表は格子構えの古い町屋で、中は土間が奥まで続いています。生家の奥に残る釣月軒は、処女句集『貝おほい』を執筆した所で、芭蕉は伊賀へ帰省するたびにここで起居したと伝えられています。 | ![]() |
街道筋ではありませんが、街道からほど近い所に通りを挟んで7つも寺が集まっているところがあり、寺町と呼ばれています。城下町を守る手だてのひとつとして寺院をあつめたのがはじまりと言われています。白壁が続く美しい通りです。 | ![]() |
学問の神様・菅原道真を祀る神社で、松尾芭蕉が処女作『貝おほい』を奉納したことから、「貝おほい奉納社」と呼ばれることがあります。別名を上野天神社といい、上野の秋の風物詩・上野天神祭はこの神社の例祭です。市指定史跡。 | ![]() |
上野城は、慶長16年(1611)に藤堂高虎が築いた、別名白鳳城と呼ばれる美しい城です。今も残る内堀の石垣は30mあり、その高さは日本一と言われています。上野城の天守閣は完成直前で大風で倒壊し、その後再び作られることはありませんでした。現在の天守閣は昭和10年に復興されたものです。 | ![]() |
上野の市街地は、城下町の雰囲気が残っており、道筋には連子格子や虫籠窓の家があちこちに見られます。街道を歩けば、寺院があったり、古そうな看板を掲げた店があったりと、あちこちで歴史の面影に出会うことができます。 | ![]() |
岡山藩士・渡辺数馬(わたなべかずま)が、剣豪・荒木又右衛門の助力を得て、弟の仇、河合又五郎を見事討ち取った場所です。この事件は「伊賀越仇討(いがごえのあだうち)」と呼ばれ、日本三大仇討のひとつに数えられています。「みぎいせミちひだりなら道」と刻まれた文政13年(1830)の道標が立っており、側の鍵屋の辻公園には伊賀越資料館や数馬茶屋があります。 | ![]() |
鍵屋の辻での仇討の際、渡辺数馬らが仇討を前にひとときの憩いをとったという茶屋です。今は鍵屋の辻公園の一角に数馬茶屋として復元されています。仇討の時、茶屋を出た荒木又右衛門は、釣り銭が間違っていたと言って一度茶屋へ戻ってきたそうです。後に又右衛門は、「武士が真剣勝負の前に銭勘定を間違えたと言われては…」と語ったとか。 | ![]() |
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