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生誕140年-中澤弘光展―知られざる画家の軌跡 出品リスト

第1章 洋画家としての歩み 

 「想うに一升の桝には一升しかはいらないものだ、私は私自身のことをよく知っている。今日、斯うしているのも三人の先生が順序よく、即ち大野先生が骨、堀江先生が肉そして黒田先生が仕上げをして下すったおかげで、凡才もどうにかこうにか此処まで来ているのだと思っている。それに先輩諸君が居られたことも、非常に私のはげみになったと思っている。」*
 明治・大正・昭和三代を通じて日本の洋画界に寄与した中澤弘光。早くに両親を亡くしたものの、洋画家としての歩みは始終恵まれていたと言ってよいだろう。10代の前半から、鹿児島の知人を頼りに曾山(大野)幸彦や堀江正章という工部美術学校出身者の画塾で西洋絵画の基礎を学び、そこで岡田三郎助(1869-1939)や和田英作(1874-1959)らとも出会った。1896(明治29)年、東京美術学校へ第4期生として入学した年は、ちょうど白馬会の創立と重なり、黒田清輝指導のもと、発表の場も明治美術会から白馬会へと移っていった。その後、装幀や挿絵、旅行記などの仕事で別の才能を開花させつつ、1907(明治40)年から始まった文部省美術展覧会その他で受賞を重ね、審査員を務める立場となった。確かな表現力を土台に、黒田の外光派表現を継承した中澤であったが、持ち前の抒情的・耽美的表現があるかと思えば、一方で大正期には鮮烈な色彩を用いた表現主義的な傾向を見せるなど、その多様な試みは見過ごすことができない。明治の末から光風会、日本水彩画会、そして48歳の渡欧後には白日会を有志とともに創立した中澤は、生涯にわたって精力的に作品を発表し続けたのであった。
*『中澤弘光画集』 中澤弘光画集刊行会、1943年6月

 

