黒潮のうち寄せる熊野灘の近くに、鎌倉時代に作られたといわれる石畳の残る波田須道があります。
街道から見渡せる波田須の集落には、「徐福の宮」があり、古代中国を統一したこの皇帝が不老長寿の仙薬を求めさせた徐福(じょふく)という男が、
熊野に漂着した…という徐福伝説があり、彼が見つけたという「天台烏薬(てんだいうやく)」という植物は、今もこの地に自生しています。
伝説によると、この地に漂着した徐福は、農耕や稲作、鉄や捕鯨などを伝えたと言われています。さて、嘘かまことか……。
「秦」と言う字は「はた」とも読みます。「秦」から来た人が住んだ場所……だから「はたす(秦住/秦栖)」なのだともいわれています。
徐福の生きたと言われる紀元前200余年は、日本の歴史は、米作りや鉄器の使用が盛んになった弥生時代。
同じ熊野市の花の窟に近い産田神社(うぶたじんじゃ)は、古代の祭祀台「ひもろぎ」が残る歴史の古い神社ですが、
この神社の神田で大正時代まで作っていた米は、南方種の細長い赤米だったとか…。徐福の伝説の真偽はともかく、熊野灘には、
黒潮が運んできた文化もまた根付いているのでしょう。
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波田須 | 徐福の宮 |
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