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年譜

1928[昭和3]
5月18日三重県四日市市千代田町に生まれる


1945[昭和20]
三重県立富田中学校卒業


1946[昭和21]
京都市立美術専門学校日本画科入学
雑誌等を通して西欧実術の新しい動向が紹介されるようになったこともあって、日本画への関心は小さくなってしまったという。そんな伊藤に対し、当時の教授陣中、唯一親身に接してくれたのは秋野不矩だった。当時の伊藤の作品は、ボナール風のものであったという


1950[昭和25]
京都市立美術専門学校日本画科卒業
卒業後、四日市にもどり教職に就くが、肺結核を患い、半年間にわたる療養生活を送る。その後いったん快癒するが、一年半の勤務の後、再び検査で再発が認められたため、療養生活にもどる


1951[昭和26]
『新制作展』に出品。当時の作品はすでに半抽象だったという


1956[昭和31]
この頃、小林研三、次いで浅野弥衛と知りあい、親交を結ぶ


1957[昭和32]
『第17回美術文化展』、東京都美術館、1.28−2.8他。以後、1964[昭和39]まで毎年出品


1958[昭和33]
『第18回美術文化展』、東京都美術館、6.4−6.16 他:『衆(l)』、『風景』、『踊り』、『衆(2)』を出品(fig.1)


1959[昭和34]
『第19回美術文化展』、東京都美術館、3.17−3.31 他:『群C』(fig.2)を出品



fig.1 『作品』、『第18回美術文化展』(1958)出品



fig.2 『群C』、『第19回美術文化展』 (1959)出品


1960〔昭和35]
『第20回美術文化展』、東京都美術館、3.3−3.16 他:『或る時代』(cat.no.1)を出品、奨励賞を受賞
『第4回安井賞候補新人展』、東京国立近代美術館、12.10−12.25:『或る時代』、『群C』を出品


1961[昭和36]
〈死衣〉のシリーズを制作(〜63:cat.no.4−7)
『中部美術家自選展』、愛知県美術館、2.3−2.12:『或る時代』を出品
『第21回美術文化展』、東京都美術館、3.4−3.16 他:『様相』、『或る時代(B)』(cat.no.2)を出品、美術文化協会会員となる
『中部美術家第1回選抜展』、愛知県美術館、8.9−8.20:『伝説』(cat.no.3)を出品


 今回展示された1960年代の自分の作品は、はっきりと四つの時期に分かれていることがわかる。今迄、このように一度に展示する機会が無かったので改めて再認することになった。第一期は「死衣」というタイトルである。敗戦直後の四年間の京都での学生生活は、今日では想像に難い、凡そ最低の生活条件であった。そのため、卒業後郷里で教職について間も無く肺結核を病むことになった。当時の結核は不治の病と思われ、社会の暗さと相俟って絶望感にとらわれた。あの作品はそういう境遇の中から自然に生まれたように思う。「死衣」という直接的で忌まわしいタイトルも当時、それ程自分に違和感は無かった。


 次の「幡」は一寸漠然としているが神社の「のぼり」、或は墓地の「はた」のイメージである。病気は、当時の新しい治療法であった手術によって一応回復出来たが、一身上の問題もあり、日々暗然たる暮らしであった。学校の勤務から帰った夜、これ等の作品を描く事が心のわずかな安らぎであった。


 「CUSTOM」(習慣)は、家を新築移転して漸く生活が安定してきた頃の作品である。それ迄の作品と比べて明るい画面になっているのがわかる。CUSTOMは、自分を取り巻く世間の因習、そしてその中で繰り返される自分の日常、というような意味あいである。そして作品の制作そのものも一つの習慣になって来ている、という事もある。