    題名 ※=仮題  制作年 材質 寸法 所蔵者
O 1 女性像※ 1897(明治30)年 油彩・キャンヴァス 25.8×18.4 個人蔵
O 2 女性像※ 制作年不詳 油彩・キャンヴァス 22.0×15.5 個人蔵
O 3 習作(女の顔) (1898〜99年) 油彩・キャンヴァス 45.7×38.2 個人蔵
O 4 自画像 1900(明治33)年 油彩・キャンヴァス 60.5×45.5 東京藝術大学大学美術館
O 5 少婦 1900(明治33)年 油彩・キャンヴァス 88.0×68.4 東京藝術大学大学美術館
O 6 残春 1901(明治34)年 油彩・キャンヴァス 80.8×60.5 東京藝術大学大学美術館
O 7 非水像 1901(明治34)年 油彩・キャンヴァス 46.0×33.5 東京国立近代美術館
O 8 風景(ウィツマン模写) 1902(明治35)年 油彩・キャンヴァス 80.2×100.1 東京藝術大学大学美術館
O 9 男性像/風景※ 表裏 1904(明治37)年 油彩・板 32.7×23.8 個人蔵
O 10 女性像/男性像※ 表裏 1904(明治37)年 油彩・板 33×23.6 個人蔵
O 11 裸婦像(習作画) 1905(明治38)年 油彩・キャンヴァス 45.8×37.8 個人蔵
O 12 1907(明治40)年 油彩・キャンヴァス  81.2×60.7 東京国立近代美術館
O 13 おもいで 1909(明治42)年 油彩・キャンヴァス 258.0×127.5 東京国立近代美術館
O 14 李花 1909(明治42)年 油彩・キャンヴァス 30.4×39.7 個人蔵
O 15 団扇を持つ女性(外光の女) 明治末期 油彩・板 32.9×23.5 個人蔵
O 16 舞妓 明治末期 油彩・キャンヴァス 60.8×45.7 個人蔵
O 17 まひる 1910(明治43)年 油彩・キャンヴァス 196.0×114.0 東京国立近代美術館
O 18 浴衣の男 1911(明治44)年 油彩・キャンヴァス 44.3×30.4 個人蔵
O 19 母の像 1911(明治44)年 油彩・キャンヴァス 60.4×50.0 三重県立美術館
O 20 習作 1912(明治45)年 油彩・キャンヴァス 80.4×60.6 個人蔵
O 21 海苔とる娘 1913(大正2)年 油彩・キャンヴァス 162.3×130.0 宮崎県立美術館
O 22 海水茶屋 1915(大正4)年 油彩・キャンヴァス 80.0×60.5 宮崎県立美術館
O 23 青き光 1916(大正5)年 油彩・キャンヴァス 132.0×76.4 個人蔵
O 24 花吹雪 1917(大正6)年 油彩・キャンヴァス 60.6×80.4 宮崎県立美術館
O 25 かきつばた 1918(大正7)年 油彩・キャンヴァス 161.0×110.5 東京国立近代美術館
O 26 光明(エスキース) 1919(大正8)年頃 油彩・板 25.8×17.9 個人蔵
O 27 カフェの女 1920(大正9)年 油彩・キャンヴァス 80.3×60.5 宮崎県立美術館
O 28 しげ子の顔 大正期? 油彩・キャンヴァス 27.7×22.3 個人蔵
O 29 女の顔 1923(大正12)年 油彩・キャンヴァス 45.6×33.5 個人蔵
O 30 裸体 1924(大正13)年 油彩・キャンヴァス 125.4×67.8 個人蔵
O 31 休息 1924(大正13)年 油彩・キャンヴァス 162.5×112.8 個人蔵
O 32 おどりの前(下絵) 1925(大正14)年 油彩・板 23.1×32.6 個人蔵
O 33 花下月影 1926(大正15)年 油彩・キャンヴァス 130.0×162.0 東京国立近代美術館
O 34 潮風 1932(昭和7)年 油彩・キャンヴァス 124.5×66.8 個人蔵
O 35 習作裸体 1936(昭和11)年 油彩・板 60.7×72.8 個人蔵
O 36 鵜の森 1940(昭和15)年 油彩・キャンヴァス 91.0 × 117.0 東京都現代美術館
O 37 女の顔(文子スケッチ) 1942(昭和17)年 油彩・板 32.2×23.8 個人蔵
O 38 孫八才の春 1944(昭和19)年 油彩・板 53.0×45.3 個人蔵
O 39 夜明け 1946(昭和21)年 油彩・キャンヴァス 80.4×99.8 東京藝術大学大学美術館
O 40 春来る  1946(昭和21)年 油彩・キャンヴァス 80.5×60.6 愛知県美術館
O 41 蓮露 1949(昭和24)年 油彩・キャンヴァス 148.8×59.5 個人蔵
O 42 鶴の踊り 1953(昭和28)年 油彩・キャンヴァス 159.0×128.0 至峰堂画廊
O 43 誘惑 1954(昭和29)年 油彩・キャンヴァス 162.1×130.3 奈良県立美術館
O 44 寝室の裸婦 昭和20年代か? 油彩・キャンヴァス 80.7×60.9 個人蔵
D 1 針仕事※ 1895(明治28)年 水彩・紙 22.5×17.8  
D 2 風景 1896(明治29)年 水彩・紙 27.5×19.5 個人蔵
D 3 少女像※ 1897(明治31)年 水彩・紙 20.4×14.7  
D 4 緑蔭 1899(明治32)年 水彩・紙 27.4×40.5 個人蔵
D 5 海辺夕映 1901(明治34)年 水彩・紙 30.7×22.8 個人蔵
D 6 海景 1901(明治34)年 水彩・紙 22.1×29.2 個人蔵
D 7 海戦の図 明治?大正期 水彩・紙 31.8×40.4 個人蔵
D 8 夕日 1913(大正2)年 水彩・紙 24.8×27.9 個人蔵
D 9 海苔をとる娘下図 1913(大正2)年頃 鉛筆、水彩・紙 21.6×31.2 個人蔵
D 10 (大和)当麻寺中將姫伝説 大正時代? 絹本彩色 58.6×39.3 個人蔵
D 11 斜陽 1921(大正10)年 水彩・紙 24.1×32.5 個人蔵
D 12 少女静思 1944(昭和19)頃 鉛筆・水彩・紙 47.8×33.4 個人蔵
D 13 諏訪画房前庭   水彩・色紙 27.2×24.2 個人蔵
D 14 裸婦 1959(昭和34)年 パステル・紙 40.9×32.0 個人蔵

