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美術館 > 刊行物 > HILL WIND > ひる・うぃんど(vol.51-60) > 岸田劉生《B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)》

岸田劉生(1891-1929)《B.L.の肖像(バーナード・リーチ像)》

1913(大正2)年 油彩・カンヴァス 61.5×46.0cm

 劉生は1912年から友人の顔をつぎつぎと描く、いわゆる「首狩り」「千人斬り」をおこなった。《バーナード・リーチ像》はその初期に位置するが、本人が述懐しているように、画面はゴッホやセザンヌ、マチスらに刺激を受けた描き方となっている。ただ、この作品ではこれまでの平面的で表現主義的な要素よりも、モチーフの量感を比較的短いタッチでとらえる方法へと傾向が変わりつつある。ちょうど塑像を画面上でつくりあげるような感じであろうか、とくにリーチの左手に注目すると、それまでの即興的な描き方から、粘りのある執拗な形の追求へと向かっており、その後劉生がすすんだ北方ルネッサンス風絵画とも通じるところがある。 

 

 後期印象派以降の美術に感化され、色彩や形の単化、エッセンシャルを求めた劉生は、どうしてもそこには満足できないでいたと述懐している(『多都美』 9-3 大正4年3月号)。この作品以降の肖像画をみると、人物の最低必要な要素だけを引き出して描くこれまでの方法ではなく、人物をじっくりと観察することで、それまで自分には知覚していなかったモチーフの諸要素をみいだそうとする態度がうかがわれる。

 

 そういったこともあってかどうかわからないが、劉生の描いた人物像は、親しい友人、家族など、身近なものに限られている。リーチとは1911(明治44)年に知り合い、彼からエッチングの手ほどきを受けた。北方ルネサンス絵画に傾倒していったことも、内面からの欲求が主な要因だろうが、劉生のデューラー調の素描などをみると、リーチから受けた影響が大きかったに違いない。

 

(田中善明・学芸員)

 

年報/1910年代展

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