 さて、この頃から私は自分の作品に対して疑問を感じ始めるようになる。それは今迄の作品があまりにも自己の内面の直接的な吐露に終わっているのでは無いか、という事であった。それ等を昇華した上での新しい表現を生み出すべきではないだろうかという自問である。網状の点の集積である「酸化・音」というタイトルの作品は、今迄にも画面の要素の一つであった「点」を一つの方式にした上で、新しい表現を模索している。そして、意図的に画面から偶然性やニュアンスを除去している。又空間についての関心が表れて来ている。


 以上、作品が生まれる動機を私的な生活上の問題だけ述べたけれど、実はその背景に時代の流れがあり、美術の動向に無関心でいられたわけではない。


 又、四つの傾向は発表の時期と対応している。「死衣」は主に美術文化展に、「幡」「CUSTOM」「酸化・音」はそれぞれの個展での発表で、名古屋画廊、京都ではギャラリー16、東京ではルナミ画廊であった。

「作品について」、『1960年代の絵画−現代美術の5人−』展図録 1993.12


1962[昭和37]
『第22回美術文化展』、東京都美術館、3.4−3.16 他:『死衣(A)』(cat.no.4)、『死衣(B)』を出品
『中部美術家第2回選抜展』、愛知県美術館、8.15−8.26:『死衣』を出品
『鉄鶏会展』、京都市美術館、9.2−9.9


1963[昭和38]
〈幡〉のシリーズを制作(〜64:cat.no.8−11)
『第23回美術文化展』、東京都美術館、3.3−3.16 他:『死衣(1)』(cat.no.6)、『死衣(2)』(cat.no.7)を出品、美術文化23回展会員美術文化賞を受賞
個展、ギャラリー16、京都、8.5−8.11:『死衣」のシリーズ11点を展示
『中部美術家第3回選抜展』、愛知県美術館、8.10−8.25:『死衣63−5』を出品
『第1回三重県青年美術作家展』、松菱百貨店、津、12.3−12.8:『死衣』を出品


 「一般的には社会的不安が表現の動機になっている場合もありますが、私はそんなに直接的には感じません。生活している以上、むろん感じないわけではないのですが…。それよりも私の場合、自分の生命の不安、肉体的な不安が動機になっています」


「生命の不安を追求 伊藤利彦氏(新人登場10)」、『朝日新開』、1963.2.16(名古屋版)より


1964[昭和39]
『第24回美術文化展』、東京都美術館、3.3−3,16 他:『幡』を出品
個展、ルナミ画廊、東京、3.30−4.4
『現代美術の動向 絵画と彫塑』展、国立近代美術館京都分館、4.4−5.10:『幡A』(cat.no.8)、『幡B』(cat.no.9)を出品
『ギャラリー16選抜展』、ギャラリー16、京都
『中部美術家第4回選抜展』、愛知県美術館、8.22−8.30:『幡A』を出品


1965[昭和40]
〈CUSTOM〉のシリーズを制作(〜68:cat.no.12−15、fig.3−5)
『第9回毎日選抜美術展』、大丸京都店(主催:毎日新聞社)、2.16−2.21:『幡A』を出品
『第25回美術文化展』、東京都美術館、3.3−3.16 他:『慣習』を出品
『日本国際アーチスト協会展第1回国内展』、愛知県美術館(主催:中日新聞社、日本国際アーチスト協会)、6.26−7.2
『中部美術家第5回選抜展』、愛知県美術館、9.1−9.12:『習慣』を出品
個展、ギャラリー16、京都、11.22−11.28:『CUSTOM 5』(cat.no.12)他を展示



fig.3 アトリエの伊藤利彦、
奥左は『CUSTOM 6』(cat. no. 13)



fig.4 『CUSTOM 10』、1966



fig.5 『CUSTOM 13』、1968


1966[昭和41]
『第10回毎日選抜美術展』、大丸京都店(主催:毎日新聞社)、2.15−2.20:『CUSTOM 5』を出品
『第26回美術文化展』、東京都美術館、3.3−3.16 他:『作品』を出品
個展、名古屋画廊、3.26−4.2:『CUSTOM 5、7、8』他10数点を展示
『中部美術家第6回選抜展』、愛知県美術館、8.12−8.21:
『CUSTOM 8』(cat.no.14)を出品
『毎日美術コンクール』、京都市美術館、10.13−10.18
『油絵四人展 浅野弥衛、伊藤利彦、勝本富士雄、小林研三』、桜画廊、名古屋、10.30−11.7