 参考作家・作品

題名  制作年   材質 寸法 所蔵者  作者
中澤弘光肖像 1903(明治36)年他 鉛筆、紙 14.7×10.5 個人蔵 岡田三郎助・石井柏亭
中澤弘光像 1902(明治35)年 油彩・板 33.1×23.3 個人蔵 湯浅一郎
山羊   油彩・板 27.4×22.1 個人蔵 辻永
風景 1898(明治31)年頃 油彩・板 23.5×32.8 個人蔵 藤島武二
逍遥(エスキース) 1901(明治34)年 油彩・板 23.9×33.0 個人蔵 岡田三郎助
夜景 (制作年不詳) 油彩・キャンヴァス 33.7×43.7 個人蔵 伝フォンタネージ
フォンタネージ将来モデル人形 (制作年不詳)        

 

第2章 デザイナー・中澤弘光の仕事

 印刷技術がめざましい発展を遂げた明治期、新たなメディアとして新聞・雑誌が生まれ、本の装幀は西洋からもたらされた洋紙・洋装本へと大きく変化した。活字に添えられる挿絵は、技術の発達とともに不可欠なものとなり、明治30年代からは主に洋画家たちが担当するようになる。同じころ、ヨーロッパではアール・ヌーヴォーが全盛期を迎え、洋行した画家・作家は、カタログや雑誌、ポスターなど様々な資料を日本へ持ち帰った。とりわけ、ロンドンに留学した夏目漱石、1900(明治33)年パリ万博博覧会へ赴いた黒田清輝らがもたらしたアール・ヌーヴォー関係の資料は、日本の画家に大きな影響を与えたといわれる。中澤弘光ら洋画家たちは、この新たな芸術の潮流をいち早く掴み、本の装幀や雑誌の挿絵などで優れたグラフィック・デザインを生み出すことになる。

 中澤は、与謝野鉄幹主催の雑誌『明星』に早くもアール・ヌーヴォーを意識した口絵を寄せた。そして鉄幹の妻・与謝野暁子作品の装幀を数多く手掛けていくなかで、デザインの才を開花させていく。晶子の大作『新訳源氏物語』においては、洋画家でありながら源氏絵に挑み、アール・ヌーヴォーとは異なる中澤独自のデザインを完成させる。中澤は与謝野作品の他多くの装幀を担当し、雑誌では『中学世界』、『新小説』といった文芸誌を中心に多様な表紙絵や口絵を描いた。昭和期に至るまで続いたデザインの仕事は夥しい数にのぼり、本と雑誌に加え、新聞の挿絵、絵はがき、ポスターなど多岐にわたっている。いま改めてその全貌をたどることで、「デザイナー」中澤弘光の優れた技量と功績が明らかとなるのである。

