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美術館 > 刊行物 > 所蔵品目録 > 序-三重県立美術館コレクションについて 陰里鐵郎 所蔵品目録-1987年版

序 - 三重県立美術館コレクションについて

館長
陰里鐵郎

三重県立美術館は、開館のとき(昭和57年9月)にその時点における所蔵品目録を作成刊行したが、このたぴ、開館5周年を機に開館後の収集品を加えた所蔵品総目録を刊行することとなった。美術館コレクションとしては、いまだ決して他に誇れるほどの量と内容に達しているわけではないが、収集開始から現在までの経過をふりかえりながら、現コレクションの作品群について若干のことを記しておきたい。

収集活動は昭和55年(1980〉3月から開始された.それは全く無からの出発であったが、美術館美術資料選定委員会が設置され、委員には土方定一、豊岡益人、梅津次郎、満岡忠成、乾由明(以上、美術関係者)、金丸吉生、井村二郎(以上、県内有識者)の各氏と私(陰里鐵郎)が任命され、土方定一委員長のもとに始まったのであった.この委員会は、冒頭に収集の基本方針としてつぎの3つを決定し、その後はおおむねその線にしたがって収集活動はつづけられてきている。

1・三重県の出身、またはゆかりのある作家の作品.2.日本の近代化過程におけるすぐれた作品を洋画を中心に系統的に収集するとともに、日本の近代美術と関係のつよい海外の作品。3.素描、下絵、水彩等。

もちろん、上記のもの以外は収集の対象としないということではない。日本画、彫刻・立体造型、各種工芸、版画など、過去、現代のすぐれた作品はいずれも収集対象である。ただ上記の3つに収集の比重がおかれてきたということである.そして開館の1年半前に土方委員長が逝去され、委員長は豊岡委員に引きつがれ、開館後は、美術館資料選定委員会を解散して三重県立美術館専門委員会を設置、この委員会は、美術館活動に関する専門的な分野の諸事業について館長の諮問に応える委員会として機能し、収集活動における作品選定はたこの専門7委員会の主要な任務となって今日に至っている(現委員=豊岡益人、梅津次郎、満岡忠成、匠秀夫、乾由明の各氏、委員長・豊岡委員)。

現在の収集活動は、きわめて厳しく限定された財政事情のなかで、あとで個別に触れるように、支援団体のひとつである岡田文化財団や好意に満ちた地域社会の諸企業、美術家、美術愛好家やそのご遺族の大きな協力をえながらすすめられてきている。このことに厚い感謝の意を関係の各位に捧げると同時に、美術館における収集活動にはある面におけるある種の区切りはあるとしても終焉は決してない、、ということをここに銘記しておきたい。すなわち、一定の量に達して終わるものではなく、いつの時代になってもそのときどきの現代的視点にたって、過去、現在、そして内外にわたる新たな調査研究に基づいた忍耐づよい収集がおこなわれていかれねばならない。こうした努力によって美術館コレクションが質・量ともに充実されなければ、文化活動の施設としての美術館の任務を充分にはたしていくことにはならないであろう。

昭和58年(1983〉以後の収集活動は、絶え間なく継続的におこなわれてきた展覧会活動の企画展示とも密接につなかっている。以下、作品のジャンル別に概略を述べておきたい。

日本画

初版所蔵品目録(以下、初版目録とする)にも記したことであるが、伊勢、志摩、伊賀、紀伊の一部からなる三重県は、古代においては文化の中心地近畿に隣接していたために畿内文化の伝播のあとを色濃くとどめ、中世以降ともなると、伊勢神宮が所在したことや商業の盛行などから文人墨客の往来も繁く、日本の美術史、とりわけ近世美術史のうえでは見逃しえない重要な地域である。したがって近代以前、すくなくとも近世美術は収集の対象であり、とくに松阪を中心としてこの地域と関係の深かった池大雅、青木夙夜、曾我蕭白、さらに伊勢長島の領主増山雪斎、伊勢寂照寺の画僧月僊などの作品の収集があった。蕭白の「林和靖図」屏風をはじめ「周茂叔愛蓮図」、月僊「山水図」屏風、「赤壁図」(双幅〉、増山雪斎「花鳥図」などがそれである。

近代にはいると従前からの京都画壇とのつながりがつよくあったことから、宇田荻邨、伊藤小坡なども京都に学んでいる。荻邨の作品では初期の「木陰」、戦後の代表作「祇園の雨」につづいて「宇田荻邨展」(昭和58年)を機橡に「寒汀宿雁」「林泉」など各時期の秀作を附け加えることができた。さらに小画面のいくつかがあるが、昭和62年に入って荻邨の少年時代から晩年までの諸資料とともに初期から中期はでの代表的作品の下画類を一括収蔵することとなった.これらのなかには「夜の一力」「太夫」「高尾の女」などの下画などが含まれており、展示とともに荻邨研究に重要な資料となるであろう。

