名称にある八景を比定することはできない(10)。本図は、行体山水であり、蕭白が晩年期に多く手がけた楷体山水とは趣を異にするが、大画面の中に人物を点在させる手法は、近江神社所蔵《月夜山水図》屏風や個人蔵の《楼閣山水図》襖などと共通のものである。この点で、蕭白の山水画にみられる特徴があらわれているといえるだろう。この襖が描かれた部屋について、「永島家襖絵について」では、「当時描かれていた間も不明」と、一方で『月刊文化財』では「南側上段之間」としている。

 《竹林七賢図》同様、旧永島家襖絵の代表作と評される《松鷹図》には、蕭白が得意とするモティーフである鷹が中央に描かれる。鷹のとまる生命力溢れる松は、第5面から大きくうねりながら鷹のいる第3面に達している。その松には鷹の姿におびえる猿が姿を隠している。そしてさらに、鷹の鋭い眼光の先には2羽のうさぎが配されている。猿やうさぎという小動物は、鷹の迫力を増大させる役割を果たしているだけでなく、観るものにそれをみつけたときの喜びを提供しているようにも感じられる。このようなモティーフそのもののおもしろさだけでなく、松はたらし込みの手法をもちいて表現し、鷹は硬質な筆使いで描くというように、モティーフによる描き分けも興味深い。本図の描かれた部屋については、「伊勢の蕭白畫」では「北側座敷と南側座敷の境にある三畳間」、一方で『月刊文化財』では、「山水図の次の間」との可能性が指摘されているが、いずれも確証はない。

 《禽獣図》には、枯れ木にとまるふくろうとそれを見上げる狸、そして後ろ姿の鹿が描かれている。この狸は、個人蔵の《月下狸図》に描かれる狸と同じ姿態をしており、蕭白の粉本制作の一面を示しており興味深い。また、後ろを向く鹿の姿も、曾我二直庵筆で蕭白が補筆をほどこした《萩に鹿図》に描かれる鹿に類似している。蕭白は、他の絵師が描いたモティーフも巧みにとりこみ、独創的な作品にしあげる能力にたけていた。このような制作方法は、むろん本図のみに限ってみられるものではなく、たとえば蕭白のもっともよく知られた作品のひとつである《群仙図屏風》(個人蔵)に描かれる仙人や動物の原型が、《鳥獣図巻》(広渡湖秀筆、長崎県立美術館)あるいは『画巧潜覧』(大岡春卜画、国立国会図書館)などにみられることが佐藤康宏氏によって指摘されている(11)。《群仙図屏風》も本図も、粉本による制作でありながら、モティーフの無機的な羅列にとどまることなく、個々のモティーフを消化し、モティーフの間に有機的な結びつきのある画面に仕上がっている。

 《狼狢図》という画題に従うならば、この3面の襖に描かれている動物は、何かに驚いたようなまるい目をした「狼」と、蟹と戯れる「狢」ということになるが、個々のモティーフについては再検討を要する。「狼」とされる生物も、「狢」とされる生物もともに種別を特定しがたく、特に「狼」は独特の表情と不自然な姿態で表され、実在する動物との隔たりは大きい。先行する研究においても、辻氏はこれらの生物を「奇態な犬」と「鼬」、毛利氏は「狼」と「痩せた犬のような獣」としておりその判断は一致していない(12)。1本1本細い描線を重ねることで表現された「狼」と、没骨法により表現された「狢」は、明らかに異なる技法で描かれているが、本図にかぎらず、《禽獣図》の狸と鹿などにも同様に表現技法の併用がみられる。さらに《波濤群禽図》の鶴と外隅であらわされた水鳥の羽にも描き分けがあった。このように、個々のモティーフによって、体毛や羽に異なる技法を用いるという点は旧永島家襖絵の特色のひとつと考えてよいだろう。意図的に併用されたと思われる毛並みの表現からは、蕭白の墨技の巧みさを垣間見ることができる。

 《牧牛図》は、旧永島家襖絵中唯一の指頭画である。「蛇足軒蕭白酔指画」との落款をもち、蕭白が酒に酔い、指で描いた作品であることがわかる。本図についても、佐藤氏により、先述の『画巧潜覧』巻4の1図をもとに制作した可能性のあることが指摘されている。第1面には、木に登り右手を大きくのばす子どもが、第2面には後ろ姿の牛が、そして第4面には犬のような小さな生物が描かれる。この生物もさきほどの「狼」や「狢」のように特定は困難であろう。蕭白の指頭画といえば高砂の旧家に伝えられた《百合図》が知られているが、本図のような大画面の指頭画は例がなく貴重な資料といえる(13)。『月刊文化財』では、本図が「酔指頭画」であることから、格式の高くない下段のいずれかの間にあったのではないかとしているが、その可能性は高いだろう。
(6)「伊勢の蕭白畫」では、《波に水鳥図》4面、《波濤群鶴図》6面として扱われているが、辻氏が《波に水鳥図》で「水流はさらに右方につづいたと思われる」、《波濤群鶴図》でも「この図様は右方に少なくとももう1面波が続いてあったことが、あとでのべるアルバムの写真から知られる。」としていることからも、第7、8面の2面が何らかの理由で調査の際に辻氏の目に触れなかったことがわかる。