    題名 ※=仮題  制作年 材質 寸法 所蔵者
D 15 乱れ髪歌がるた 1901(明治34)年 墨、水彩・紙 7.4×5.3 個人蔵
D 16 『恋衣』下図 1905(明治38)年 鉛筆・紙 18.0×12.0 個人蔵
D 17 『中学世界』8巻7号付録絵はがき原画 1905(明治38)年 鉛筆、水彩・紙 14.0×9.1 個人蔵
D 18 寒紅梅(『新小説』11年2号口絵原画) 1906(明治39)年 水彩・紙 23.2×15.4 個人蔵
D 19 鶯(『中学世界』10巻2号口絵原画) 1907(明治40)年 鉛筆、水彩・紙 16.5×10.0 個人蔵
D 20 馬子(『中学世界』11巻10号付録絵はがき原画) 1908(明治41)年 鉛筆、水彩・紙 14.6×9.5 個人蔵
D 21 おすぎおたま(『光風』4年1号口絵原画) 1908(明治41)年 水彩・紙 14.2×19.4 個人蔵
D 22 嶋原(『新小説』19年4巻表紙画稿) 1914(大正3)年 鉛筆、水彩・紙 18.1×10.9 個人蔵
D 23 錦帯橋(『新小説』19年11巻表紙原画) 1914(大正3)年 コンテ、水彩・紙 24.6×33.0 個人蔵
D 24 白木屋呉服店ポスター図案 1915(大正4)年 鉛筆、水彩・紙 34.5×25.5 個人蔵
C 1 与謝野夫妻短歌双幅 1918(大正7)年 墨書 各114.0×32.2 個人蔵
B 多数 与謝野晶子著書 他       個人蔵

 

第3章 回想の旅 

 中澤弘光は90年という長い人生の大半を、旅に費やした画家であった。
  中澤が初めて京都、奈良の風景画を発表したのは、東海道本線が開通して間もない1895(明治28)年のことである。国内に鉄道網が整備されるのとほぼ同じ頃に、彼の旅が始まったといえるだろう。そしてそれは、中澤の画業生活そのものとなったのである。
訪れた地は関西を筆頭に、本州最北端の青森から、四国、九州の各所に及ぶ。
東京生まれの中澤にとり、江戸や明治の風情を残す地方の名所仏閣は、創作意欲を掻き立てる格好の画題であった。著名な観光地だけでなく、人里離れた山間部や海岸沿いへも足を運び、旅の途中で見かけた何気ない景色や、四季折々に変わる日本の美を数多く絵にした。描かれた作品は、『日本名勝写生紀行』(B-92〜94、98、99)『畿内見物』(B-95〜97)などの旅行記や、『日本大観』(作品B-101)『西国三十三所巡礼画巻』(B-104)といった木版画集などで発表されて人気を博し、風景画家中澤弘光の名を広く世に知らしめた。
 そして、旅によって得た、中澤のもうひとつの主要なモティーフが舞妓である。
1903(明治36)年に岡田三郎助とともに京都で描いたのが始まりとされ、その後足繁く京都へ通い、のちに日本画家の土田麦僊と並び「舞妓の画家」と称されるほど、多くの舞妓や芸妓の作品を制作した。また、旅を続ける中澤にとり、何よりもの癒しとなり、魅力的な画題であったのが、日本各地の温泉場である。ひなびた温泉地の景色や、湯に浸る女性の姿、湯治場の風俗などが多数絵にされている。
旅先での中澤は、制作の合間に道楽であった骨董屋巡りをして、国内のみならず、ヨーロッパや朝鮮、中国など、あちこちで見つけた骨董や土産物を蒐集した。それらはアトリエや自宅のあちこちに置かれ、戦時中など自由に旅することが出来なかった時期には、人物画の背景として描かれることもあった。これらもまた、旅の画家中澤の足跡を示す貴重な資料といえるだろう。
 90歳を迎えた最後の年まで中澤の旅は続き、突然体調を崩し入院すると、老衰で眠るように息を引き取ったという。遺された作品は、画家の旅の軌跡とその生涯を物語っているのである。

