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美術館 > コレクション > 所蔵品解説 > 伊藤小坡 《ふたば》 1918年 解説

伊藤小坡 《ふたば》 1918年

 伊藤小坡(1877-1968)

ふたば

1918(大正7)年 

絹本着色

190×101cm 

 

 母と子が庭先の一隅で、朝顔の苗を植えかえている場面である。親子が会話する日常のごく庶民的な情景であるが、母と子の触れ合いが少なくなってきている今日の状況を考えれば、理想的な家族の像であるといってよいかも知れない。
 清らかな表現のなかに、双葉とわが子の成長を願う母の愛情が満ち溢れていて、実に爽やかな作品である。
 画面に登場する女性は小坡自身であり、大人用の下駄を履いた女の子は、彼女の娘である。
 伊藤小坡の本名は佐登。明治十年、伊勢の猿田彦神社の宮司、宇治土公貞幹の長女として生まれ、郷土の日本画家、磯部百鱗に絵の手ほどきを受け、明治三十一年頃京都に出て、森川鱗文に師事、その後、谷口香嬌の門に入り、大正四年の第九回文展で初入選と同時に三等賞を受けた。小坡は大正時代に女性風俗を描いた女流画家として知られていた。(森本孝)サンケイ1989年11月12日掲載

 


 伊藤小坡は、明治10年伊勢市浦田町にある猿田彦神社の宮司の長女として生まれた。郷土の画家磯部百鱗に絵の手ほどきを受け、同31年ごろ京都に出て、谷口香●(きょう)に師事、その後竹内栖鳳にも師事し、上村松園に次ぐ閏秀画家として活躍した。大正7年の第12回文展に出品,好評を博し、話題となったのがこの作品である。
 ふたはを手に持ち、何かを話しかけている子供は実娘の正子さん。鉢に植え替えしながら、それに答えている母は、作者でもある小坡自身。日常生活の何げない一場面に想を得たものだが、女流作家ならではの心こまやかな配慮がうかがわれ、ほほ笑ましい情景のなかにも、清澄な雰囲気に満ちている。
 この「ふたば」は「つづきもの」と並び、小坡の代表的な作品であるが、本人と娘を描いたものだけに、最後まで手放すこともなく手元にあった正子さんのご好意により、出身地である当美術館に収集されることになった。(森本孝)125の作品・三重県立美術館所蔵品 1992年

 


   

 伊藤小坡は1877年(明治10)、伊勢・猿田彦神社宮司の娘として生まれました。二十歳のころ京都へ出て、大正から昭和にかけて文展、帝展に出品を続け、京都画壇で活躍しました。三重県立美術館では開館以来、三重にゆかりの作家の作品や関係資料の収集を行ってきましたが、伊藤小坡についても本画、下絵や画帖などの資料を所蔵しています。
  「ふたば」は1918年(大正7)の第12回文展に出品されました。日常の何気ない姿をとらえたような、非常にあたたかな愛情にあふれた作品です。庭の一隅で、母と娘が言葉を交わしながら朝顔の苗を鉢に植えかえています。まだ小さな娘は大人用の下駄を履き、母親に朝顔の苗を見せながら、なにやら話しかけているようです。母親はそんな娘に限りなく優しいまなざしを向け、手をとめて娘の話に耳をかたむけています。朝顔がやがて美しい花を咲かせるように、娘にも健やかに育ってほしいと願う母の愛情が画面から伝わってきます。画中の母のまなざしは、伊藤小坡の母親としての娘に対するまなざしそのものなのでしょう。
 伊藤小坡は昭和期以降に制作した多くの美人画や歴史画によって、美人画家として見られることが多いですが、大正期の伊藤小坡は、画家自身や家族をモデルに身近な生活を題材として、細やかな観察眼に基づき、日常生活の一コマを新鮮な視覚でとらえた作品を多く制作しています。それらの作品を通して私たちは、画家として、また家庭人としての伊藤小坡の魅力を見いだすことができるように思われます。(『毎日新聞』アート 2007.5.17掲載 原舞子)

 

作家別記事一覧:伊藤小坡

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