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ル・サロン 或はブルジョア・レアリスムの温床 『日本近代洋画の巨匠とフランス展』研究ノートU

荒屋鋪 透

 アシュモレアン美術館のクリストファー・ロイドは「近年流行の19世紀美術史『再評価』reassessmentの中で、クリーヴランド美術館が組織した『レアリスムの伝統:フランスの絵画と素描1830−1900年展』The Realist Tradition: French Painting and Drawing 1830-1900. The Cleveland Museum of Art, Nov.12, 1980-Jan.18, 1981.が一つの指標として重要視されるべきことは疑いを容れない。」と述べ、その展覧会が従来の19世紀フランス美術史に対して理論的な異議申し立てをしながら、展示作品の大胆な選択とその挑発的な取り扱いによって、時機を得た刺激的なものになったと評価している。Christopher Lloyd, Art International. Jul.-Aug., 1983, pp.50-51. 一昨年、コロンビア大学のシオドア・レフが企画した『マネと近代のパリ展』がそうであった様に、当時クリーヴランド美術館キュレーターであったガブリエル・ワイズバークが企画するこの『レアリスムの伝統展』の面白さは何よりもまずその構成、厖大な数の作品の分類法にあったといえよう。七月王政から第三共和政にかけて活躍した73名の画家の作品二百数十点が展示された本展は二つのパーツ、第一部「レアリスムの展開」、第二部「自然主義の出現」からなり、第一部は更に(1)風俗画:市民のタイフ A)都市生活、 B)地方の生活。(2)風俗画:労働者の主題 A)職人、 B)工場、C)農民と市場。(3)風俗画:家庭の営み。(4)風俗画:教会と国家。(5)風俗画:同時代の事件。A)天災、B)革命と戦争。(6)静物画:A)食器の形、B)食卓上の習作。(7)肖像画:A)画家のアトリエ、B)自画像、C)家族、D)友人。(8)風景画に分類され、第二部は(1)風俗画:都市の生活様式。(2)風俗画:地方の生活様式。(3)風俗画:都市の労働者。(4)風俗画:田舎の営み。(5)静物画。(6)肖像画。風景画に整理されている。この構成は所謂19世紀レアリスムの画家の多様な視点と、それが彼らが拘った社会的現実の推移と共に移行してゆく経過を、時代が共有した図像として視覚化することを意図しており、最近とみに活発な論陣を張る修正主義の美術史学の方法に依拠している。(Kirk Varnedoe, ”Revisionism Revisited” Art Journal, Fall/Winter, 1980, PP.348-352.などに見られる修正主義見直しの動向。)

 

 もっともEncyclopedia of World Art第16巻補遺において、ウイリアム・ハウプトマンが本展を論駁した二つの展評を採り上げた様に、もっぱらその関心を画面のマティエ−ルヘと向けていた−と展評者のみる一クールベやマネといった尖鋭的芸術家を軽視し、主題上の寓意性、感傷性、絵画性(ピクチュアレスク)の追求に専念した旧弊な−と展評者のみるーアカデミシャンを過大評価して、両者を同一線上に並べることへの提訴が一方で起こることは否めないとしても、(C.Rosen, “What Is, and Is Not, Realism?”New York Review of Books, Feb.18, 1982, H.Zerner,“Enemies of Realism,.New York Review of Books, Mar.4, 1982.)19世紀写実(主義)絵画の複雑な様相を主題別に区分し、その分類から各々の画家の個性を明確にしようとするこの総括的な試みは、単に群小画家を再考することに留まらず、従来から確固たる地位を築いている巨匠に付き物の誇張された伝説を一掃し、彼らの尖鋭性の真の内容と意図を理解する手掛りにもなっているといえよう。

 

 ところで先にクリストファー・ロイドがこの『レアリスムの伝統展』を絶賛することを枕に評し始めた『ジュール・ブルトン:またはフランスの田園画の伝統展』Jules Breton and The French Rural Tradition, Joslyn Art Museum, Omaha, Nov.6 1982-Jan.2, 1983.はまさに『レアリスムの伝統展』を受けた形で催された、レアリスム研究の各論的好企画であった。ブルトンは既に70年代の一部の展覧会、例えばミネアポリスで催された『ミレーの落穂拾い展』Millets Gleaners, The Minneapolis Institute of Arts, Arp.2-Jun.4,1978.などにも採り上げられ19世紀の田園画の歴史を語る際に不可決な存在との評価を得ていたが、これとてもミレーの尖鋭性を強調するための触媒的機能を果す官展画家の役回りを免れてはいなかったのである。確かにケネス・マッコニーが報告するように、サロン一等賞受賞と作品の国家購入、それに続く皇帝ルイ・ナポレオンの側近達による作品購入という事実が、善さ芸術家を執拗にサロンで落選させた、弾圧的体制としての第二帝政像を抱き続ける美術史家をして、ブルトン評価に二の足を踏ませる要因であることは充分理解出来る。Kenneth McConkey, Book Reviews Burl. Mag., Nov.1983 pp.703-704. 実際、同展カタログ序文において企画者のひとりであるH.スタージスも、第二帝政期の農民の現実を無視し、いたずらに農民の姿を美化する目的で半ば神話画化きせた農村の図像を、意図的に工作したブルトンの一面を認めてはいる。

