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初瀬街道・街道の昔々

第1話

悲恋物語が宿る日本三奇鐘の一つ「虫喰の鐘」(伊賀市阿保大村神社)

垂仁(すいにん)天皇が皇子の息速別命(いきはやわけのみこと)のために築いた宮室がこの社の起源であるとされる大村神社。境内には、日本三奇鐘の一つに数えられる虫喰の鐘があり、娘と寺僧の悲恋物語を秘めています。その鐘には、その昔、鐘を守る若い僧の枕元に娘の亡霊が現れ、その時から鐘の乳が溶け始め、里人たちは鐘を喰う虫は娘の怨念だと恐れたという伝承が今も語り継がれています。他にも、地震の守り神として多くの信者を集める「要石(かなめいし)」や桃山時代の建築・檜皮葺き(ひわだぶき)の一間社流造り(いっけんやしろながれづくり)の「宝殿」があり、その建て方、彫刻、彩色に華麗な桃山様式が偲ばれます。
悲恋物語が宿る日本三奇鐘の一つ「虫喰の鐘」(伊賀市阿保大村神社)


第2話

大来皇女(おおくのひめみこ)と夏見廃寺(なつみはいじ)(名張市夏見廃寺)

天武(てんむ)天皇の皇女で、斎王制度が成立して最初の斎王として、13年間にわたって大神に仕えた大来皇女。父・天武天皇の死去に伴って斎王を解任され、弟・大津皇子(おおつのみこ)は謀叛(むほん)の罪により処刑されるという悲劇に遭遇しました。死の直前に斎宮を訪れた弟を見送った歌や弟の死の悲しみを詠んだ歌は万葉集の中でも名歌として知られ、万葉詩人としてもその名は後世に伝えられています。また、大来皇女が弟の眠る二上山(ふたかみやま)を望む地に建立した寺・昌福寺(しょうふくじ)が、この名張にある「夏見廃寺」だといわれ、現在の寺院跡には、金堂基壇をはじめ、塔、講堂などの基壇が復元されています。
大来皇女(おおくのひめみこ)と夏見廃寺(なつみはいじ)(名張市夏見廃寺)

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