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日月山水図雑感一束

日月山水図
 

やまと絵の世界では、描かれた三角形の山の頂上から煙がのぼっていればそれは富士山だし、松林の海岸に鳥居がみえるとき、そこは住吉大社以外の場所でありえない、のだそうだ。(奥村恒哉『歌枕』平凡社)なぜそうなるのか。名所とか歌枕とかいう詠歌のうえの約束事がそのままやまと絵鑑賞に際して踏襲されるかららしい。そこで『和歌初学抄』が「フジノ山」として

タカネトモイフ、ケブリタツ、ユキタエズ

と記載するからには、富士はつねに雪をいただき、煙を吐きつづけることになる。こうして視覚化された和歌に他ならないやまと絵にあっても、花は吉野、萩は宮城野、紅葉は龍出川と、場所とできごとの組合せをパターン化し自然を再現する喚起力を弱めるかわり、共有された記憶を前提に歌から歌をつくることによってこの〈共同幻想〉を濃く、強くすることを願う本歌取りの骨法がおそらくそのまま移植されている。いわば絵から絵がつくられるわけで、対象の真実を描こうという執着ははじめからすて、質感や質量を無化し、感覚と感情の記号へと洗練に洗練をかさねてゆくようにぼくにはみえる。

それは記号である。この感性の記号学にふかく通暁した人、あるいは記号の斥す意味を共有しあえる共同体の存在しないところでは、海市のごとく浮びあがるその実像さえ、うけとることが本来は困難な記号である。とはいえ平安の宮廷芸術を貫く美への一種独特な態度は日本文化全体の性格でもあって、砕け散ったとはいえぼくらの肉体にはこの精神の傾向性、なんなら結論を先どりしていえば審美と倫理をないまぜにした呪術的な世界観といってもよいそれの無数の破片がつきささっているからには、時を得てこの海市が妖しく強くたちあらわれることがあるのは無理からぬことだ。

そう、ほかでもない、「海・その幸と形象」展に出陳された一双の屏風『日月山水図』について語りたかったのだ(そして実はすでに語ってしまっているけれど)。制作の時代は室町末期といわれ、漢画の手法が混入するけれども、というよりむしろそのためかえって、これこそがやまと絵の具の性質、この国の精神の古層である呪術的要素が露呈している。この絵をみるということは、少なくともぼくにとって、なにかことイメージからイメージヘとつなぐ深い時間の森を逆に辿って、ついに化石のように存在する魂の原風景へ至る旅の経験とでも比喩に託して言うほかない、奇妙な時間の経験なのである。そしてその時ふいに今まで見えなかった意味連環が疑いようのない姿で現われてくる。土地の霊との交感を担う言葉一言霊への、そしてさらにそれを超えてゆくものへの視線。

見わたせば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ

はよく知られた後鳥羽院の一首だが、表層の美意識だけでなく、四季の順序正しい循環と豊かな生産力の永続を祈って、土地の霊に対し言葉という呪力に頼る一種の儀式が展開されている深層風景を理解すべきだという。(丸谷才一「香具山から最上川へ」)けっきょくここで問題なのは、コスモスとしての世界の構造を知ろうとするより(そうすると風景は遠ぎかり、立体化する)、カオスはカオスのままに、人間の必要にあわせてそれに対処する(風景は近づき、魂の形をまねる)ことだといえようか。

さらに、土地の霊への挨拶、奉幣がもっとも大きな目的なら、最終的には土地の名だけとなえてもいいはずだ。そのくせものをそれそのものとしてうちつけに表現することはタプー視しがちの古代的心性を考えあわせると、やまと絵の象徴的表現を精神の必然の形態と、すなおに納得することはできる。それはひとつのことであり、そしてそこからこの 〈共同幻想〉への新たな旅をはじめることはまたべつのひとつのことに属する。

(東 俊郎・学芸員)

友の会だより no.7, 1984.11.25

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