 

 ただ19世紀フランス美術史再評価の動向の中に、ブルトン展が提示した今日的意義を見い出そうとするならば、それは19世紀の一宮展画家が作品に表現したレアリテとは一体何であったのかという寧ろ素朴な疑問への回帰を促した点ではなかろうか。――それでも尚ミレーとブルトンの作品の質の評価に固執されたき向きには恰好の論文が同展カタロクにあることを特記したい。それはFidell−Beaufort,“Jules Breton in America: Collectingin in 19th Century"である。

 

 この報告は、ミレーの評価が本国フランスにおいてよりも先にアメリカで確立したのと同時に、ブルトン作品の蒐集が19世紀のアメリカでなされた事実を追跡したものであり、19世紀末から20世紀初頭にかけてのアメリカ絵画が、クーチュール、ブーグロー、ブルトンといったフランスの官展画家の影響を受けざるを得なかった状況を物語っている。このことは又、同時期に∃ーロッパ美術を摂取した我が国の事情に重なる点でもある。――

 

 クリストファー・ロイドはブルトンの生涯のパラドックスが、彼に作品制作を委嘱した階級、例えば富裕なフルジョアジーや高級官吏を転覆させかねない被搾取階級を措いた主題で成功したことにあると指摘する。フルトンがパトロン達の反発を緩和出釆たのは、その主題がアカデミックな技巧と古典的図像を配慮した構成で処理され社会の状況に即応するよう注意深く吟味されていたためである。ミレーとブルトンは共に時代の趣味の中に容認されたのである。彼らのパトロンであるブルジョアジーは、手慰みに愛撫する無邪気な百姓を求めていた。その意味でブルトンのパストラールはミレーに優っていた。ブルトンの関心はその主題に潜む社会的現実の認識にはなく、もっぱら彼を感動させたレアリテを抽出し、自らの感性に訴える情景を構築することにあった。それは言わば甘美なレアリスムであり、現実を理想化したイマージュ、ワイズパーグがいみじくもromantic realism と呼んだところのものである。

 

 1890年代にブルトンはいくつかの著作をものしている。「ある芸術家の生涯:芸術と自然」(1890年)、「ある農民画家」(1896年)、「今世紀の我らの画家たち」(1899年)などである。これらはブルトンの絵画作品を解釈する上で貴重な情報を提供してくれる。「ある農民画家」では、北フランス出身の画家が、その少年時代を過した牧歌的情景が回想きれ善良な百姓が彼に微笑みかけ詩篇を口吟む姿が描写される。フルトンの脳裡に定着された田園風景には階級闘争など入り込む余地がなく、そのアルカディアの中では至福溢れる農民の歓喜の歌が響くのである。では何故画家が繰り返しアルカディアを描いたのか。それは画家が体験したレアリテに対して逆説法をもってする抵抗であったのかもしれない。――この点を今回のブルトン展は明らかにしてみせた。―ブルトンが少年時代を過ごしたアルトワは1880年代までに、フランスの石炭と砂糖ビート生産の中心地に変貌したのである。工場の煙突から吐き出される濃密な煤煙が平野に垂れ籠め、憂欝な空気が世界を覆っている。作品に黎明、日没の情景が多いのも、そうした時間の流れを象徴的に表現するためであろうか。ワイズパークはブルトンを romantic symbolist と称した。勿論、19世紀後半の産業革命の余波を作品に投影させたのはブルトンぱかりではなく、近年の研究では、印象派のクロード・モネの風景画すらその嵐を回避出来なかった事実が報告されている。(P.H. Tucker, Monet at Argenteuil, New Haven and London, 1982.)1981年の『ピサロ展』に参画し、ピサロに関するいくつかの論文を発表したクリストファー・ロイドは、ここでブルトンのアルカディアと対照する目的でピサロの農民画を引き合いに出す。ロイドはピサロが画面に農民を導入する時、それは変化を主体的に推進するものとしての農民のレアリテを再構成するためであり、ピサロは農民の未来を認めていたという。つまリピサロの描く農民は殉教者ではなく、政治的扇動の波に突入した逞しい存在であった。逆にブルトンのアルカディアに登場する農民は哀れであり、過去を想い沈欝な表情を隠しきれず憂いの中に佇んでいる。このレアリテに対する悲観的態度がブルトンの絵画に反映しているとロイドは見て取るのである。

続く

 

 

(あらやしき・とおる 学芸員)

ジュール・ブルトン作 《干し草の火事》部分 1856年頃

ジュール・ブルトン作

《干し草の火事》部分

 

1856年頃

 

 

ジュール・ブルトン作《落穂拾いの女たちの想い出》部分 1859年

ジュール・ブルトン作

《落穂拾いの女たちの想い出》部分

 

1859年

 

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