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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 瓦経(かわらきょう・がきょう)

瓦経(かわらきょう・がきょう)

資料名 瓦経(かわらきょう・がきょう) 資料番号 46
寸  法  たて:  80ミリ
 よこ: 127ミリ
時  代 平安時代
出土遺跡     小町塚(こまちづか・伊勢市浦口町)
     ※遺跡名および所在地は、三重県遺跡情報公開システムに記載されている名称とした。
解 説


 瓦経(かわらきょう・がきょう)は、方形または長方形の粘土板に経文をヘラで刻んで焼いたものです。ちょうど、反りのない平瓦に経文を写経したような感じになります。瓦経が登場するのは、平安時代の中頃以降のことです。ちょうどこの時期は、仏教では釈迦の教えだけしか伝わらない末法の時代に入るとされ、大きな社会不安となっていました。
 そのような時期に、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が再来する釈迦入滅(にゅうめつ)後56億7000万年後まで経文などを伝えようとして「経塚(きょうづか)」がつくられるようになります。経塚には、経文を紙に写したもの、銅板に刻んだもの、石に刻んだり、写したものなどが、紙は筒状の容器に入れて、そのほかは直接、土の中に埋められました。そのひとつが粘土板に経文を刻んで焼いた「瓦経」です。
 三重県内には、60の経塚が埋蔵文化財台帳に登録されています。そのひとつに伊勢市にある「小町塚」があります。「小町塚」は、天明(てんめい)年間(1781年から1789年)に農夫が多量の瓦経を掘り出して見つかりました。現在は、墓地となっています。今までに見つかった「瓦経」には、法華経(ほけきょう)、無量寿経(むりょうじゅきょう)、観普賢経(かんふげんぎょう)、大日経(だいにちきょう)など12種類の経文が刻まれていました。いずれの「瓦経」も平安時代終わりごろの承安(しょうあん)4(1174)年5月から6月に書写されたものです。このほかにも承安4年の銘がある陶製光背(とうせいこうはい)や台座なども見つかっています。
 写真の資料も「小町塚」から見つかった「瓦経」下部の破片です。両面に経文が刻まれていますが、片面は摩滅が著しく刻まれている文字の判読は、難しい状態です。
 もう片面には
  「 ]□渡?
    ]□習?是
    ]□母間
    ]□度者
    ]未?涅槃者令
    ]一切知者   」
と刻まれています。何経が刻まれているのかは、調べてみないとわかりませんが、当時の人たちの仏教に対する想いや信仰心の篤さを現代に伝える貴重な資料のひとつと言えます。  (FK)

追 記
(平成20.3.21)
 掲載後、この瓦経に関係する資料が出てきました。刻まれている文字の読みに一部誤りがありました。
 資料によりますとこの瓦経に刻まれているのは、「妙法蓮華経 巻三 薬草喩品 第五」の一部で上の写真が瓦経の裏面で
  「 ]如彼
    ]而唱是
    ]逝世間
    ]未度者
    ]未涅槃者令
    ]一切知者  」
下の写真が瓦経の表面で
    ]地如来
    ]生深
    ]了示諸
    ]界山
    ]種類
    ]千世    」
と刻まれているとのことです。
 また、この瓦経の上部については、「直接接合する部分はないが」という断り書きがついていますが、國學院大學が所蔵している瓦経であると書かれています。  (FK)
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