    題名 ※=仮題  制作年 材質 寸法 所蔵者
O 45 山の湯 1913(大正2)年 油彩・キャンヴァス 76.1×48.9 個人蔵
O 46 芸妓(小力)※ 1914(大正3)年 油彩・板 33.0×23.4 個人蔵
O 47 若草山スケッチ 1915(大正4)年 油彩・キャンヴァス 27.4×41.1 個人蔵
O 48 帰途 1917(大正6)年 油彩・キャンヴァス 112.3×161.5 個人蔵
O 49 歌姫 1917(大正6)年 油彩・キャンヴァス 131.8×76.5 宮崎県立美術館
O 50 風景(秋の湖畔) 1919(大正8)年 油彩・キャンヴァス 137.0×212.0 静岡県立美術館
O 51 温泉入浴 1922(大正11)年 油彩・キャンヴァス 60.6×45.7 個人蔵
O 52 おせんころがしの宿 1923(大正12)年 油彩・キャンヴァス 41.1×53.4 個人蔵
O 53 温泉(修善寺にて) 1925(大正14)年 油彩・キャンヴァス 126.0×67.2 個人蔵
O 54 三條大橋 1925(大正14)年 油彩・キャンヴァス 38.3×45.6 個人蔵
O 55 加茂川雪景 1926(大正15)年 油彩・キャンヴァス 41.0×53.2 個人蔵
O 56 女性像(舞妓うしろ姿)* 1920年代* 油彩・板 33.0×23.4 個人蔵
O 57 芸妓※ 1920年代* 油彩・キャンヴァス 41.0×32.1 個人蔵
O 58 舞妓(化粧うしろ姿) 1920年代* 油彩・キャンヴァス 60.7×45.5 個人蔵
O 59 南房総おせんころがし 昭和戦前期* 油彩・キャンヴァス 45.4×60.7 個人蔵
O 60 舞妓の横顔(加茂川べり春霞) 1930(昭和5)年頃 油彩・キャンヴァス 52.6×45.5 個人蔵
O 61 活花 1935(昭和10)年頃 油彩・板 27.2×21.5 個人蔵
O 62 北京北海聴鴻楼 1938(昭和13)年 油彩・キャンヴァス 23.6×45.6 個人蔵
O 63 静思 1941(昭和16)年 油彩・キャンヴァス 100.0×80.6 東京藝術大学大学美術館
O 64 嵐山秋色 1941(昭和16)年頃 油彩・キャンヴァス 38.3×46.0 個人蔵
O 65 冬の海(磯原海岸) 1944(昭和19)年 油彩・キャンヴァス 38.0×45.6 個人蔵
O 66 洛西野の宮 1949(昭和24)年 油彩・キャンヴァス 48.0×59.0 神宮徴古館
O 67 嵐峡緑景 1940年代 油彩・キャンヴァス 41.3×31.9 個人蔵
O 68 静聴 1951(昭和26)年 油彩・キャンヴァス 90.6×65.5 都城市立美術館
O 69 新薬師寺十一面観世音 1954(昭和29)年 油彩・キャンヴァス 65.3×53.3 個人蔵
O 70 舞妓 1955(昭和30)年 油彩・キャンヴァス 60.8×50.3 個人蔵
O 71 舞妓(手鏡を持つ) 1958(昭和33)年 油彩・キャンヴァス 45.6×38.1 個人蔵
O 72 春の海(客船の見える) 1950年代* 油彩・キャンヴァス 38.4×45.8 個人蔵
O 73 春日の巫女 1950年代* 油彩・キャンヴァス 45.7×37.8 個人蔵
O 74 舞妓※ 1950年代* 油彩・キャンヴァス 60.6×50.0 個人蔵
O 75 舞妓 1960年代* 油彩・キャンヴァス 41.0×31.8 川端康成記念会
O 76 貴船の床 1964(昭和39)年 油彩・キャンヴァス 130.0×97.2 宮崎県立美術館
