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1930年代における「日本絵画の成熟」について

酒井哲朗

 「二○世紀日本の再見V 一九三○年代」展は、1930年代における日本美術の様相を、その多様な側面においてとらえようとする試みであったが、展覧会という形式ではいささか手に余ったというのが、正直な感想である。都市化、大衆化の進展にともなうメディアの発展によって、美術の表現領域が拡大した。さらに、1930年代は日本の社会や文化の変動は激しかった。世界恐慌が波及したが、まだ大正リベラリズムの余韻がのこっていた1930(昭和5)年と、国をあげて皇紀2600年を奉祝した1940(昭和15)年、この10年間に日本は大きく変わった。このような時代を背景とした美術の表現もまた多様であり、この展覧会はまさにその多様性ゆえに、断片の集合という印象が否みえなかった。とくに絵画部門にその感が深く、それを補う意味で、この機会に、この時代の特色とされる「日本絵画の成熟」(1)という問題についてのべておきたい。

 

 明治維新後約60年を経過した1930年という時点で考えてみると、急激な 近代化を進めてきた結果、西洋と日本の間の埋めがたいギャップや内部のひずみを内包させながら、近代国家としての日本が、西洋諸国と同時代を対等の関係において存在するという意識が強く現れ、1930年代は、美術の分野でも、その傾向が顕著であったといえる。

 

 当時、画壇の長老は、竹内栖鳳(66歳)、藤島武二(63歳)、横山大観(62歳)らであり、幕末から明治に変わる境目に生まれ、明治文化とともに生育した画家たちであった。1930年代に、栖鳳は≪驟雨一過≫(1935)、《若き家鴨≫(1937)、大観は≪虫の音≫(1934)、≪龍蚊躍四瞑≫(1936)など充実した制作によってなお健在であり、藤島は、≪大王岬に打ち寄せる怒濤≫(1932)や ≪地目照六合≫(1932)、《耕到天≫(1938)など、晩年は風景画の領域に新しい世界を開いた。近代化に向かう諸制度がようやく整いはじめた明治20年代に画壇に登場した彼らの画業が、それぞれに完熟の時期に入ったのである。

 

 この3人の画家が、昭和12年に創設された第一回文化勲章を受章したのは象徴的な出来事である。それは維新以来模索してきた日本の近代の文化システムの特有のかたちができあがったことを意味する。

 

 1930年に50歳に達していたのは、日本画では、川合玉堂(57)、結城素明、上村松園(55)、西村五雲、平福百穂(53)、鏑木清方(52)、西山翆嶂、菊池契月(51)らであり、洋画では満谷国四郎、和田英作(56)らであった。40歳代は、日本画では、松岡映久(49)、小林古徑(47)、安田靫彦(46)、前田青邨、川端龍子(45)、土田麦僊(43)、村上華岳(42)、中村岳陵(40)。洋画では、坂本繁二郎(48)、清水登之、小出楢重(43)、梅原龍三郎、安井曽太郎(42)、牧野虎雄、寺内萬治郎(40)らである。

 

 1930年代の「日本絵画の成熟」といわれる事態の中核となったのは、この世代の画家たち、とりわけ40歳代の画家たちである。明治末期の個性主義芸術の時代思潮の中から台頭してきたこの世代の画家たちが、それぞれの個人様式の完成期に入った結果である。日本画における新古典主義的傾向(2)、あるいは知的造形主義といわれる時代思潮の基軸となったのは、古徑、靫彦、青邨、岳陵、、映久らであり、一方、古典主義的完成を否定した龍子は会場芸術を主導した。洋画では、坂本、梅原、安井、牧野らが、それぞれに独自の日本的洋画といわれる個人様式を確立した。栖鳳や大観から岳陵へ、藤島、満谷から安井、梅原、牧野らにいたる画家たちの作風の完成が、「日本絵画の成熟」の様相の一局面である。

 

 世代別にもっとみていくと、日本画では、1930年は山口蓬春が37歳、速水御舟が36歳(1935没)、福田平八郎、徳岡神泉、落合朗風(1937没)が34歳、伊東深水、中村大三郎が32歳、山本丘人が30歳だった。御舟は《翠苔緑芝》や≪名樹散椿≫の後、新たな写実を試みた≪女二題≫(1931)、モダンな構成美の≪花の傍≫(1932)、朝鮮の妓楼に取材した≪青丘婦女抄≫(1933)など多彩な制作をしていた。平八郎は≪漣≫(1932)≪鮎≫(1935)、神泉は≪芋図≫(1933)など、彼らは古典的完成に向かわず、写実と装飾を融合して抽象化した近代的な鋭い造形感覚による新しい表現を創出した。また、朗風は青龍社を離脱して明朗美術協会を結成して自由な絵画研究を行い、深水は現代感覚による人物表現に新境地を開いた。これら中堅世代も、形体の単純化と色彩の洗練を主流とした近代日本画の美意識をさらに進展させ、1930年代の日本画の知的造形主義の別の局面を担っている。

 