(7)第12面に「蛇足軒曾我左近次郎暉雄蕭白筆」の落款と「曾我暉雄」、「蕭白」の印章があることから、便宜上図版のように1面目と12面目を決定した。


(8)『月刊文化財』の新指定品解説でも《波濤群禽図》は12面で1画題として扱われている。さらにこの解説において、「北側上段之間と南側上段之間の間にある四畳間に「波濤群禽図」は描かれていたことがわかる」と指摘されている。しかし本文中で述べたように、制作当初に飾られていた部屋を特定するのは難しい。《波濤群鶴図》にかぎらず、旧永島家襖絵の配置を現在の資料で判断するのは困難であるといわざるを得ず、本稿では折に触れ、いままでに提出去れた案を紹介するにとどめる。


(9)制作当初の配置にかんして、「伊勢の蕭白畫」、「永島家襖絵について」、『月刊文化財』のすべてで見解が一致しているのは本図のみである。


(10)『月刊文化財6』では、《山水図》との名称で紹介されている。


(11)佐藤康宏『若冲・蕭白 新編名宝日本の美術27』(小学館 1991年)


(12)箱書きがなぜ「狼狢之図」となったのかは明らかではないが、とりあえずここでは「狼」と「狢」として扱ってゆく。


(13)《百合図》は、松尾勝彦氏が「播州路の蕭白画U」『古美術40』で紹介している。

以上、簡単に各画題の内容についてみてきたが、最後に襖という性格上生じる表裏の関係について整理しておきたい。ただし、すでに述べたように、引手に変更が加えられている箇所もみられ、かならずしも制作当初の状態であるとは限らないが、現状を報告しておく必要はあるだろう。

まず、《竹林七賢図》と表裏関係を成しているのは、《波濤群禽図》のうちの4面と《禽獣図》の4面である。《竹林七賢図》の第1、2、3、4面が《波濤群禽図》の第12、11、10、9面と、《竹林七賢図》の第5、6、7、8面が《禽獣図》の4、3、2、1面とそれぞれ表裏の関係を成している。《波濤群禽図》の残りの裏面は、銀砂子となっているが、制作当時のものではないようである。

次に、《松鷹図》の裏面は、5面のうち3面が無地の襖、そして残る2面には後世に記された書付がある。この書付については、今まで触れられることがなかったので、多少長くなるが、以下に全文を掲げておく。

我栖之屏障者總所曽我蕭白之画也就中有猛狼督狸
之図観者賞其絶妙不歇矣如児者晩来悚視此図実可謂活画歟
一日有客置酒相侑宴酣臻夜陰客昏酔尤甚秉燭而狂舞更無
知愈終倒臥障際燭火乍散焦屏障衆皆驚起消吹矣紙片
豈何可堪哉狼図半躯化為灰燼焉嗟惜哉再亦難得之画也老爺
景卜深雖相慨嘆又無可追補之術唯慮不次白高古良能也卜君友生謂日

茲災哉至焦名狼之眼面者卜君雖高雅曷亦相当是臀腰脚
尾之傷也豈何可歎哉大概生物之中豕者人夫生育以斬其臀其肉以供来
賓豕亦不痛其創傷而不日リョウ矣被生物之画物只愛其精妙而己胡
可不補詢風騒風利雖相反能近可謂譬乎笑語不止卜君素学
画狩野守勝而遊心有年也遂及補画之補成歎不其擬似命予其記雖不敏
爺命無由辞記其語以誌爾云
          松栞茶洞三華

この書付については、稿を改めて内容を報告する準備を進めているが、実際に《狽狢図》の「狼」の部分の尾が後補となっており、そのときの事情を記す興味深い資料といえるだろう。

以上にみてきたように、旧永島家襖給は、花鳥、人物、山水、走獣の分野を網羅しており、さらにそれらはあらゆる技法を駆使して描かれている。くり返し述べているように、これらの配置が明らかでないことは惜しまれるが、12面ないしは8面、5面の襖という大画面作品を検討することで、蕭白の大画面を構成する際の傾向を知ることはできるだろう。また《竹林七賢図》や《波濤群鶴図》は現存の8面あるいは12面で画面が完結していることから、今回の展覧会で試みたように、これらの襖がどのような空間をつくっていたかを実際に追体験することも可能である。まだまだなすべきことの多い蕭白研究において、これら44面の襖絵が果たす役割は未知数である。

(佐藤美貴)

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