 生きることについて人にはそれぞれの考え方があろう。私の作品は偶然の奇跡だと思っているが、それは又私の生き方の奇跡でもある。私には後悔はない。それは意志がサイコロの目を決められない不満である。明日は信じない。朝、目があくと、ああ又今日があったと思う。気取ったわざとらしい振まいは、出来る限りそうしたくない。調和などというものは、自然を偶然がそうすることがあるように、生み出される。

「作者の発言」、『第2回美術文化姫路展』目録、1966.6


1961〔昭和42]
『9人の前衛展』、納屋橋画廊、名古屋、1.15−1.21
個展、ルナミ画廊、東京、3.30−4.4
個展(「版画展」)、ギャラリー・パルール、名古屋
『第7回選抜受賞作家展』、愛知県美術館、9.2−9.10 『CUSTOM 9』を出品


1968[昭和43]
『桜デッセンバーショー68』、桜画廊、名古屋、12.14−12.28:「一枚のキャンパスに穴をあけた模様を作り、ハケで油絵具を流すともう一枚のキャンパスに絵が出る」油彩を出品(『岐阜日日新聞』、1968.12.19)


 このところの美術の状況は私などまでも大きく動かさずにはいない。それら、いわばエレクトロニクス時代の芸術なるものが二十世紀後半のこの時代の本質にかかわるものであることは、あらゆる情報を通じて自己の内で再合成される現代のイメージに照らして疑うことが出来ないようである。ところで一方では自分がまだ個としての存在を確かめ得る場所に生活しており、個性とか内面の表出とかいった芸術とも無縁になり切ることも出来そうにない。


 これからは自分の中におけるこの矛盾に対決して行くことを余儀なくされるだろう。一方では非個性的反自然的な今日の芸術に強く引かれながら、一方では従来の、人間としての心の内部にそのよりどころを求める。この矛盾はなかなか解決出来そうもない。当分の間は、この二つを自己の内部に共存きせて行くより方法がなさそうである。


「自己内部の矛盾と対決(これから)」、『朝日新開』、1968.1.20(三重坂)


1969[昭和44]
この頃、金属の型板による紋様を用いた〈酸化・音〉のシリーズを制作(〜70:cat.no.16−18、fig.6)
個展、名古屋画廊、3.24−3.31:『空・回転』、『酸化・音』(cat.no.17)、『カンバスの上の16のカンバス』、『回転』他10数点を展示
個展、ギャラリー16、京都、6.2−6.8
個展、ルナミ画廊、東京、10.13−10.19


 サーキットの夏。赤、青、黄。白、黒、銀。それに思い思いのストライプ。シグナルが赤から黄へ。息をのむ一瞬。青、旗が振られる。ごう音。ここでは音に遠慮はいらない。スタンドの屋根は音の反響板である。あらん限りの力と音を振りしぼってマシンは突進む。みがき上げられた心臓を持つ野獣は走る。本当にそれは生き物に見える。極度にチューニングされたエンジン、空気抵抗を計算し尽された流麗なボデーの美しさ。あくまで機械そのものでありながら、それは生き物に見える。


 空港にいるジェット旅客機は翼を休める蛾に似ている。それにしても翼の下につり下げた機械のすごさ。滑走路へゆっくり進むと翼は上下にたわむ。やがて、激しい決意の瞬間、巨いなる怪物は急傾斜に空に突込む。そのおびただしいエネルギー。