日本画ではこのほかに、竹内栖鳳「虎・獅子図」屏風、横山操「瀟湘八景」なと水墨画の大作、横山大観「満ちくる朝潮」、安田靫彦「小倉の山」、これらにつづいて小林古径「旅路」、平福百穂「太公望図」、中村岳陵「都合女性職譜」(7点)、入江波光、小川芋銭、工藤甲人、本県出身の嶋谷自然、鈴木三朝、杉原元人などの作品収集があり、企画展との関連では斎藤清の作品が収められた。日本画の部で特記されるのは、戦前に学習院長、帝国美術院院長をつとめられた福原鐐二郎(1868-1932、伊勢長島出身)のご遺族から、浅井忠「大原女」などを含め、竹内栖鳳、川端玉章、山元春挙、松岡映丘など小幅ではあるが数多くの作品が寄贈されたことである。

油彩画

油彩画は当館コレクションの中心をなしている。松阪出身で、明治初郷にウィーン留学の経験をもつ岩橋教数章の「鴨の静物」、同じく明治初期渡欧画家の川村清雄「ヴェネツィア風景」から浅井忠、黒田清輝、久米桂一郎、藤島武二、長原孝太郎、中村不折、満谷国四郎、鹿子木孟郎、の明治中・後期に収集の力点のひとつがおかれ、なかでも藤島、鹿子木はそれぞれ生涯の一時期を津中学の教師として津市に滞在していたこともあってこれら一群の中核をなすことになるが、それに長原孝太郎のご遺族長原坦氏(昭和60年歿)から一括、作品が寄贈されて、この時期の収集品としては大きなふくらみをもつこととなった。鹿子木作品も滞欧作が附け加えられ、、かつ並行して数年にわたって鹿子木調査を継続中であり、いっそうの充実が期待される。

大正初の油彩画については、岸田劉生「麦二三寸」、萬鉄五郎「山」、村山槐多「自画像」、中村彝「髑髏のある静物」など当初の収集に萬の「木の間よりの風景」などが加えられ、一方、これらの画家たちの素描の充実がはかられてきた。大正から昭和前半期の油彩画においては、当初に小出楢重「裸女立像」「パリ・ソンムラールの宿」、佐伯祐三「サンタンヌ教会」「自画像」、清水登之「蹄鉄」などの収集があったが、これに佐伯「米子像」、清水登之「ロシア・ダンス」など注目すペき作品が加えられ、梅原籠三郎「山荘夏日」、前田寛治「裸婦」「赤い帽子の少女」、さらには児島善三郎「箱根」、須田国太郎「信楽」、林武、野口弥太郎、海老原孝之助、鳥海青児、牛島憲之の初版日録に収載のものとならんで、1930年代から40年代の昭和前半期の洋画界の様相をよく示しうる収集となった。

戦後の油彩画では、鶴岡政男、麻生三郎、森芳雄、中谷泰など戦後美術の展開のなかで社会的現実と自己の造型思想の一致に秀作をみせた作例の収集があったと自負している。村井正誠、吉原治良、難波田龍起ら戦前からの抽象絵画の系譜に戦後の小野木学、杉全直、阿部展也、元永定正などが当初収集にあり、そこに脇田和、岩中徳次郎、今村幸生、浅野弥衛のその後の作品が加わった。中谷、浅野、岩中、元永、今村は本県出身、またはゆかりの深い画家であるが、本県関係では、当初収集の林義明、佐藤昌胤に足代義郎、平井憲迪の作品を多数加えることができた。また原精一の「戦中デッサン展」を当館で初めて開催したことから、原精一の歿後(昭和61年歿)にご遺族から初期から晩期にいたるまでのこの画家の作品が多数寄贈されたことを附記しておきたい。

彫刻

初版目録で明らかなように、当初のこの部門の収集品はきわめてすくない。そのためにその後の収集の力点のひとつはこの部門の充実におかれてきた。「橋本平八と円空-木彫・鉈彫の系譜」展に前後して、本県出身でもありかつ近代木彫に傑出した足跡をのこした橋本平八作品の収集は機会あるごとにすすめられ、「俳聖一茶」「猫」などがコレクションに加えられた。木彫系では江口週、澄川喜一など現代彫刻の分野で活躍している彫刻家の作品が収集された。

日本の近代彫刻を系統的に収集することはきわめて困難な状況にあるが、当初の戸張弧雁「トルソ」から同「虚無」、ついで中原悌二郎の「若きカフカス人」「石井鶴三氏像」が収集に加わり、この線のものではさらに石井鶴三作品へと展開しつつある。