D 25 粟田青蓮院(『畿内見物 京都之巻』) 1895(明治28)年 水彩・紙 15.5×28.5 個人蔵
D 26 越後柏崎牛舎 1902(明治35)年 水彩、色鉛筆・紙 15.3×23.8 個人蔵
D 27 木曾寢覚 1905(昭和38)年頃 水彩・紙 11.1×17.5 個人蔵
D 28 長野善光寺本堂(『日本名勝写生紀行第1巻』) 1906( 昭和39)年 水彩・紙 11.2×17.4 個人蔵
D 29 木曾福島町(『日本名勝写生紀行第1巻』) 1906( 明治39)年 鉛筆・紙 17.5×11.1  
D 30 渋温泉地獄谷 1906(明治39)年頃 水彩、色鉛筆・紙 17.7×11.1  
D 31 木曾はたごや(木曾奈良井) 1906(明治39)年頃 水彩、色鉛筆・紙 11.2×17.5  
D 32 木曾福島町・俵屋 1906(明治39)年頃 水彩、色鉛筆・紙 17.5×11.0  
D 33 鴨河の夕(三條縄手) 1909(明治42)年 水彩・紙 21.3×29.5 個人蔵
D 34 清水途中 1911(明治44)年 水彩・紙 14.9×23.8 個人蔵
D 35 磧の涼 1911(明治44)年 鉛筆、水彩・紙 18.5×9.7 個人蔵
D 36 石部(五十三次の内) 1911(明治44)年 鉛筆、水彩・紙 24.2×16.0 個人蔵
D 37 江のしま岩屋 1911(明治44)年頃 水彩、色鉛筆・紙 16.4×10.5  
D 38 人形浄瑠璃楽座(『畿内見物 大阪之巻』) 1912(明治45)年 水彩・紙 24.2×15.9 個人蔵
D 39 日永 1912(明治45)年頃 水彩・紙 38.5×32.5 個人蔵
D 40 越後の海岸 1913(大正2)年 水彩・紙 23.4×30.7 個人蔵
D 41 富士※ 1917(大正6)年 鉛筆、水彩・紙 48.0×31.5 個人蔵
D 42 岸壁※  1917(大正6)年 水彩・紙 45.9×30.9 個人蔵
D 44 黄海 1922(大正11)年 水彩・紙 23.5×32.8 個人蔵
D 45 ベアタ・ヴェルジネ・ディ・ミラコリ聖堂 1922(大正11)年頃 鉛筆、水彩・紙 24.3×19.8  
D 46 パリ風景 1922(大正11)年頃 鉛筆・紙 各19.2×11.5  
D 47 船室 1923(大正12)年 水彩・紙 24.7×34.9 個人蔵
D 48 金剛宝寺(西国三十三所巡礼画巻の木版画下図試作) 1925(大正14)年 墨・紙 24.7×33.8 個人蔵
D 50 神社境内 大正期※ 鉛筆、水彩・紙 24.9×18.3 個人蔵
D 51 トレドの馬 大正末頃 紙本墨画淡彩  127.0×31.0 個人蔵
D 52 清水舞台 1930年代※ 絹本着彩 44.2×50.5 個人蔵
D 53 若狭小浜河口 1930年代※ 絹本墨画淡彩 42.7×50.2 個人蔵
D 54 華工頭の家 1942(昭和17)年 紙本墨画着彩 110×50.7 個人蔵
D 55 『屋根と窓』掲載スケッチ 大正期〜1943(昭和18)年 鉛筆、水彩・紙    
D 58 仏都寧楽下絵(1) 1955(昭和30)年頃 パステル・紙 47.3×31.3 個人蔵
D 59 仏都寧楽下絵(2) 1955(昭和30)年頃 パステル・紙 47.3×31.4 個人蔵
D 60 仏都寧楽下絵(3) 1955(昭和30)年頃 パステル・紙 47.4×31.3 個人蔵
C 多数 中澤弘光蒐集品        
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