 機械の極限の姿は美しい。それは恐怖にも似た快感である。


 しかし、一方機械に対する古くからの懐疑がある。機械が人間を支配するのではないかというおそれである。否応なく人間はそんな時代に進むだろう。サターン5型はもはや美しいなどという生やさしいものではない。


「スカイライン」、『朝日新聞』、1969.8.2(夕)



fig.6 『酸化・音』、1970


1970[昭和45]
『浅野弥衛、小林研三、佐藤宏らと6人展』、桜画廊、名古屋、2.13−2.23


1971[昭和46]
『ルナミ画廊選抜展』、ルナミ画廊、東京、4.19−4.25
個展、名古屋画廊、8.25−8.31:『SELF PORTRAIT』(cat.no.19)、『LOVE』、『FLOWERS』、『NEWS』他10数点を展示


 これから何をし、何をどのように表現すべきであるのか、私にとっては長い苦しみである。私にとってこれは、最終的に二者択一を迫られているように思われた。二者とは、例えば中原佑介氏による「永遠の美学」に対する「インスタントの美学」または「時間拡張と空間圧縮の美学」に対する「時間短縮と空間拡散の美学」とでも言ったらよいだろうか。


 ところで、この中の一方は私の本性の根差す世界に属するもののように思われ、また一方は今生きるこの世界の様相に違いないのである。本当にどうにもならぬ矛盾のように思われた。


 だが、この悩みももうこの辺で切上げねばならない。さまざまの既成概念をふるい落とし、自分が本に何を望むのかを見きわめなければならない。芸術とは自分にとって何なのかを知らなければならない。それがどのように困難なことであってもである。


「選択決断の時(四00字)」、『朝日新聞』、1972.2.26(夕・名古屋版)


1973[昭和48](fig.7)
『浅野弥衛、伊藤利彦 ヨーロッパスケッチ展』、ギャラリー・バルール、名古屋、4.11−4.16
個展、名古屋画廊、8、25−8.31


1974[昭和49]
『朝日美術展』、丸栄スカイル、名古屋(主催:朝日新聞社)、4,1−4.11
『第7回三重県芸術祭美術展』、三重県文化会館、津、5.19−25:『−にして十なる封筒』を出品


1975[昭和50]
この頃、同一モティーフの反復による 〈Condition〉のシリーズを制作(〜77:cat.no.20−24)
『朝日美術展,75』、丸栄スカイル、名古屋(主催:朝日新聞社)、4.5−4.10


1976[昭和51]
個展、ギャラリー・バルール、名古屋、3.20−3.29:『SCENE』他エッチング17点を展示
個展、ギャラリー16、京都、8.17−8.22:『40日間の自画像』、『30日間の30の日本地図』(cat.no.20)、『目測による2Oセンチの正方形』、『スピードのある六つのフィルム』、『T・Iの20のシルエット』他を展示
個展、白揚美術サロン、四日市、12.3−12.8



fig.7 『作品』、1973


1977[昭和52]
『昭和の前衛絵画展〈中部のバイオニアたち〉』、ギャラリーはくぜん、名古屋、1.11−1.22
個展、白揚美術サロン、四日市、8.26−8.31


1978[昭和53]
〈視点〉と題したレリーフ状の作品にとりかかる(〜87:Cat.no,25−31)
個展、ギャラリー・パルール、名古屋、1.4−1.14:『午前10時15分に時計を見る』、『その日の為のカレンダー』、『目測の30センチメートルの線』(cat.no.23)、『目測の900平方センチメートル』(cat.no.24)、『等明度の赤と青の彩度』他を展示
『浅野弥衝、伊藤利彦、小林研三3人展』、白揚美術サロン、四日市、1.11−1.16
個展、三重画廊、津、3.28−4.2:『目測による一辺15センチの正方形』、『30日の30のシルエット』他約20点を展示


 「同じ物を描いているつもりでも、その日の体調や気分によって絵は刻々と変わっていくものです。絵を一つの媒体として、時間の経過による状況の変化、物の不確かさを表現してみたい」