 洋画の中堅世代は、須田国太郎(39)、川口軌外、中川紀元(38)、木村荘八、児島善三郎、中山巍(37)、古賀春江、里見勝蔵、高畠達四郎(35)、福沢一郎、岡鹿之助、野口弥太郎(31)らである。1920年代にエコール・ド・パリやキュービズム、シュールリアリズムなど西洋20世紀芸術の影響を受けた世代であり、彼らの多くは、一九三○年代協会に結集した。そのなかから里見、中山、児島、川口らは1930年に独立美術協会を創設し、少し遅れて須田も加わったが、やがて「独立の新日本主義」(3)といわれる伝統回帰の傾向が出現した。油絵の日本化は、すで1910年代に岸田劉生や萬鐵五郎らによって大胆にすすめられ、1920年代に木村や中川が日本回帰の傾向をみせていたが、フォービズムの土着化といわれる油絵の日本化は1930年代に多彩に展開され、「日本絵画の成熟」といわれる現象の重要な部分を構成している。

 

 この「新日本主義」に川口や福沢も包含されたが、彼らはモダニズムの推進者であり、とくに福沢は、1930年代の日本の前衛芸術であったシュールリアリズムの指導者であり、次世代の新進画家たちが後続した。北脇昇29歳、三岸好太郎28歳らであり、二科会に属した青原治良は25歳、靉光23歳、パリの『アブストラクシオン・クレアシオン』に加わった岡本太郎は19歳だった。抽象系では、山口長男28歳、村井正誠25歳、長谷川三郎24歳、広幡憲は20歳だった。このように1930年代の日本絵画のモダニズムの運動を担ったのは20代の画家たちであった。モダニズムは、シュールリアリズムやアブストラクトだけではなく、具象絵画の領域においても、20代の画家たちは新しい表現を求めていた。鳥海青児、猪熊弦一郎(28)、小磯良平(27)、海老原喜之助(26)、山口薫(23)らであり、松本竣介は18歳、麻生三郎は17歳だった。

 

 日本画の20歳代は、小松均28歳、岩橋英遠27歳、福田豊四郎26歳、吉岡堅二24歳、杉山寧21歳であり、西山英雄19歳、高山辰雄は18歳だった。彼らはそれぞれに高踏的な美的洗練に向かった日本画の主流に対し、現代生活に即したリアリティを求めたといえよう。小松、福田、吉岡は山樹社をつくり、さらに新日本画研究会、新美術人協会を結成し、シュールリアリズムなど西洋20世紀美術を視野に入れつつ新しい日本画をめざした。新日本画研究会に加わり、その後歴程美術協会に拠った岩橋はさらにラディカルな立場をとった。杉山や高山らは、一莱社、瑠爽画社などの研究団体をつくって日本画における写実を追求していた。

 

 それまでの日本美術は、1900年代に印象派、1910年代には後期印象派、20年代はフォービズム、キュービズム、表現主義、未来派、構成主義、ダダイズム、エコール・ド・パリなど、西洋の新思潮を積極的に受容し、常に新派が主導しつつ、それらを日本化するという過程を反復してきた。1930年代の洋画の日本化という現象には、これらの受容体験が重層的に堆積し、発酵して展開されたものである。

 

 日本画についても、1900年代の大観らの朦朧体以降、洋画とパラレルに、西洋の動向を意識しつつ展開してきた。1910年代には日本画の洋画化という傾向が顕著に現れたが、近代日本画の主流となったのは、西洋近代の造形思考を学んで、伝統を再構築する立場である。1920年代に日本画の洋画化はひとつの頂点に達し、その一方で伝統回帰の傾向が強まった。1930年代には、古徑や靫彦らに典型的にみられるような、しばしば近代日本画の完成した様式、すなわち「新古典」といわれる作品群が出現した。

 

 1930年代の日本絵画は、明治以来の「伝統とモダニズムの相克」が、急激な都市化、国際化という現象のなかで、伝統のモダナイズ、モダニズムの日本化という相互作用が重層的に展開し、「日本絵画の成熟」というトータルな状況を形成していた。しかし、1930年代後半から日本が急速に軍国主義化するなかで、中堅世代以上の画家たちは、何らかのかたちで戦争に組み込まれたが、戦地で直接銃をとることはなかった。しかし、20代の画家たちの多くは、制作を中断して戦地に赴き、悲惨な戦争体験をした。彼らに成熟するいとまはなかった。中堅以上の画家たちは、戦後も成熟を続けたが、生き残った20代の画家たちは、戦後再出発し、成熟はまたのちのこととなった。

 

(三重県立美術館長)

註(1)『写実の系譜W-「絵画」の成熟 1930年代の日本画家と洋画』東京国立近代美術館 1994

 

松岡映丘「右大臣実朝」

松岡映丘「右大臣実朝」1932年

 

(2)『山種美術館開館30年記念シンポジウム報告書』「日本に新古典主義絵画はあったか?-1920〜30年代日本画を検証する-」山種美術館 1999

 

福田平八郎「花菖蒲図」

福田平八郎「花菖蒲図」1934年

 

福沢一郎「よき料理人」1930年

福沢一郎「よき料理人」1930年

 

(3)横山毅一郎「造形文化新段階」(『みづゑ』1934年5月号)

 

山口薫「潮騒(夜明け)」

山口薫「潮騒(夜明け)」1938-48年

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