開館時の屋外彫刻の作者、井上武吉、湯原和夫は1960年以降の現代造型のなかで国際的にも評価きれてきた彫刻家であるが、その後のこの二人の作品展開を示す作品の収集があり、そのほか、若林奮の小品ではあるが重要な作品、小清水漸、松本薫、今井瑾郎、神戸武志など展覧会活動と連動するところから収集され、これらによって現代の立体造型の一側面をうかがえる収集となりつつある。本県関係ではさきの神戸武志のほか、片山義郎の作品が収集された。

水彩・素描

水彩画では、油彩画のところで冒頭にあげた岩橋教章「鴨の静物」がじつは水彩画である。明治中期以降この分野の代表的な画家三宅克己の「箱根双子岳」、藤田嗣治の「ラマと四人の人物」といった大作は当初の収集であった。これらに淡彩、素描、下画を含めて初版目録には70点が収録されているが、収集基本方針のひとつでもある分野の収集では、日本画系はさきに触れた宇田荻邨、洋画系では原精一の多量の作品が収集され、また一方では安田靫彦、鹿子木孟郎、速水御舟、国吉康雄、安井曾太郎、藤島武二、岸田劉生、萬鉄五郎、村山槐多、関根正二、佐伯祐三など、あるものは油彩画、日本画との関連をもちながら、あるものは素描そのものとして、多様な収集となってきている。井上武吉、湯原和夫、若林奮など彫刻家の素描などもあり、これらは、それぞれの創造の秘密の機微を尖光のように示すところがあり、今後も収集の大きな柱として進展していくであろう.

版画

日本版画では歌川広重「東海道」、棟方志功、北川民次など当初の収集はごく僅かであったが宇治山哲平、斎藤清、脇田和、高松次郎、加納光於、飯田善国、今村幸生、土嶋敏男などの現代版画の収集がすすめられてきている。

工芸

開館当時、工芸作品は、楠部彌弌の花瓶ただ一点であった。展覧会を開催した川喜田半泥子の作品はいまだ収集にいたっていないが、染織作家の山出守二の作品の購入と寄贈、つづいて展覧会と連動して本県の現代工芸作家の作品収集がおこなわれ、若干のコレクションが形成されてきている。加うるに京都で活躍した本県出身の工芸家、新井謹也の遺作が寄贈されたことも附記しておかねばならないであろう。

それぞれの部門において日本の作品のみについて述べ、海外作家の作品については除いてきたので、ここで一括して扱っておきたい。

館の中庭に展示されているジャコモ・マンズーの彫刻「ジエリアとミレトの乗った大きな一輪車」は多くの人たちの目を楽しませているが、その後、彫刻では、戦前から日本とも関係の深かったオシップ・ザッキンの「ヴィーナスの誕生」がエントランスホールに展示されることとなった。この作品は1930年代作でザッキキンのキューピスム的作風をよく示している。さらに小品ではあるがイサム・ノグチの珠玉の作品「スレート」が加えられた。

油彩画では、マルク・シャガールの「枝」、オディロン・ルドン「アレゴリー」のあと、ジョアン・ミロ「女と烏」、クロード・モネ「ラ・ロシュブロンドの村」が収集に加えられた。ミロの作品は1960年代のもので、抽象形態をとりながらもどこか人間的情感をつよく感じきせる。モネの作品はかつて同時代の作家オクターヴ・ミルポーが「悲劇的風景」と呼んだラ・ロシュブロンドの一連の風景画のひとつである.ほかには、ザッキン「雲への挨拶」、旧福原コレクションからのアスラン「少女像」がこれに加わる。マンズー「ジュリアとミレトの乗った大きな一輪車」の素描が当初に収集され、その後は、サンパウロ美術館との小交換展からブラジルの特異な日系画家セルソ・スエタケの細密な幻想的作品が加えられた。版画は、シャガール「サーカス」、ミロ「アルバム13」のほかブレスダン、メリヨン、ルドン、ロートレック、ルオー、ブラックなどが当初の収集で、その後にブレスダン「書きサマリア人」、エッシャー「メタモルフォーシス Ⅱ」、ウィリアム・ブレーク「ヨプ記」、ゴヤ「戦争の惨禍」、ピサロ「農夫モロン親爺」、ミュシャ「ジョブのポスター」、スタンラン「ジル・プラス紙挿絵」、「マンズー版画集」などが加えられ、豊かな内容となりつつある。それにしても歴史的にみればなお欠落する部分が多く、それらの充填がこれからの課題である。

以上、現在までの三重県立美術館コレクションの概要を略述したが、購入、寄贈など細部の記述はその多くを省略した。寄贈者一覧をもってそれに代えさせていただき、寄贈者の皆様に深く感謝の意を表するものである。

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