「ユニークな作品ばかり 津で伊藤利彦さん個展」、『朝日新開』、1978.3.30(三重版)より


1979[昭和54]
個展、ギャラリー16、京都、2.6−2.11:時計、メジャーなどの作品とともに、ボルト(cat.no.26)、林檎、牛乳瓶(cat.no.25)などを木彫のレリーフにした作品を展示
個展、ボックス・ギャラリー、名古屋、−10.20:卓上の文房具や静物、林檎、パイプなどのレリーフ、『あなたの視点』(ボルトのレリーフ:cat.no.26)、『わたしの物差し』(cat.no.25)他16点を展示
個展、ギャラリー白、大阪、l1.12−11.17


1980[昭和55]
個展(「エッチング展」)、ボックス・ギャラリー、名古屋、7.21−8.2:『SCENE』連作16点を展示(fig.8)
個展、ギャラリー16、京都、9.9−9.14:机上の静物をレリーフにした作品13点を展示


 桃山時代の初期洋風画と呼ばれる絵画の中に都市図や万国図屏風というものがある。それらがいかにして描かれたか、ということはとも角として、言いようの無い不思議な感懐を覚える。それは、この時代の日本人にとってこれらの都市や世界の地図がどのように見えたのであろうか、ということを想像したり、また、無心とも言える、未見の光景をただひたすら丹念に描くその態度から生まれる或る種の現実感からかも知れない。


 都市図では町全体が俯瞰して描かれている。比較的小さい都市では高い山の上から見下ろした時の光景といってよいが、広大な都市になると、空から見る以外にこのように街の全景を見ることは出来ない。


 遠近の表現は無く、建物が概念に従って配列されると、一種の図形としての面白さや美しさを感じさせもする。


 要するにこの都市図は、何か言い知れない印象を私に与える。


 初めてヨーロッパに旅行したのはもう七、八年も前になろうか。飛行機がパリの空港に降りる時に眼下に見たパリの街は忘れがたい。冬であったので、傾いた黄色い光線に照らされたパリの街は黄土色の凹凸に見え、濃い陰がその凹凸を一層際立たせていた。


 浅野先生(浅野弥衛氏)と一緒にエッチングを試みたのは丁度この少し以前からだったが、この初めての技法は大変困難であった。


 技法だけでなくイメージも空転するばかりで、ようやくたどり着いたのがこのような作品である。私としては抽象として描いたものであって、絵の要素になっているのは長短の直線と曲線、それに×S〇三種類の記号だけなのである。しかし、自分にとって、これ等の作品にリアリティを与えていると思われるものは、先述の空から見た光景で、不思議な空想をかき立てる秋山期洋風画の都市図であり、飛行機からみた地上の風景のようである。


「(コメント)」、BOX News、no.24、1980.7







fig.8 『SCENE』


1981[昭和56]
個展、白揚美術サロン、四日市、1.16−1.21
個展、ボックス・ギャラリー、名古屋、7.27−8.8:戸棚をモティーフにした作品他を展示
『ポートピア’81・テーマ館』に出品、神戸:『視点 朝の食卓』(cat.no.28)を出品


 「都市の情報装置」というタイトルから、テレビのある生活を、平凡な朝食の食卓と、椅子とで表現してみました。


 食卓の作品は、木を彫刻したレリーフに白ラッカーで塗装したもので、斜め上方から透視的に表現しています。(実は、レリーフといいましても、厳密には、立体をそのまま斜め方向に圧縮した形、というべきですが)そのため、食卓には奥行きが感じられ、見せかけの空間が現われます。しかし、同時にまた、それは垂直なパネル上の凹凸にすぎないのです。作品上の新聞紙はフィクションとしての空間、つまり食卓の上と、現実の平面、すなわちパネルの上との、両方にかかわる存在になります。このことは絵画でも同じことなのですが、レリーフにすることで、食卓の存在感が増すため、一層それを強めるように思います。


