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伊賀街道・街道の昔々

第1話

犬塚に残る義犬伝説(津市美里町義犬塚)

長野峠の麓、平木地内の県道端にひっそりとある小さなお堂。その塚に伝わる義犬伝説のお話です。その昔、長野氏の家臣は大きな犬を一匹飼い、大切に育てていました。ある時、愛犬があまりに吠えるので自分が襲われるものと思い、この犬の首を切ってしまいました。はねられたその首は、そのまま木の上に飛んでいき、背後で侍を狙っていた大蛇に喰いつき、侍の命を助けました。命拾いした侍は感泣し、犬の死体を土の中にうめて、石を立てて供養したといいます。そこは「義犬塚」と呼ばれ、主人の命を救った忠犬を祀ったものと伝えられています。
犬塚に残る義犬伝説(津市美里町義犬塚)


第2話

新大仏寺をめぐる雨乞いの物語(伊賀市富永新大仏寺)

古くから「阿波の俊乗(すじょう)さん」と呼ばれ、広く親しまれている新大仏寺。正式名を「五宝山新大仏寺」という、700年の歴史を持つ名刹で、かつては雨乞いで名高いお寺であったといわれています。『昔、娘に化けた竜が、天に帰るために力を貸して欲しいと寺の僧侶に頼み、必要な時に雨を降らせるという約束の代わりに僧がお経を読んであげたので、竜は空に帰ることができ、以来、この地方は水に困ることがなくなった』という伝説が残っています。その伝説の中に出てくる僧侶は、この地に新大仏寺を開いた上人、俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)であるといわれ、今も多くの参拝者が新大仏寺を訪れています。
新大仏寺をめぐる雨乞いの物語(伊賀市富永新大仏寺)

第3話

新大仏寺と東大寺とを結ぶ木材(伊賀市富永新大仏寺)

源平の戦いで焼け落ちた奈良の東大寺再建のために力を尽くした俊乗坊重源によって、伊賀地方にあった東大寺領の杣山(そまやま)から大仏殿建立用材を得るために開設された伊賀別所が新大仏寺の始まりだといわれています。伊賀地方は京都・奈良まで、川を利用して用材を運ぶことができたため、この地方では多くの木材が伐採されていました。この木材を利用して、重源上人は東大寺の再建とともに七つの別所を創設しました。その一つが伊賀別所です。伊賀別所は、他と異なり、「新大仏寺」という寺号を持ち、さらに石造技術が多く取り入れられていることに特徴があります。当時の東大寺の三分の一の寺領を有する格式の高い寺であったと伝わっています。
新大仏寺と東大寺とを結ぶ木材(伊賀市富永新大仏寺)

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