 一種の視覚のトリックというか、空間の関係がこの作品のテーマです。


「都市の情報装置」、『THEME PAVILION テーマ館案内』、1981.3


 視点と題する作品を作り始めてから二年になる。それはふとした疑問から生まれた。


 その頃、毎日一つずつ、同じものを出来る限り正確に、同じように描く、同じ色を造る、同じ長さを自分の感覚で測る、というような、謂わば自分自身を対象化し、そこに関わる様々な条件を視る、といった作品を作っていた。ボルトが鉄板にねじ込まれたところを斜め方向から見たレリーフを、毎日同じに作ろう、と思ったのもその一連の作品としてであった。この作品が出釆た時、自分の予期しない経験があった。それはこの作品が、どうしても或る方向からでないと形を成さないことに気付いたことである。このことが机の作品になり、「視点」がテーマになった。


 しかし、机の上の日常的な様々なもの、本、インクビン、コーヒーカップ、眼鏡等に対比する意味で置いた実物の鉛筆が、もう一つの意味を気付かせることになった。それは、この鉛筆の存在する空間についてであった。一つは透視的に作られた空間に、もう一つは現実の垂直方向のパネルの上にどちらともなく在る、ということの面白さである。


 今度の個展の作品は、その延長上にあるものである。これ等の戸棚の上に貼った紙片は一つの平面上に存在するが、それは、私にとって大変難儀な手順によって造られた平面上に、極く平凡な傾斜をなして在る。このことが、私にとって興味のある事実なのである。


「作品について」、BOX News、no.70、1981.7


1982[昭和57](fig.9)
個展、ギャラリー16、京都、−5.2:戸棚をモティーフにした作品を展示
個展(「水彩による小品“都市図”」)、ウノモリ画廊、四日市、5.15−5.23
『浅野禰衛・小林研三・伊藤利彦三人展』、ボックス・ギャラリー、名古屋、6.21−7.3
『三重の美術・現代』、三重県立美術館、9.25−11.21:『視点(本棚)』、『視点(朝の食卓)』(cat.no.28)、『視点(ドア)』、『視点(窓際の洗面台)』他8点を出品


 あらためて周りを見ると、我々の日常には直方体という形との関わりが実に多いことに気付きます。第一、部屋がそうであるし、様々な家具の類、色々な大きさの箱が目に入ります。

 直方体は六つの長方形(または正方形)から出来ていますが、言うまでもなく、長方形は相対する辺が平行です。しかし、このような立体はほとんどの場合、概念の中で存在するだけで、実際に目に見えるのは見る角度によって遠近感を生じるため、ひずんだ形としてです。すべての相対する辺が平行な六面体というのは、正確には概念の中だけにしか無いのではないでしょうか。


 最近、戸棚の作品を作っていて、このような事を考えます。


「(コメント)」、BOX News、no.94、1982.6



fig.9 『視点・窓際の洗面台』1982


1983[昭和58]
個展、白揚美術サロン、四日市、9.23−9.28


1984[昭和59]
個展(「素描展 シリーズ/現代の素描−2」)、フラワー・コレクションズ・ギャラリー、大阪、1.17−1.28
個展、三重画廊、津、5.1−5.6
『あさけプラザ開館記念、郷土作家三人展−片山政−、木下富雄、伊藤利彦−』、あさけプラザ、四日市、8.18−8.21
個展、白揚美術サロン、四日市、11.9−11.14


1985[昭和60](fig.10)
個展(「水彩による中世の城郭」)、ウノモリ画廊、四日市、 4.13−4.21
個展、ギャラリー16、京都、−5.19:室内をモティーフにした作品を展示(cat.no.30)
個展、ギャラリー安里、名古屋、11.1−11.7
個展、白揚美術サロン、四日市、11.15−11.20


1986[昭和61]
個展、ギャラリー16、京都、7.8−7.13
個展、白揚美術サロン、四日市、11.14−11.19
『Kyoto Bijutsu展』、ハーパート・パルマー・ギャラリー、ロサンジェルス、9.20−11.1:『視点・朝の食卓』(cat.no.28)他室内をモティーフにしたレリーフ10点を出品


1987[昭和62]
『MONO展』、ART SPACE、西宮、2.28−3.5
個展(小品展)、がす燈、桑名、10.2−10.14
個展、画廊ぶらんしゅ、池田市、11.3−11.10
「一芸一話」、名古屋テレビ4.1で放映



fig10. 『視点・部屋』、1985頃


1988[昭和63]
個展、ラブコレクション・ギャラリー、名古屋、3.1−3.6:『窓の中の箱』連作他を展示(cat.no.32)
個展、白揚美術サロン、四日市、3.25−3.30:人間、飛行船、都市、家具などをモティーフにした作品25点を展示
個展、山画廊、四日市、11.25−12.7:室内をモティーフにしたレリーフ21点と城をテーマにした水彩6点を展示
個展、ギャラリー茜、名古屋、9.21−9.26


1989[平成1]
個展、ギャラリー・アジュール、津島市、4.28−5.10


1990[平成2]
観音開きになった箱の中の〈複葉飛行機〉の連作にとりかかる(cat.no、37−47、50)
個展、白揚美術サロン、3.2−3.7
『浅野弥衛・小林研三・伊藤利彦三人展』、ギャラリー竹内、名古屋、3.3−3.23:ドア(cat.no.29)や室内をモティーフにした作品を出品
個展、ギャラリー16、京都、3.27−4.1:『窓のコンポジション』連作を展示(cat.no.32、33)
個展、ギャラリー茜、名古屋:10.11−11.16
個展、版画亭、穂高町:10.20−10.30


1991[平成3]
個展、ギャラリー竹内、名古屋、9.2−9.14:cat.no.37
個展、山画廊、四日市、10.18−10.27
個展、ギャラリー・マモン、津、11.8−11.17
『三人展−小林研三、佐藤宏、伊藤利彦−』、ギャラリー茜、12.11−12.16


「木によるレリーフを使っているのは物質感が出せ、絵と彫刻の中間のような面白さが出るからで、白を基調にしているのは、その木の物質感を消してしまいたいというおもいからです」


「異次元の世界魅了 津で伊藤さん絵画展」、『@新聞』、1991.11.@(三重版)より


1992[平成4]
個展、白揚美術サロン、四日市
個展、アートギャラリーK2、東京、3.5−3.17
個展、山画廊、四日市、11.20−11.29
個展、目黒陶芸館、四日市
「新・美に生きる 造形作家・伊藤利彦『箱の中の記憶』」、テレビ東京で12.5放映


1993[平成5]

個展、個現館、四日市、2.5−3.21
個展、ギャラリー16、京都、3.30−4.11
「新・美に生きる 造形作家・伊藤利彦『箱の中の記憶』」、三重テレビで5.5放映
個展(「箱の中の記憶」)、目黒陶芸館、四日市、5.6−6.5(Part1:5.6−5.15、Part2:5.17−5.26、Part3:5.27−6.5):旧作から近作にいたる回顧展
個展、アートギャラリーK2、東京、5.6−5.25(fig.11)
個展、ギャラリー竹内、名古屋、5.31−6,12(cat.no.43)
個展、ギャルリー・アジュール、津島市、8.6−8.18
『東海の作家たち展』、愛知県美術館ギャラリー(主催:中日新聞社他)、11.3−11.29:『箱の中の空’92−3』を出品
『1960年代の絵画−現代美術の5人−』、名古屋市民ギャラリー(主催:財団法人名古屋市文化振興事業団、「1960年代の絵画−現代美術の5人−」実行委員会)、12.14−12.26:『死衣』連作4点(cat.no.4−5、7)、『幡』連作4点(cat.no.8−11)、『CUSTOM』連作9点(cat.no.12−15)、『酸化・音』連作3点(cat.no.16−17)、『セルフ・ポートレート』(cat.no.19)、以上2I点を出品


 −学校(京都市立美術専門学校)では一応、日本画を学んだんですよ。でも在学中(昭和二十年代前半)から、どんどん紹介される西洋の新しい美術にあこがれまして、油絵をかくように。もっぱら表現主義的な抽象画を制作し、美術文化協会の展覧会などに発表していました。


 −今のレリーフ調の作品。つまり、白く塗った板に、同じく白一色のさまざまな形の木材を張り付け、五センチほどの凹凸で、遠近感や立体感のある「画面」をつくり始めたのは十五年ほど前。「描くこと、組み立てることは等価」と考えた結果で、表現上、影が重要な役割を果たしています。


 −このところ力を入れているのは、箱を使った作品。ふたを開くと、リンゴなどの形が、ふたと底の双方に分離されるよう細工をするんです。要するに、完成品は箱の中、ふたを開ければ壊れてしまう。「見ることのできないところで表現する」ということになりますか。しばらくは続きそうですね。


「伊藤利彦(作者独白)」、『中日新聞』、1993.8.12







fig.11 『扉の中のリンゴ』、1993


1994[平成6]
個展(「小品展」)、ギャラリー・マモン、津、3.12−3.20
個展(「箱の中の空」)、三重画廊、津、3.16−3.20
個展(「箱の中の記憶」)、目黒陶芸館、四日市、5.13−5.27
『「1960年代の絵画」から −現代美術の5人−は今』、GALLERY 141、名古屋、6.21−7.9
『コンテンポラリー・アート・フェスティバル』、埼玉県立近代美術館(一般展示室)、11.9−11.20
個展(「白いイタリア」)、山画廊、四日市、11.18−11.27


1995[平成7]
〈飛行船〉のシリーズにとりかかる(cat.no.48−49、51)
『第21回 从展』、東京都美術館、3.14−3.24:『箱の中の空』を出品(cat.no、46)
個展(「1960年代の凄さと1990年代の静けさの対比」)、目黒陶芸館、四日市、4.7−4.14
個展(「1978年より1995年までのレリーフ」)、ギャラリースミ、名古屋、6.1−6.6(cat.no.47)
『第l回「三重の画家たち」展』、志摩museum、9.10−10.30:『箱の中の空 NO.8』を出品(cat.no.45)
『フレームレス’95』、三重県総合文化センターギャラリー(主催:CAAF(コンテンポラリー・アート・アソシエーション・フレームレス)、9.16−9.24:『箱の中の空」連作7点を出品(cat.no.46)
個展(「箱の中の空」)、山画廊、四日市、11.3−11.10


 ここ数年、箱の中にレリーフを組み込む作品を作っています。箱というものは、それを開ける時中身に対する期待感を持たせます。出来るだけ意外な空間をその中に閉じ込めたいと思っています。


「(コメント)」、『第21回 从展』図録、1995.3


 「箱の外は現実の世界。中の飛行機で空を象徴し、二つの世界を表現した」


「油絵と造形作品が対照的 伊藤さんがユニーク個展 四日市」、『@新聞』、1995.41@(三重版)より


1996[平成8]
『アート・フロンティア’96現代日本の視覚展』、三重県総合文化センターギャラリー、1.9−1.15
『第22回 从展』、東京都美術館、3.14−3.24:『箱の中の空(A・S)』(cat.no.48)を出品
個展(1960年代の凄さと1990年代の静けさの対比 パートU)、目黒陶芸館、四日市、7.8−7.19
個展、三重県立美術館県民ギャラリー、8.3−9.8 前期:8.3−8.25[1950年代末から1980年代初頭まで〕(cat.no1−29) 後期:8.27−9.8[白い空間/箱の中の空](cat.no.30−51)


2006年[平成18]
11月13日 逝去。


(石崎勝基編)
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